「さらばリハビリ」~(20)さまざまな高齢女子(?)患者

 回復期病院に入院したころ、私の気持ちはミソジニーだらけでいっぱいになり、同室の患者と一言も話さなかった。女子会ならぬ団子ババアたちは固まって食事をとり、メンバー以外は話さない閉鎖的なグループに見えた。

 私は同室患者に興味と関心があったわけじゃない。単なる暇であり、他に観察する対象がなかったからしかたなく日記をつけていた。患者たちに送る私の眼差しは、偏見と侮蔑が入り交じっていた。日記の例を挙げてみよう。

 

Kさん90歳の悲劇的茶番

 病室の隣に座っているのがKさん90歳である。なぜ名前の次に年齢を添えるかというと、しまいには言うことがなくて「今年の○月○日で89歳になります」を必ず言う。相手は「じゃあ、90歳ですか! お若いですね!」と必ず感心して答える。挨拶を何度も聞いた私はうんざりである。すり切れたレコードは1枚でいい。判で押したような会話のパターンは二度と聞きたくない。

 といっても、カーテン越しにいびきでも寝言でもため息でも聞きたくないのに聞いてしまう。これはもう無自覚無配慮の暴力である。今日はじめて会ったリハビリスタッフに、「今年の○月○日で…」と言うと「またそれかよ!」と思わず黙ってツッコミを入れてしまう。ちょいボケのKさん90歳は味を占めて、初めましての人に必ず挨拶する。ほかに褒めるところがないので、最高齢であることをアピールして「すごいですね!」と褒められる。それで終わりである。

 私はかなりの神経質で、修学旅行のグループでも最後の一人になってみんなの寝言を聞いた思い出がある。人々の寝息を聞き届けて安心する…ってそんなころからお母さんかよ!(糖尿病の血糖値が高いと眠れないという説あり、そのせいで自分はいつも寝そびれると思っていた。血糖値が標準になると、うって変わってスヤスヤだ)

 そんな私でも平均年齢70歳の病室メンバーは最強である。夕食が7時で、面会が8時の退館時間になるとギリギリまで送っていく。戻ってビックリである。みんな夜の身支度を終えて全員熟睡の爆睡。これはたまげた。その後、身支度する私の気まずさといったら。「睡眠は静かに」という規範は鉄板の鉄板。いくら私でも規範を逸脱できやしない(いややってるけどね)。

なんといっても、Kさん90歳、Wさん80歳、Tさん70歳のいびきサラウンドはすごい。あるいは寝言交響曲か。Kさんは鼻が詰まっているので睡眠呼吸障害があり、聞いているだけでもうるさくて息苦しい(そして眠りが浅い)。つづいてWさんは醒めた恨み節でブツブツつぶやいている。まるで起きているかのようである。新入りの物静かなTさんは、睡眠中はキャッキャ楽しい乙女である。しかも入れ歯を外しているので、判別不可能かつ不明瞭な発音だらけである。ざっと雰囲気だけで嬉しい可笑しい楽しいのはわかる。なんとなくだけど。

 Kさん90歳は、去年の年末に階段から転倒して大腿骨を骨折。ポッキリおれた骨をボルトで接続し、傷がふさがるまで安静にし、それ以来、衰えた筋肉を毎日毎日リハビリして、いまでは杖1本で二足歩行できるようになった。素晴らしきスーパーおばあちゃんである。隣室を通るとき、一足ごとに「ぷっぷっ」と言うけど、そんなものは全然気にしない(嘘)。

 あるとき、そのKさん90歳に大腸がんが見つかった。手術で患部を切開し、病巣はどこまで広がるかは不明だが、人口肛門を取りつけるらしい。Kさん90歳はショックで、その日はお風呂に入らなかった(答え:面倒くさいので)。よく面会にきている初老の男性はKさん90歳の息子だが、大人しくて優しくて、いつもKさんの話に耳を傾けている。曰く、「せっかく今日まで頑張ってきたのに」「手術したらあたしはもうダメ」と、女優ばりの迫真の演技。事情を知らない人なら思わずグッと同情する。

