「さらばリハビリ」~(5)高次脳機能障害の疑い、ここは刑務所か?!
「急性期病院と回復期病院は違います。なぜなら約1時間のリハビリがあるから、約束せずに見舞いに来ても、ミヤマさんは病室にいないことがあるでしょう。でも大丈夫、ミヤマさん専用のメーリングリストを作成しました。お見舞いにくる人もミヤマさんも利用しましょう」
メーリングリストの作成者が言った言葉通り、「お仲間」の見舞いに来る頻度が減った。私はいつもカーテンを閉めっぱなしにし、ネットPCで検索してそれを読み、活用していた。個室ではなく6人部屋で、しかも私以外の患者は70〜80代のババアばっかり。あるとき部屋のババアがこう言った。「一緒に食事でも行かない?」「は? 結構です」と私は不快に思い、無表情に応答した。いい年こいてバッカじゃねーの? お前は連れションしたがる女子小学生か! それ以来、偏屈な私は相部屋患者と口も利かず、誰とも行動をともにせず、友だちはネットPCだけという、病院内引きこもりをやっていた。
食事の時間になるといつも、ババアたちは団子になって食堂へ向かった。団子になったババアはゾンビだ。彼女たちが行った後、私はカーテンを開け、車椅子に乗って移動した。私の部屋から食堂は比較的近く、10メートルも離れてなかったが、食堂では毎日が女子会ならぬ団子ババアゾンビ会を開催していた。なかには新患のお婆さまがお一人で食事をされていたが、団子ババアたちは即座に新患のお婆さまをオルグしてゾンビ化し、即座に団子ババアのゾンビ軍団にとけ込んでしまった。
彼女たちが何を話しているのか知らないが、だいたいは想像できる。毎日の天気の話と、入退院した患者の話、入院患者の噂話、テレビでやってる番組の話。後はつまらなくてくだらない話ばかりである。私はフェミニストを自称しているが、このときだけは孤独なおっさん連中に混ざってミソジニー(女性嫌悪、女性蔑視)に溢れかえっていた。バッド・フェミニストである。
食事は不味くて量が少なかった。当然だが、私のような糖尿病患者の食事療法と、高齢患者の食事内容とは違っていた。たとえば、私の食器にご飯が半分も盛られてなく、隣にいたヨボヨボの婆さんは食器のご飯が盛りだくさんである。栄養バランスはとれているが、材料が何かわからなくて食べるのに躊躇したおかずも多々あった。毎日ではないが、昼に出ているミートスパゲティは同量なので、安心して食べたことをいまでも忘れない(それでも食べるとすぐに腹が減る)。とにかく食べ物の恨みは強い、と私は思った。
いま改めて思い出し、山田規畝子さんの「高次脳機能障害」関連本を再度読むと、「傷ついた脳はエネルギー・コントロールができないので、食べてもすぐ空腹になる。脳はそれだけ高カロリーを消費している」と書いてあった。なんだ、私が食い意地汚いのではなかったんだと安心した。
回復期病院の食事の量が少ないときは、担当の栄養士に直談判していいと聞いていたし、食事の量が不足な患者は文句を言って改善してもらったと聞く。しかし私は言語障害があり、病院スタッフとの接触を極力避けていた。交渉するのがただただ面倒だったのもあって、闘尿病食の私は文句を言っても改善してくれないなあ、だったら黙って個人的に解消するしかない、と思っていた。
老人用に介護食(とろみ食、やわらか食)もあった。嚥下や咀嚼が難しい患者は多い。回復期病院とは名打っているが、患者の実情を見ると老人ホームだった。それとは無関係だが、朝食後、病室のベッドで堂々とせんべいを食う爺さんがいて、看護師に怒鳴りつけられていた。傍目で見ると爺さんと孫だ。「何で食べたらいかんのだ!」との反論(逆ギレ)をして、それでも平気で食べていた。さすが爺さん、年の功である。
入院して知恵をつけた私は一階に売店があることを知り、おにぎりや菓子パン、ジャンクフードは車椅子用トイレでこっそりと食べ、ヨーグルトやカロリーフリーなゼリーは堂々と病室へ持ち帰った。私はときどき買ったジャンクフードをトイレに持ち込んで速攻で食べている自分を鏡で見る。卑しい、情けない顔だ。ここは刑務所か何かで、いつ誰が食べ物を持ち込むのかじっと監視している。あるとき、新患のおっさんが売店でおにぎりを買うところを目撃し、ああ、空腹なのは自分だけではないんだ、と共犯者を見る思いがした。
売店だけでは飽き足らず、私は隣のスーパーマーケットを見ていた。細い車道一本渡ったそのスーパーに行きたいながらも、病院は患者の無断単独外出を禁じていた。これも危険管理の一環である。同行者がいたら遠出ができるし、泊まりもできる。もしいまの私なら気軽に堂々とスーパーで買い物をするが、当時は刑務所の囚人の心境だった。私は一人で外に行ってはいけない、と禁止を内面化させていた。具体的にペナルティを恐れたわけではない。ただ、1人で外に出るのが怖かったのだ。
息苦しい。集団生活アレルギーマックスで窒息しそう。おんなたちは群れてしゃべりっぱなし、おとこたちはだまっているが、たまに出会うとおとこ2人でしゃべっている。おんなたちは、どうやら1人では不安らしい。あるいは、黙っていることが不安らしい。友だちというかしゃべる相手がいれば安心で、だからおんなたちはいつまでもだらだらとしゃべっている。鳥か魚の糞を意味もなく垂れ流している。私はそのノイズが耳に障って気持ちが悪い。逃げても逃げてもうるさくて気が立っている。気が狂いそうだ。超ストレス。