「さらばリハビリ」~(8)集団生活にもう耐えられない!

 回復期病院に入院して早2ヶ月、私は集団生活に耐えられないことを改めて自覚した。この病院は私が気に入って入院したわけじゃない。病院というか、もはや老人ホームである。小学校や幼稚園でもあるまいし、リハビリは個人差があるがそれを行う時間帯は同じ。食事も就寝起床も集団行動だ。私は年をとっても老人ホームには絶対に入らない。

 一人で生活できないからといって、どうして集団施設で管理されねばならないのか。起床するのも就寝するのも食事するのも入浴するのも、なぜ全員が決まった時間にやらねばならないのか。空腹を感じたときには食べるし、疲れたら寝る。そろそろ身体が汚れたら入浴する。なぜ個人の自由がないのか。それは単に「効率がいい」だけではないのか。入院患者がバラバラな時間を過ごしたら、職員は収拾がつかなくなるし、見守りの手が足りなくて危険だからではないのか。集団生活では「効率のよさ」は重視されるが、個々人の生活では「雑」で「手抜き」になる。工場で粗悪品を製造するところではない。集団は個人が抹消されるのだ。

 隣のボケジジイがジロジロ見て私は腹が立つ。視線の暴力に鈍感である。「目には目を」と地道に実践し、私も無遠慮に堂々と、憎悪と怨念と迫力と凄みとを込めて一気に睨み返す。視線を内部に入り組ませたとき、わずかでも視線を逸らしたら一環の終わりだ。私のメガネが面白いからか? オトコかオンナか区別つかないからか? そうやって視線の応酬と批判を繰り返す。「見られている自分」が悪いんだ、と責める。「見ている自分」はなんのコストもリスクもない。

 ボケジジイは幼稚化していて、脊髄反射的に“異物”か、あるいは“亡霊”を見つめる。集団生活になると私は決まって異端者になる。「みんなと違う」から「みんなと同じになる」無言のルール、ルールに違反した者はまるで異物のような眼差しを平気でやるというルールが、はみ出し者の私には理解できない。

 「目には目を」をモットーにする私は、やはり脊髄反射的に攻撃モードをシフトに入れ、「見ている自分(ボケジジイ)」に批判を向ける。鏡映しのように、目を逸らせなければ自分の醜い不躾な図々しい視線を目の当たりにする。「お前が怒らせたのは、じっと見つめているからだ。なぜ見るんだ?」と責める。静かな暴力も、いずれボケジジイに距離を詰めて、殴る勢いを見せる。「お前が俺を殴らせるのは、いつまでもお前見ているからだ」そう言って、もの言わずまっすぐに距離を詰めたら、ジジイは勝手に視線を逸らす。殴られると思うと、何かしら「見てしまった自分」に後味の悪いものを感じる。見たことを後悔し、戦慄し、もう二度と目を開くことはないと反省する。「見たら死ぬ、見たら死ぬ」私は最後にそれしか念じない。それが“亡霊”である。

 やはり、どいつもこいつも車椅子→二足歩行(松葉杖)になっていく。私はすでに挫折を感じていた。そもそも私の脚は弱くて内股で、全体のアンバランスが激しく(上体は大きく脚は細いハンプティ・ダンプティのようだ)、両脚が弱いからって片脚になるならなおさら弱い。ただでさえ左脚は弱いのに、そのうえ力が入らない、動かないとはいかなることか。動かなかったら、弱い筋肉がさらに弱くなるだけじゃないか。右脚が重心を受けてばかりで負担になり、早晩右脚が故障する。そうしたら、もう動きようがないじゃないか。

 ある朝、リハビリの際に湿布を交換したとき、右脚の棘骨が悪化している。青く変色していて、触ると少し痛い。レントゲンを撮るとナースに伝えたが、昼になっても検査しない。どうなっているのか。無視されたと思い、不信感は募る。

 だんだんと着替えにベッドへの起き上がりにと慣れてきた。初めのころは時間がかかるのが面倒で、一度着たり寝転んだりすると、もう一度同じことをやるのはうんざりしていた。労多くして益なし。左腕が引っかかったりすると、腕が麻痺していないころはスムーズだったのに、何も考えてなかったのにって、つい思い出を腐らせてしまう。