戦争がなくても平和じゃない―『この世界の片隅に』所感

我が心の恩師・木田元氏は、「戦時中、僕は人殺しと強姦以外の悪を一通りやった」と笑いながら言った。おそらく闇市か何かで儲けたのだろう。木田氏はその金で自己投資をした。つまり、大学へ行き「現象学」の大家になった。

一方で、山口良忠という裁判官が闇市の闇米を拒否して餓死した。彼は裁判官としての範を垂れようとしたと思われる。

さて、『この世界の片隅に』の浦野すずはどうだったのだろう。広島市から呉市に嫁入りした彼女は、お姑さんが大事にしていたお金を持って闇市に出かけ、砂糖だけを買った。当時、砂糖は貴重で大事な食糧で、ただでさえ物資が不足していたのに、金さえあれば闇市で何でも買えたのだ。「GIスープ」といううどん状の食べ物(ラッキーストライクの空き箱入り)があり、義姉と一緒に食べ、そのあまりの旨さに痺れていた。しかし、家庭に戻れば、またいつもの粗末な食事である。

「何でも使うて、暮し続けりゃならんのですけ、うちらは」

すずが言うように、戦争があってもなくても、日々の暮らしを続けなければならない。

日本の戦争を描いた有名な作品で「はだしのゲン」があった。オデの小学校には全巻そろっており、グロテスクなストーリーと描写で、オデは少しトラウマティックになった。あろうことか、戦争が終わって30年以上経ったころには「はだしのゲン」はオデにとって「他人事」になっていった。

日本の戦争を描いた映画「野火(2014)」を観た。オデは比較的好きな作品だったが、渇きと飢えのため兵隊たちが食人したのではないかという話で、その究極的設定が観客にとって「他人事」となった。しかたのないことである。むしろ「他人とは思えない」と身に迫る場合、その社会は恐ろしいことになっている。

多くの人々が求める作品は、「ありえねえ!」と感じるものだったが、この作品は「あるある~!」という共感をもとにして成立した。それは一見して、平和でちょっとコミカルで、穏やかな「日本人的普遍的生活」を描いたもので、「古き良き時代」として懐かしい感じがするが、果たしてそうだろうか。

オデが高校生のとき、『戦争がなくても平和じゃない』という本を読んだ気がする。確か新聞社の編集部かなんかで、個人のものではなかったが、「部落」の存在を知って衝撃が走った。道産子ならアイヌの人権や北方領土返還の問題もあるだろうが! と一人ツッコミをしたが、そこは岡目八目、灯台下暗しの心境である。道民はノンポリ寄りの保守派だからなあ。

いまでも部落の問題は解決していない。それ以外にも、差別やヘイトクライムの問題は後を絶たない。それを「他人事」として、見ないふりしていいのだろうか。

確かに、あれもこれも「他人とは思えない」ことは疲れる。だからといって自分自身のことも「他人事」にしてしまってはいないだろうか?

 

幼いころからすずは、ものをよく見て絵を描いた。それが爆弾によって姪のハルミとすずの右手を失ってしまう。絵を描く右手を。失った動機は戦争だけではない。病気や事故、災害、その他不幸なことで、かけがえのないものを失う機会はある。右手を失ったすずは、号泣しながら怒りながら、それでもささやかな生活の楽しみを忘れず、淡々と生きていく。

この映画を観たオデは、不覚にも泣いた。帰りの道中クールダウンをして、このブログを書いている。感動して泣いたままではいけない。思考停止してはいけない。結論を感情的に流してはいけない。他にも書きたいことはあるが、あんまり書くと視点がブレてしまうので、このへんにしておく。

 

*追記:右手を失ったすずは、その右手がない印として、一人の戦争孤児と出会う。おそらく、亡くなったハルミと入れ替わりに孤児とすずたちは生活していく。この不幸な偶然をほんの少しの幸せにすることが、その一連したシーンを見てオデは想像し、泣いた。