「さらばリハビリ」~(4)急性期病院から回復期病院へ

「急性期病院から回復期(リハビリ)病院に転院するけど、どこの病院がいい?」と川口さんに言われ、病院事情にまったく詳しくない私は困ってしまった。

 急性期病院とは発症した直後に入院し、治療対応する病院。

 回復期病院は、死亡時の遺体引き取り人、つまり「身元保証人」がいないと入院できない医療システムができている。

 私のような単身者はもとより、既婚者で子どもを持っていても現状は独居の人がトラブルになった場合、「身元保証人」システムから排除されてしまうからだ。死んでしまえば、遺族がいてもいなくても自治体(厚労省)管轄の福祉政策の一環として、「行旅病人」および「行旅死亡人」として市区町村の長が葬儀など埋葬・火葬執行を行うと定めているからまだましだが、仮に病気や事故で生き残った場合、その後の療養生活には誰にも頼れない。まさに生き地獄である。

「こんなクソみたいなシステムを壊すために、NPO法人が運営している“身元保証人”システムがあるよ」と友人が助言し、私もそのNPO法人にアクセスしようとしたが、タイミングよく新設した回復期病院が「身元保証人」なしでも入院OKなので、一度見学に行った。いいのか悪いのか私にはまったく判断がつかないが、他に選びようがない、ええい、ままよ、と私は承諾した。

 二〇一六年三月七日の毎日新聞の見出しに「身元保証人ない高齢者 入院・入所拒否は不当 厚労省」とあり、以下引用する。

[…]しかし、東海地方で特別養護老人ホームを運営する社会福祉法人の担当者は『病院での医療同意や利用者が死亡した後の財産処分などを考えると、身元保証人がいないと困る』と心境を吐露。高齢者の身元保証問題に詳しいNPO法人『シニアライフ情報センター』(渋谷区)の池田敏史子代表理事は『厚労省の対応は当然で、施設側は入所時に何が必要で、(身元保証人がいない場合は)何ができないか、整理すべき時期に来ている』と指摘した。

 厚労省は「指導や監督の権限がある自治体に対し、不適切な取り扱いを行うことのないよう対応を求めた」というのが同日の毎日新聞のwebニュースで出ている。私のような中年単身者の生き残りが救われるのは、まだまだ先である。

 いまは退院して9年が経ち、介護事業所の変更や更新に伴い契約書に書名・捺印するが、書類にもやはり「(死亡時)受取人」の欄がある。私の両親(ともに後期高齢者)は北海道に健在らしいが、もしも私が死んだとしても両親は体力的に東京には来ないだろうし、実際に何の役にも立たない。そもそも父親が「東京やススキノのような都会には情報量が多すぎてキャパシティオーバーでパニックになる」という老人だからだ。実質の「受取人」は担当のケアマネになっている。死んだ後のことなど当人には何の関係もないが、当人の関係者が「責任」を取るらしい。それも仕事の一環だろう。

 転院先から到着した私は、荷物の整理、主治医や療法士の面談と、回復期病院の構造やリハビリのシステム説明を受け、くたくたになり、夕食前に一眠りするかとベッドに横になった。当時は自覚がなかったが、小一時間相手と話すともう脳が疲労状態になり、疲れて何も考えたくなくなってしまう。たった一人で車椅子で長時間外出するならまだしも、自宅の電話で友人と雑談しただけで、その日はぐったりして開店休業状態なのだ。脳疾患は疲れやすい。

 仮眠のつもりが、いつの間にか私は熟睡しており、担当のナースが夕食になっても来ないと心配して病室に入り、私を起こそうとした。しかし、私の意識ははっきりしており、このように記憶もしっかりある。でも身体がなかなか起きようとしない。周囲ではナースたちが慌て、主治医が瞳孔反応を見ようとライトを当てて私の瞼を開いた。「瞳孔が反応しない」主治医は言った。「ええ? でも私の意識はあるし、なんで身体が動かないの?」とパニクった。一人のナースは足指2本をぎゅっとつかみ、主治医はさらに瞼を開こうとする。これを同時にやられるととびきり痛い。私は動かない身体を一生懸命に動かそうとした。でもなかなか動かない。苦しくはないけど、とにかく痛い。その瞬間私は起き、「痛い!!」と叫んだ。イライラと怒りの叫びだ。傍目にはわからないが、長いあいだ水のなかを潜って水面上に「プハッ!」と息を吸うイメージである。

 回復期病院ではMRICTスキャンもないので、詳しいことはわからない。そこでナースたちは私を救急車に乗せて設備のある以前の急性期病院に向かった。その道中では、ゲイ男性のナースが私のカルテを読み、「ちょっと、これ見て。トランスジェンダーって書いてある…」と確かに言った。私は目をつぶって担架に横たわっていたが、意識は明確にあった。

 フロリダの病院では、ナベシャツを着てスキンヘッドの私を「トランスジェンダー」だと勝手に判断し、カルテに記入した。入院中、ボランティアが数人やってきて、「私たちはレズビアンなの。何か困ったことはある?」と私に訊き、私はあまりに嬉しくて思わず大爆笑してしまった。これも高次脳機能障害のせいであるはずだ。ボランティアたちは私にバカにされたと思い、二度と来なかった。心残りがあるとすれば、もう一度レズビアンのボランティアに会って、あのときのことは誤解です、と謝りたい。私はいまも猛省している。

 一方、日本の病院では、カルテに書かれた診断名(?)を無視するナースがいる。それもゲイ男性のナースだ。これはどう考えるべきか難しい。というのも、私は女性のトランスジェンダーの患者で、彼はゲイのナースだ。私がカムアウトしているのかどうか彼は知らない。もしかすると性的マイノリティに関して敵対する関係かもしれないし、恊働すべき関係かもしれない。

 ただ私が言いたいのは、彼はプロの「ゲイのナース」ではない、ということである。この場合のプロは、ゲイだけにかかる。つまり彼はオネエ言葉でゲイアピールしているだけの、政治性皆無のゲイゲイ詐欺だ。老人患者相手で女性ナースばかりの職場環境にナースとして円滑な関係を築きたくてアピールするなら、それは彼の選択である。私個人との関係は無視するにしても、ここは病院で私は患者だ。しかも性的マイノリティの患者である。その患者を少しでも快適に暮らせるように、私がここで何を望むのか、困ったことは何か、彼に解決できるのか、彼がどう振る舞えばいいのかなどなど、彼は私に一度も打ち合わせをしなかった。金返せ! このド素人ナース!

 結局、以前の病院に戻ってCTスキャンを撮ったが異常なし。私はその病院で一晩過ごして帰った。おそらくその発作のようなものは高次脳機能障害の一症状が原因である。自己判断するしかないが、これらの症状を「一時性ロックトイン(ロックトイン・シンドローム:閉じ込め症候群。意識ははっきりしているが、自分の意思を表現する手段がなく、厚い壁の部屋に閉じ込められた状態。身体も動かず声も出ず、最終的に目は開いてるが眼差しが動かない)」と呼ぶならば、私は回復期病院で数回この症状を起こしている。身体は眠っているが、意識は覚醒しており、食事のときにナースが無言で私を移動させ、私は食事のテーブルにつきながら身体は動かないという不思議な症状だった。脳に異常がないならば医療従事者は対応しようとしない。「一時性ロックトイン」が起こった私は人形のように運ばれ、食事終了時には病室に戻され、後は放置されるだけだった。脳の機能は複雑であり、傷ついた脳はさらに複雑な症状をみせる。ただ、数値やデータには一切異常は見られないから治療方法はない。患者である私は悲しいが、看護し治療する者たちは悲しくないのだろうか?