「さらばリハビリ」~(7)リハビリの算定日数

 患者の疾患名にはリハビリの算定日数が決められている。脳血管疾患等は180日、運動器と心大血管疾患は150日、呼吸器は90日である。

 その期間は1単位を20分として、1日9単位(180分)まで保険で認められている。毎日1~2時間くらいリハビリしていた患者が、算定を過ぎた場合、1ヶ月に13単位(260分)しかできなくなり、週3回20分程度に急激に減ってしまう。

 急性期や回復期の病院ならあまり気にしなくてもいいが、維持期の病院で疾患別リハビリを行っているほとんどの患者は、1ヶ月260分以下のリハビリしか受けていないのが現状である。

 私の場合、リハビリ期間は6か月である。急性期病院で2ヶ月、回復期病院で6ヶ月、入院期間はトータルで8ヶ月だった。

 算定日数は6ヶ月だが、介護保険の認定度数が間違っており(要支援1)、このままでは単身療養生活ができないので、再認定まで時間がかかったのだ。算定日数が切れた私の2ヶ月は暇すぎた。時間が余りすぎているが、当時は1人ではリハビリができなかったのだ。

 「要支援」と「要介護」はどのように違うのか。介護が必要な人を、その状況に合わせて5段階に分類したものが「要介護」で、それに対して介護は必要ではないものの日常生活に不便をきたしている人が分類されるのが「要支援」である。

 要支援1は「日常生活上の基本動作については、ほぼ自分で行うことが可能で、要介護状態への進行を予防するために、IADL(手段的日常生活動作)において何らかの支援が必要な状態」で、要支援2は「要支援1に比べて、IADLを行う能力がわずかに低下し、機能の維持や改善のために何らかの支援が必要な状態」である。

 言葉で区分されても違いがわからないが、私の場合は初めての単身在宅療養であり、訪問介護(ヘルパー)が入る時間が圧倒的に少なかったのだ。現在は週2回で1時間ずつの訪問介護が入っている(要支援2)。

 当然だが毎日リハビリがあり、食堂にある大きなホワイトボードに患者名と担当の療法士(作業療法士OT、理学療法士PT、言語療法士ST)の表が貼ってあり、夕食の後、明日の時間割を変更して患者たちはチェックする。まるで自動車教習所のようだが、時間になると担当の療法士が挨拶して、病室にいる患者を案内してくれるシステムである。

 PTとOTの違いを説明すると、理学療法士(Physical Therapist)は、座る、立つなどの基本動作ができるよう身体の基本的な機能回復をサポートする。寝返る、起き上がる、立ち上がる、歩くなどの日常生活を行ううえで基本となる動作の改善を専門に行うことから<動作の専門家>とも呼ばれている。骨折が修復された後、その部分の基本的な機能(動作)を回復させるために運動療法や物理療法などを行う。身近なところでは、「スポーツリハビリ」の分野において、怪我した腕や脚などの基本動作を回復させる役割を理学療法士が担っている。

 理学療法士が座る、立つなどの基本的な動作に対し、作業療法士(Occupational Therapist)は、指を動かす、着替えする、食事をする、入浴をする、など日常生活を送るうえで必要な機能回復をサポートする。「日常生活活動(ADL:activities of daily living)」ができるようになるための治療や援助を行うことで、仕事、趣味、遊びなど「元気な日常生活を送ってもらうため」のリハビリを支援する。たとえば、患者の趣味・嗜好を考慮しながら、手芸や陶芸を通して応用動作ができるよう支援し、社会的に適応していくためのリハビリまでサポートすることで、機能回復に加えて、患者さんが生き生きと生活していけるよう精神面のサポートまで行う役割を担っているのである。

 そして言語聴覚士(Speech Therapist)が対象とする主な障害は、ことばの障害(失語症や言語発達遅滞など)、きこえの障害(聴覚障害など)、声や発音の障害(音声障害や構音障害)、食べる機能の障害(摂食・嚥下障害)などがある。これらの障害は、生まれながらの先天性から、病気や外傷による後天性のものがあり、小児から高齢者まで幅広くあらわれる。

