「自殺」と「尊厳死」について

オデが脳梗塞を発症して、当時オデが働いていたケアサポート・モモの川口有美子(オデは密かに「ボス」と呼んでいる)さんがお見舞いに来て(彼女は入院手続きから生活保護申請から電動車椅子から何もかもサポートしてくれた)、あれは確か急性期病院からリハビリ病院に転院したとき、彼女は「片麻痺なら大丈夫だよ。一人で生きていけるよ」と言ってくれた。


あの言葉がなかったら、今ごろオデは自殺していたかもしれない。文字通り、「一人で生きて」こられたからだ。


川口有美子さんは、「さくら会」の理事(ALSの橋本操さんが理事長)もやり、尊厳死法案に反対する運動をやっている。彼女が反対する尊厳死については、オデよりもはるかに勉強して深く考えているから、あまり手出ししないでおこう(汗)。


とはいえ、40数年も生きていれば、知人友人が自殺で亡くなることも多いのだ(なんといっても母が自殺した)。


まずは、次の動画(1時間弱)を全部観ていただきたい。


見えざる敵「日本: 年間自殺者3万人」との戦いを開始したアイルランド人が制作したドキュメンタリー映画の衝撃【全編無料公開】


最近の場合、オデが発症したときに、思わず「結婚したい!」と言った女性だ。当時のオデは、幼稚園児のような発想で、彼女に告白したことがある。恥や汚点といっても彼女のせいではなく、オデの「反婚」というモットーに反してこのような結果に。大脳旧皮質はなんと恐ろしいw


その後、オデは長い入院生活があり、スマホの支払いが滞って不通になり、彼女がFBを経由して連絡をとって、最後に会ったのが退院から1ヶ月後のサンシャイン水族館のデートだった(彼女はアニメ『踊るピングドラム』が超好きだったので、「聖地巡礼」と言っていたw)。

それでオデは脳梗塞になり、彼女はODで死にかけて、再会したとき、「お互い生きてて良かったね〜」と涙ぐんだのだった。


その女性は、幼少期から父親による虐待や恋人からの暴力を受けており、運動団体でのトラブル、大学院でのトラブルなど、たくさんのことがあったと聞いた(という友人からの股聞き)。 また、死後の世界に関心を持ち、ネットで同じ考えの友だちもおり、死ぬことを積極的に捉えてもいたようである。


彼女と食事をした後、トイレに行って吐くのは摂食障害のせいかと思っていて、特に気にしていなかった。彼女は礼儀正しいし、何も悪くはないのだが、オデがメールした後、しばらく時間が経って返信する、しかも話がちんぷんかんぷんだったので、「ちょっといかんな〜、オデのこと舐めてんな〜」と思ったのだった。


で、彼女のTwitterもリムーブしてしばらく経った後、Twitterの共通の知人から、「あのひとが亡くなりました」と聞き、もうショックでショックで、共通する知人友人もいないままだったので、この悲しみをシェアできなかったのである。


彼女自身が暴力の被害者であるのにもかかわらず、トラウマの再現、再々現なことや、逆に自分が加害者(の歴史?)の自覚を強くすることもあり、なんというか、彼女の生きにくい世界を自分でたぐり寄せていたのかなあ、と思う。あまり言葉は良くないが。


今から思えば、彼女がちんぷんかんぷんなメールを送ってきたのも、おそらく薬かアルコールで意識朦朧としていたんじゃないかと推測している。会って話したときは礼儀正しいし、しっかりした思考と主張を持っているのに、会わないでいるとどうも彼女の様子がおかしい、と 思っていた。


また彼女は、「夜、独りでいると怖い。おかしくなる」とも言った。ならば最初から彼女の取り扱い説明書を送ったらいいのに、とも思った。でも、そんなことしたらオデが幻滅するかもしれない、と彼女が思ったのかもしれない。どちらにしても、後の祭りである。


こんなすれ違い行き違いのエピソードは巷にあふれるほどだ。でも、その最中に死んでしまったのなら、生き残ったオデには「断絶」しかない。


結論は永遠に出てこないが、こうも言えるのではないかと思う。精神的肉体的に苦痛で、早くその苦痛から逃げ出したいと本人が思うなら、自殺はやむを得ない。それと矛盾するかもしれないが、尊厳死法案には断固反対である。


ただオデは、自殺でも尊厳死でも、「あなたがいなくなったら、わたしは悲しい」と言うだろう。



人は、言葉で死ぬと同時に、言葉で生きるものだ。



そんな人に、ぜひ聞いてもらいたい曲がある。


「重き荷を負いて」