「さらばリハビリ」~(34)「善良な車椅子ユーザー」のイメージを払拭してやる!

 昨今、日本のスモーカーは徐々に駆逐されている。街なかでは喫煙エリアと称された体裁程度の灰皿が置いてある。健常者でこんな程度だから、車椅子ユーザーのスモーカーはいったいどうなるのか。 

 私が目の当たりにした喫煙エリアは、当然ながらアンチバリアフルで、喫煙所まで段差があったり階段や細い廊下や通路があったりして利用できないのである。ムカついた私は決意した。「善良な車椅子ユーザー」のイメージ通りにはなってやらない。むしろそのイメージを払拭してやる。「歩行喫煙禁止区域」なら、携帯灰皿を用意して、悠然と煙草を吹かす。あるいは、人気のないところでは歩き煙草やくわえ煙草で電動車椅子を操縦している。これで文句があるか。

 いま住んでいる田舎では、歩道の作りが雑なので、いちいち歩道に乗り上げることをしない。乗り上げるたびに身体ごと振動する歩道は危険である。注意してみれば、歩道は真っ平ではなく、車道に乗り入れやすいように斜めになっている。そんなところを慎重に走行するのはかったるい。タイヤも減る。だったら私は堂々と車道を走るぞ。道路交通法では、車椅子ユーザーは歩行者と同等だが、歩行者の歩きは楽で安全だ。車椅子なら車輪が四つついているから、これはもう充分四輪だろう。私はマクドナルドは利用しないが、狭い入り口で段差があるのを見たら、入る気がしない。いっそのことドライブスルーを利用してやろうかと思っている。

 見通しの悪い道路や幹線道路以外、信号無視は当然する。信号を遵守するのは生真面目な日本人の歩行者だけで、アメリカでもイギリスでも信号無視はガンガンする。昔、ロンドンやポーランドに滞在したとき、警官たちが堂々と信号無視をしていた。もちろん、自分の命を充分気をつけたうえである。

 平日の朝、急いでいるサラリーマンが信号を無視してるのに、車椅子の私が無視すると、正義感の強くてはた迷惑なおっさんが、「車椅子のくせに信号守れ!」と注意してきたので、「うるせー! 死ね!」と即座に言い返してやった。車椅子に乗っているイメージは、だいたい「善良、従順、気弱でお人好し」である。私はそれらのイメージを払拭してやりたい。

 退院したてのころ、通り過ぎる住民がみんな私のほうを見た。車椅子がそんなに珍しいのか社会勉強が足りないのかよくわからないが、おそらく人は無意識に他人の目を見るのだろう。

 電車に乗ったときは如実だった。特におっさんと子ども連中に多く(無意識に珍しい対象を見るのは幼稚な習性)、私は瞬きもせずに「見られたらじっと見る」戦法をとった。絶対に視線は外さない。ヤクザのメンチ切りだ。相手は立っており、こっちは車椅子である。『時計仕掛けのオレンジ』の主人公ように、三白眼のような目つきで睨む目線位置でラッキーだった。他人の顔をジロジロ見つめるのはもう懲りたろうと思ってやったまでのことである。