 言語聴覚士は、このような障害のある者に対し、問題の本質や発現メカニズムを明らかにし、対処法を見出すためにさまざまなテストや検査を実施し、評価を行ったうえで、必要に応じて訓練、指導、助言その他の援助を行う専門職である。

 いまは療法士の区別や特徴を充分理解しているが、当時の私はまったくわからなかった。特に、回復期病院では療法士の資格を取得したばかりの、要するに<療法士の卵たち>を相手にリハビリをするのだが、これがクソ小生意気なPTで、私はムカついて「療法士を変えてくれ!」と師長に訴えた。これは後述する。

 私の要求は通った。後任のPTはちびっ子で、患者のなかでは冗談混じりに<鬼軍曹>とあだ名されていた。私は院内の廊下で「よう、ちび」と挨拶していたが、あるときのリハビリで、マットを出して私に立ち膝をさせた。発症後、初めての体位だったので私は少々パニクっていたが、何かの弾みで両膝を折った座り姿勢になり、左膝がとびきり痛くて泣き叫んだ。ちびのせいでは決してないが、私は入院中こんなに辛いことがたくさんあった、これほど溜まっていたんだと気づき、思い出しては泣き続けた。ちびは黙って病室に同行してくれたが、彼女もビックリしたことだろう。

 私を担当したOTは、お婆ちゃん相手に無理で過剰な笑みを作っていたが、傍目でも笑顔が不自然だとわかっていた。そのお婆ちゃんがOTの親切さと優しさ、丁寧さに惚れ込み、「うちの息子の嫁になってほしい」とマジで懇願し、私は「いくら母親認定でもOTと息子は関係ないじゃん! これは女性に対する人権侵害だ! 暴力だ! 職場と家庭は待遇が全然違うし! 逃げ場ないし!」と、その平穏な会話を一人で突っ込んでいた。

 アメリカの病院にいたときは、麻痺した左側の皮膚があらかた浮腫んで水分過多となり、皮膚をつかむと組織液がにじんで痛くなった。いつの間にか痛みはなくなり、皮膚の麻痺は残っているが、つま先だけまだちょっと痛いような痛くないような微妙な感じだ。靴下を取り替えるとき、見た目は多少浮腫んでいる。痛いのを堪えてマッサージすると浮腫は軽減するらしい。その代わり、寝ているときに痙攣して自動マッサージになっているだろう(靴下を脱いで皮膚に触ったりこすったりするとまったく痛みは出ず、組織液はずいぶん引いていた)。中枢の力はついてきた。後は足首と腕(肩から指先全般)の末端部分である。

 現在(5年前)のOTは、私と同年代で話も合うし、経験を積んだ本物のプロだ。在宅訪問リハビリは利用者のリクエストに合わせて訓練を行うことができるので、いまの私は「近所の山へ散歩に行きたい、ゆくゆくは電動車椅子を卒業したい」とリクエストしている。卒業するまで長年かかると思うが、焦ってパワー系で歩行するより、奇麗なフォームを目指したい。マイペースで着々とリハビリしていきたい。そのため、いまは地味なリハビリ(インナーマッスルを鍛える訓練。派手なリハビリは外を散歩)と思って忍耐している。

 図書館やスーパーへ外出すると、どこかの老夫婦がリハビリ散歩をしている。車椅子に乗っていてリハビリ散歩するのはヨボヨボの爺さんで、それを見守るのが婆さんだ。私はそれを見て、「この爺さんは“純粋”にリハビリしているんだなあ」と思う。

 単身の私は生活しながらリハビリをする。たとえば調理や買い物だ。買い物はカートを持って歩きながら食材を物色し、野菜や果物は立って切り刻む。歩き回るより立ちっぱなしのほうが脚に負担がかかる。おそらくあの爺さんは身の回りの生活の世話を全部婆さんにやってもらっているんだろう。リハビリはただ歩くだけではない。近所のコンビニや病院に行くのも杖歩行で、私は転ばないように疲れないように注意しながら徐々に距離を伸ばしていくのだ。