「さらばリハビリ」~(35)より快適な生活を求めて
ここ数年、東京の街を車椅子に乗って観察した結果、地下鉄の駅が構造的にエレベータを設置できず、階段でエスカルに移動しないといけないことがわかった。鬼門は九段下の乗り換えと東銀座である。九段下の乗り換えは、一度地上に出て移動しないと乗り換えられない。他にも、エレベータが駅ではなくビルの敷地であり、ビルの閉門時間はエレベータもオフになっていることも多かった。渋谷の歩道橋のエレベータは夜10時に閉まっている。下の車道は国道246で、始終自動車がびゅんびゅん飛ばしている。車椅子は10時以降外出禁止だと言いたいのだろうか。
生活保護で仕事もなく、たまに映画館へ行くだけだから、私は都会に住んでいる必要がなくなった。郊外ならば新築のショッピングモールは奇麗に舗装し、バリアフリーが行き届いている。車椅子にとってアクセスしやすい街を探そうと思った。
まず、風呂がバリアフリーな住宅を探すこと。そのためには都営住宅の抽選に当たること。毎年抽選に外れていたが、今度こそは郊外の都営住宅でいい。なるべく築年数の浅い物件をチョイスしてみると、即当たってしまった。
車椅子住宅といっても所詮都営だからなあ。私は期待しないように内見し、肝心の風呂にも入ってみた。これならイケる! いまは1週間に2度、湯船に浸かっているが、最初はいかに安全で楽に着替え、移動するか試行錯誤した。浴槽の滑り止め用マットも敷いた。風呂の事故は怪我しやすいと聞く。私は私のヘルパーになった。身体は使えないが、その代わり知恵を出し工夫して使える。
23区内に住んでいたとき、最後の訪問リハビリを受けた。STもOTも、「これ以上何も教えることはないよ。心配や不安になることはないから。あなたはあなたのままで生きていってね」と言われた。転居先には訪問看護(爪切り)以外に要求することはなかったが、このド田舎の素晴らしい景色を見て、「二本足で歩いてみたい」と思い、ケアマネに頼んだ。ゆくゆくは電動車椅子も卒業する予定である。
都心から一時間弱で長閑な風景が見られる。ちょっとした平野と、ちょっとした山々。この山は『となりのトトロ』のモデルとなった山だそうだ。健常者のハイキングには物足りないが、片麻痺の私にはひじょうにチャレンジングである。
長閑なのは風景だけでなく、人もそうだ。通り過ぎるお年寄りと挨拶する街。たとえそれが互いに知らない人であっても、私は機嫌良く挨拶する。
『高次脳機能障害の世界』を再々読し、「毎日の生活がリハビリ」「オーダーメイドのリハビリの出発点とは、オーダーメイドの観察」とあった。私は知らないうちに山田さんの影響を受けたのかもしれない。
回復期病院のリハビリはマスプロ教育にたとえると、維持期自宅のリハビリは家庭教師や個人授業みたいなものである(悲しいかな、回復期病院を退院してもマスプロ教育は続いている)。十把一絡げのリハビリは患者の個性を殺してしまい、受験勉強が終わってモーレツ社員になり、病気や事故で身体の故障をすればモーレツにリハビリをする、老体に鞭打って。リタイアは絶対にしない。ちょっと待て、時代は高度経済成長の黄金期ではなかったか? もうそろそろ時代は下り坂になってはいないか?
リハビリに専念する患者たちは、泳ぎを止めたら死んでしまうマグロのように、毎日必死で歩いている。私から見れば、彼らは何をそんなに急いでいるのか? と疑問に思う。簡単な仕組みの商品は、もし壊れても簡単に元通り修理できる。拙速で粗製濫造な商品だ。せっかちな商品たちは、とにかく歩いていればかまわない乱雑さで、脚を引きずりながら回復していく。逆に私は巧遅でいよう。彼らには遅れているかもしれないが、同じ回復するなら美しいフォームで歩けるよう回復したい。それこそ、私が健常者のときよりも美しく歩きたい。
フィンランドでは、学校のテストを全面的に廃止したら、逆に優秀な学生が次々とあらわれるようになった。マスプロ教育ではなく、個人の特徴や能力に対応した教育方針だからである。尾木ママがラジオ番組のゲストで登場し、フィンランドの学校を視察した。ずっと廊下で勉強している少年がいて、校長に訊ねたら、「彼は廊下が好きなんですよ」と笑って答えたのである。
かつて日本のGDPが世界1位だったとき、すでに経済のピークが過ぎて坂を下っていたことに気づいている人は皆無だった。教育もリハビリも「護送船方式」はもう古すぎる。個人が「空っぽ」のまま生きて、「空っぽ」のまま死んでいくのは滑稽としか言いようがない。日本が輝き出したずっと前に、そもそも太平洋戦争で日本は敗戦していなかったのか? いくら経済大国になっても精神の貧しさは変わらないし、ますます貧しくなっているんじゃないだろうか?
人間の身体は研究されつくしており、「脳神経が壊れて片麻痺になったらどうするのか?」は、医学上では解決されている。だが、個々の生活上ではどうなのか? これは昨今の「当事者研究」として今後の課題である。リハビリの教科書はない。自分でつくるのだ。