モンスターなテイコさん、エイリアンなススムさん(5)
つづき。
せっかく大学で上京し(実は「家出」というか「脱出/脱退/退会」です)、やっと憧れの一人暮らしになれたのに、孤独の暮らしを満喫してたのに、なんで今からわざわざテイコさんと暮らす必要があるのか? はっきり言って迷惑だし暴力だ! とオデは思い、もうすぐ駅なのに、そこで踵を返しました。振り向きもしませんでした。
その日、テイコさんは部屋にはあらわれませんでした。これが生前にテイコさんと会った最期の思い出です。
時は遡って2003年の夏、オデは北国の大都市に出張取材し、「ついでに実家にでも寄るかな」と電話しました。ところが、その電話番号は変わっていました。新しい番号にかけ直したらススムさんが出ました。住所も変わり引っ越していました。それもススムさんが退職金をもらって中古の一軒家を買ったのです。
ススムさんの話も端折ります。今度は箇条書き風で!
1)テイコさんが実家を出てアパートで一人暮らしをしていたこと(フミカさんが賃貸の保証人です)。
2)その間、単身赴任をしていたススムさんは、実家にテイコさんもフミカさんもいなくて藻抜けの空だとわかったこと(その年は大雪で、実家の屋根に積もった雪が崩れて隣の窓ガラスを割りました)。
3)ススムさんは元の家を捨てて、新しく家を買ったこと。
4)その新しい(といっても中古ですが)家にススムさんが住み始めると、なぜかテイコさんのお姉さん(いつもテイコさんは「小林の姉」と言っていました)が付き添いで来て、テイコさんとの仲介をし、彼女はまたしても勝手に「ここがあたしの部屋だ!」と、一番日当りの良い部屋にずっと閉じこもっていたこと。
5)テイコさんは、いつもは閉じこもって家事もやらないけれど、たまに言うのは「あんた! 退職金はもらったの?! あたしに渡しな!」といきなり上から目線で怒鳴るので、ススムさんは退職もしたことだし、どうせなら夫婦もやり直したい(おそらく嘘です。オデの前では「ええふりこき」ですから)、なのにテイコさんは家事を一切やらない、ススムさんはマジで怒って離婚訴訟を起こしたこと。
6)単身赴任中、ススムさんの部下に(彼は高校の校長先生でした)、「校長先生の幼馴染みがいるか調査してきます!」「見つかりました!」「ぜひ会いましょう!セッティングしときました!」で、その女性と40数年ぶりに会ったこと。
7)その女性は、ススムさんが高校時代に付き合ったことがあるそうです。その女性も他の男性(数学の教師)と結婚し、子どもが3人いましたが、酒乱がひどく暴力を奮ったうえ、ついに病死したこと。
8)ススム「これは小説になるなあ。お前、一つ書いてくれ」と言いましたが、オデは微笑して華麗にスルーしたこと。
9)テイコさんが、かつてオデが使っていた黄色い子供用タンスの抽き出し(そのときはススムさんが使用していた)を、全部中身を捨てて壊したこと。
10)元の家にあるススムさんの父親である栄一さん(オデにとっての祖父)の仏壇を、テイコさんがひっくり返していたこと。
11)ススムさんが新しく買った立派な鍵つきのタンスを、テイコさんがこじ開けようとして、その下に敷いてあるカーペットを切り刻んだこと。
ススム「たぶん、あのときからもう狂っていたに違いない」
ちなみに、下二つは実際に見ました。
…あとほかにあったかな? たぶんいまはこれだけだと思います。
オデは、「おそらく母さんは老人性精神障碍だと思う。早く病院に行かせなくちゃ」と言いましたが、ススムさんは「いや、まず母さんは、病気だと絶対に自覚しないから、死んでも病院には行かないわー」と微笑んで言いました。フミカさんが看護師でしたから彼女にも知らせないと、とオデは言いました。ススムさんは何も答えませんでした。そりゃそうです、テイコさんから離れて暮らしている子どもが何の事情を知ってるのかよいまさら、とススムさんが思ったとオデは推測します。
