「さらばリハビリ」~(36)障害者同士のコンフリクト(葛藤)は日本の習慣や文化が原因?
障害者同士のコンフリクトは、かつて健常者の私も知っていた。いまや電動車椅子ユーザーになって、その深刻さと怒りの感情はますますエスカレートした。
そのコンフリクトは、車椅子ユーザーと視覚障害者の間にある。幹線道路の歩道や駅、公共施設にも設置されている視覚障害者誘導用ブロックである。このブロックは、盲人などの視覚障害者を安全に誘導するために地面や床面に敷設されているブロックまたはプレートで、主にブロックの突起を足で踏むことで情報を得ることができる。「点字ブロック」の名前でも知られている。
「財団法人安全交通試験 研究センター」の初代理事長である三宅精一が、友人の失明をきっかけに1965年に発案・発明し、1967年3月18日、岡山県立岡山盲学校に近い国道2号(現:国道250号)原尾島交差点周辺(現:岡山県岡山市中区)に世界で初めて敷設された。その後、歩道・鉄道駅・公共施設だけでなく通常の商店街の出入り口付近、横断歩道の手前や、車道の横断歩道部分にも設置が進んでいる(「エスコートゾーン」)。また、諸外国の公共施設などでも敷設されているが、日本ほど多くはない。
電動車椅子ユーザーの私としては、この誘導ブロックが邪魔で不快でどうしようもない。まず、エスカレータの付近ではブロックが縦横に設置されている。ベビーカーを使用している人も不便だと思っていると思うが、多くのベビーカーはいずれ使わなくなり、ブロックの不便さを忘れてしまう。駅や公共施設では通路の中央に設置しており、左片麻痺の私は右手で電動車椅子を操縦しなければならないが、歩行者も自動車もどこもかしこも左側通行になっており、私がそれに倣うともれなく右手が他人の鞄にぶつかって頻繁に負傷する。
そのリスクを防ぎ、人々と反対の右側通行になると、私が歩行者の導線を邪魔しているようだ。かといって、誘導ブロックの左側を通行すると、ブロックの振動が全身に響き渡り、常に視界がブレている。煩わしくてしかたがない。
後にこの誘導ブロックを調べてわかったが、ブロックを発明し、全国に設置される前に、盲導犬や同行介助者がいた。ブロックをたどってみると、車道では中断されたり、都内の住宅街や田舎道では皆無だった。これって視覚障害者にも不便ではないのだろうか?
最近、視覚障害者の死亡事故があったのは駅のホームである。盲導犬がいたにもかかわらず、ホームドアの設置がなく、盲導犬はホームの奥を歩き、死亡した視覚障害者はホームの外側を歩き、踏み外して転落、間もなくやってきた電車に敷かれた。
そもそも日本では、視覚障害者を見かけるとエスコートする習慣がない。外国でブロックを見かけないのはそのせいである。黄色く目立つ景観もよろしくない。とにかく日本の社会福祉は無粋である。駅で迷っている白杖を持った単独の人がいたら、まず「何かお手伝いしましょうか?」と声をかけてほしい。OKなら、その人のお願いを聞いてほしい。健常者のみなさんは、職場と取引先で善人を演じ、毎日を「自分が」懸命で忙しく働いているだろう。駅や電車で見かける人々は仕事で疲れすぎて、視野が狭く感じている。たまには「いいこと」をして、気持ちにゆとりと豊かさを持ってほしい。私にはできないことが、みなさんはできることなのだから。
生まれつき目が見えない人は、健常者よりたやすく迷路を歩けると聞いたことがあった。どんなに複雑な構造建物でも、聴覚が発達して難なくそのなかを歩くことができるというのだ。
これはゆゆしき問題である。まず、中途を含めた視覚障害者たちの不満や誘導ブロックの必要性を聞いた後で、誘導ブロックの取り外し依頼を、車椅子ユーザーたちでしてはどうだろうか。そして、白杖を持った人たちになるべく声をかけて手助けすることを、健常者の人たちに訴えてほしい。まずは制度(ハード)を変えることが先決だが、人の心や見かた(ソフト)も変えること、行動や習慣を変えることが必要だと私は思っている。