 けれども、面会時間がすぎた息子さんが別れを言って立ち去ると、Kさん90歳は楽屋に戻って小休止。「ああ、今日もいい演技だった」と、おはぎパクパク、おせんべポリポリ(注:夕食後だよ!)。

 いつも隣にいて、茶番劇の一部始終を知っている私は、「今日の女優はいまいちだね」「セリフ飛ばしすぎ」「まだ泣くの早いだろ」と、静かなるダメ出しをしている。

 しょーっしょっしょ…

 Kさん90歳の起床である。着替えなどの動くとき、静かな気合いを入れているのがわかる。「よいしょ」の反復が簡略化して「しーっしょっしょ…」「しょっしょ、しょっしょ…」とかけ声をするのは、まだいい。そして、周囲の迷惑にならないよう、[sh]の摩擦音が耳につくのもまだいいとして、これは気合いをいれるより独り言のほうが大きいのではないかと思う。だって実際、動きの音はしていなくて、ベッドで寝転んだKさん90歳がずっと、「しょーっしょっしょ…」「しょーっしょっしょ…」と唱えてるのならそれは手抜きで寝言じゃんか! いい迷惑だよ!

 しかし、ときには「しょーっしょっしょ…」を聞くと、心は何も動じないときと、[sh]を耳にして「ああっ、もうっ!」とイラついてテレビのイヤホンを乱暴に耳に押し込むときがある。独り言は私のバロメーターだ。

 そのくせ、都合の悪いことは「え?」と聞き返して耳が遠い女優の迫真演技を見せるのだが、PCのキーボードを打つ音を「うるさくて眠れない」と被害者ぶるのはやめて! あんたもともと鼻詰まってて九時まで起きてんじゃん! くそっ!

 結局、Kさん90歳と私は仲良くなった。リハビリのとき、窓辺の廊下に座ってぼんやり日向ぼっこしていたKさん90歳に、私とOTが笑顔で手を振ったのだ。Kさん90歳は、それをまともに受け止めた。

「私ね、あなたのことは気難しい人だ、神経質な人だと思っていたんですよ。最初は誰とも話さなかったから」

 なるほど、ごもっとも。私も同感である。私は言語障害になる前から「誰も話しかけるなオーラ」を滲み出していたのかもしれない。

 同室の患者のなかでKさん90歳が最初に退院していった。といっても、Kさん90歳の骨折は治りが遅く、治癒するのに平均で3ヶ月かかるところが半年もかかった。

 やがて同室患者は退院し、代わりに新患が入院した。いつの間にか私は古参になっていた。食堂の女子会は自然解消していた。

 あるとき、食堂で飲み物の自販機の側にいた私に、「これ、いくらかかるの?」と声をかけた人がいた。振り返るとその人は、首にギブスをして肩まで固定していた。「100円もかかりませんよ」と私はゆっくりと答えた。その人は笑わなかった。

 首にギブスをした人はMさんといった。Mさんは自宅玄関の階段で転び、首を骨折した。骨はくっついたが、どうも歩きかたがおかしい。

「歩くことは歩けるけど、足元がふわふわするの」

 Mさんは不安そうだったが、私はもともと片脚に力が入らないので、その不安を共有することはなかった。

 Mさんも私も読書をした。窓際のMさんは、双眼鏡を覗いて空飛ぶ鳥を観察していた。Mさんは鳥の種類を多く知っていて、「あれは○○、こっちには△△がいる」と私に教えてくれる。鳥といえば、カラスか雀、鳩が精一杯で、よく晴れた空に鳶が悠々と飛ぶ姿をたまに見かける。池や川に泳いでいる鴨はいつ見ても「美味しそう」としか思わない私である。Mさんの夫が頻繁に見舞いに来て、仲良しそうだった。

 私が退院するとき、Mさんは歩いてエレベータまで見送りにきた。最初は荒んでいた入院生活だったが、終わりには平和で穏やかだった。