…で、テイコさんの葬儀(テイコさんの焼いた大腿骨は立派で、形も完成していて、ほのかにピンク色でした。たとえばガン患者の遺骨はボロボロで形があまりない、と聞きました)が済んでフミカさん家族はとっと帰り、ススムさんとオデが家に残りました。通夜は自宅で行いました。パンチパーマのお坊さんが来て、何やら念仏を唱えました。そのウーハーな響きはチベットのホーミーによく似ていたので、オデは心地よくなっていました。死者だけではなく生者に対しても救済しているのではないかとオデは思いました。
通夜から葬儀と3日かがりだったので、オデとフミカさん家族は実家に泊まりました。フミカさんの幼い姉妹は、どうやらオデと遊びたがっていたので、思う存分遊びました。
1日目。トイレに行ったオデは、雪洞がテイコさんの横たわる棺桶を、輪郭の分かるほどにくっきりと照らしていたのを見て、正直「コワい!」と思いました。まるでテイコさんが恨んでいるみたいに感じました。オデは、「幽霊なんか信じないぞ! 死んだらそれでおしまいだ!」と強く念じました。
2日目。ススムさんの前ではヘラヘラ笑っていたダンナが、フミカさんに対してお説教というかほとんど怒号を発していました。それでもフミカさんは黙ったままです。事の次第がわかりませんし、オデはフミカさんを擁護する義理はもうないんで、そのままぐっすり寝ました。薄情ですよね!アハハ!!
式の後、オデはテイコさんの部屋の片付けをしましたが、押し入れの中には、空のタッパーが買い物袋に包まれてギュッと締められていました。そのタッパーは無数にあって、押し入れの全空間にびっしりと敷き詰められていました。
オデはゾッとしましたが、何とか耐えて全部のタッパーから袋をほどきました。まさに悪魔と闘うエクソシスト。コワかったです。。
オデは、ひとり取り残されたススムさんがちょっと心配で、3日間そこにいました。そこで、オデとススムさんはちょっと酒を酌み交わし、彼の馴染みであるバーに連れて行ってくれました。
そのときですが、ススムさんが「俺は子育てに失敗した…」とうなだれてつぶやきました。ちょっと可愛い♡
オデ「母さんが自宅に来て『生前贈与したい』なんて言うもんだから、思わず『ひょっとして自殺でもするつもり?』って言っちゃったけど、まさか本当に自殺するなんて思わなかった!」オデとススムさんは大爆笑しました。
それから、
12)その訴訟で、2003年の春、離婚が成立したこと。これで40年間連れ添った夫婦は、赤の他人となりました。
オデはテイコさんが亡くなるまで全然知りませんでした。
しかも、テイコさんがオデの奨学金を勝手にガメていたことがわかりました。てっきりオデは、ススムさんの送金と併せてテイコさんがオデの仕送りをしていたんだと思い込んでいましたが、テイコさんの通帳は奨学金もススムさんの送金も入金したままで、オデには一円も使っていなかったのです。
そのとき、テイコさんは金の亡者になったのだなと、オデは思いました。
オデが大学から上京したのと同時に、ススムさんは単身赴任で違う勤務地に行きました。1988年、オデの家族は、宣言なしで解散していました。ちなみに当然ファンの集いもありませんし、ファイナルコンサートもまったくなかったです。そもそも「家族というバンド」なんて最初から結成してなかったのだと思います。
18歳のとき、オデはススムさんもテイコさんも大嫌いでした。ケンカばっかりするし、両方から殴られるしで、まるで厳父がふたりいるような感じだったのです。テイコさんは何かと言うとススムさんの浮気ばかり非難するので、オデは「そうなのかもな」と少し同意していました(今から思うとこれは洗脳です! 両親の言うことは子どもにとって「絶対命令」なのです!)。
ところが、ススムさんの言い分は違っていました。以下、長くなります。
つづく。