「さらばリハビリ」~(27)高次脳機能障害の処方箋

 山田規畝子さんは整形外科の医師であるが、生まれつきモヤモヤ病(ウィリス動脈輪閉塞症)の持病を持っていて、これまでに脳出血を3回発症し、2回目の発症で軽い右片麻痺になり、メスを持つことができず整形外科医を断念したという。

 その代わり、彼女は持ち前の医学研究で、神経心理学の権威である山鳥重さんの本を精読し、曖昧なところやよくわからないことは細かく質問して、高次脳機能障害についての本を、当事者として何冊も出版している。

  入院中、私はSTから初めて彼女のことを知ったので、『高次脳機能障害の世界』を読んだ。彼女によると、麻痺した左手はいつの間にか存在を忘れてしまうのではなく、ことあるごとに何かを触ったり動かしていると回復しやすい。そう思って先日、読んでいる本を麻痺した手指を触りながら動かしながらしていたら、翌日は右手がこわばって痛い。

 同じく山田さんの本に、「34歳で老後」とあった。リハビリ病院とはいえ、その実態は老人病院ではないかと思ったが、70歳80歳の婆さんどもがぐんぐん回復していくではないか。お年寄りには負けるまい。現役のお年寄りは、おとぎ話にある竜宮城のイメージを崩壊させていながら、私はプラーク動脈硬化巣に存在する内膜の斑状肥厚性病変)を溜めに溜め込んだ分、脳梗塞という葛篭を開けて左半身麻痺という煙を吸い、一気に老人になった気分である。リアル老人になってから筋肉の回復は無理そうだし、41歳の若さで幸いだった。あと5年分溜め込んだら、知らないうちに死んでいたかもしれない。

 『潜水服は蝶の夢を見る』という映画を、数年前に観た。ELLE誌の編集長が脳溢血で倒れ、ロックトイン・シンドローム(閉じ込め症候群)になってしまい、左目の瞼を使って本を出版する実話である。ほぼ自叙伝。その編集長は酒も煙草もやらないクリーンな身体だったが、日々仕事に励んでいた末の発作だった。口文字盤などの橋本操(彼女は元ALS協会会長である)テクニックもさることながら、まあオトコの妄想たるや否や。その自己都合な妄想からロックトインした現実の自分に目覚めると、まるできらびやかな竜宮城の思い出となる。ケアに携わる女性スタッフに性的欲望を見いだし、女性は自分の虜になり…なにも欲望に忠実にならなくてもと言いつつ、いざ私が同じ目に遭ったら「やっぱりそうか!」のシンクロ率が自分で痛々しい。妄想の自分は脳溢血前のダンディーな若々しい自分であり、現実に戻ると偏屈そうに顔をひしゃげたおじさん(お爺さん?)がムッと黙っている。そのギャップが何ともおかしい。

 ベッドに寝ているときは相手の視線と顔が合わないので、その声や足音を聞いて判別していた。スティービーワンダーのように、目が見えないのになぜいつも美人をつかまえるのか疑問だという笑い話があるが、視覚でなく聴覚に従えばよろしい。一概に本人の好みもあるが、艶やかな声というのは私の耳に官能を届け、想像力をもたらす。で、声と顔が一致すると「やっぱりね」と思う。

 1ヶ月以上、車椅子で生活していると、視線が自ずと尻や脚の形に注がれてしまう。ミニスカートなんてほとんど見かけないけど、見たときはそこから決して離れない。(江戸川乱歩『盲獣』のように!)輪郭を目でたどってそっと愛撫したいぐらいだ。なんと言っても脳が興奮している…とここまで書いて「アタシったら安い女」と思ってしまった。山田規玖子さんの本に、「高次脳機能障害は官能的だ」「あるいは変態だ」とは書いていないが、探せばどこかに書いてあるはず。

 あれ? 「老人は官能的」って話だっけ? とにかく身体が追いつかないなら、目や耳などの代替物で間接的に官能を極めてほしい。

 ナースに勧められて読んだ東野圭吾『放課後』よりも、山田規玖子『壊れる脳 生存する知』のほうがよほどエキサイティングである。小説や漫画のストーリーがちんぷんかんぷんで、さっぱりわかんない。そもそも推理小説なんてどこが面白いのか私にはわからないのである。

 そのぶん、山田さんに救われる。希望が見える。こんなリハビリ病院では患者もナースも医師も、光はまったく見えない(いや、老人病院だからか?)。

 この本を出版することが決まったとき、もう一度『高次脳機能障害の世界』を読んだ。「てんかん」の症状は当時の私にはなかったし、その項目はスルーしていたが、つい先日、久しぶりに執筆が深夜になり、知らずにうとうとしていたことに気づいた。そのとき、「あの発作」が起こりそうな予兆がした。左側全身が痙攣し、左目の後ろに誰かいるような感じがして、「やっぱり来やがった!」と思いつつ、私は深呼吸をして発作を収めようとした。

 眠剤ジェネリックになったとき、「薬を変えてください」と医者に訴えたが、発症して六年経ち、その症状が一つ判明した。ジェネリックのせいではなく、てんかん発作だった。幸い、椅子を替えていたから卒倒したり気絶したりする危険はなかった。翌日、右脚が踏ん張りすぎて筋肉痛になったが、てんかん発作の恐ろしさを久しぶりに味わった。何年経ってもこの本は貴重だ。いまでも勉強になる。