第1回「クィアって何? どこから来たの?」(6)

ジェンダーセクシュアリティは密接に絡んでいる

ゲイル・ルービンは、ジェンダーセクシュアリティの分離を提言したが、これは当時の文脈があっての戦略的なものだった。この提言を真に受けすぎると、「では、フェミニズムジェンダーを扱うものだからセクシュアリティはやらなくてもいいのだ。レズビアン/ゲイ・スタディーズはセクシュアリティを扱うものだからジェンダーのことはやらなくてもいいのだ」ということになりかねない。

それに対し、80年代の終わりから90年代にかけて(先述のとおり運動分野でクィアの概念が出てきてどんどん包括的な流れになっていくのと並行して)、学問のなかでも、「結局のところ、そうやってジェンダーセクシュアリティを分けてやっていけるの?」という議論が出てくる。

最初にその疑問を強く主張したといわれるのが、テレサ・デ・ローレティス(Teresa de Lauretis)である。ローレティスは‘Sexual Indifference and Lesbian Representation’という論文で、「セクシュアリティレズビアン/ゲイ・スタディーズで扱い、ジェンダーフェミニズムで扱うのはいいけど、どちらからもレズビアンがいなくなっているのはどういうこと?」という疑問を呈している。フェミニズムセクシュアリティの違いには鈍感だ、レズビアン/ゲイ・スタディーズは基本的にはゲイ男性だけが考えていてレズビアンはいないことになっている、それはおかしい、ということを、学問の領域において主張しはじめる。

ここがクィア・スタディーズの出発点の一つといわれている。つまり、クィア・スタディーズは学問として、ジェンダーで分けることもせずセクシュアリティで分けることもせず、両者を包括して両方いっぺんに見ていかないといけないのだということ。だから、ゲイ男性はゲイ男性の話だけを、女性は女性の話だけをしていればいいということではない。ジェンダーセクシュアリティは別個のものだから、片方を扱えばもう一方も扱ったことにはならいけれど、かといってばらばらにあつかってよいものでもない、両方を同時に見ていかないとダメ、というのがクィア・スタディーズの出発点。


●最初期クィア・スタディーズにおけるビッグ3

それを最初に言い出したのはテレサ・デ・ローレティスだが、クィア・スタディーズ最初期の学問的な牽引力となったのは、ローレティスのほかに、ジュディス・バトラー(Judith Butler)とイヴ・セジウィック(Eve Kosofsky Sedgwick)がいた。

セジウィックの主張もローレティスの主張に通じるものがある。かのじょは、男性同士の(同性愛ではないとされている)友情について分析しながら、その友情がいかに男性同性愛と女性全般に対する嫌悪感・恐怖感から成り立っているかという論を述べる。そこでは、いわゆるフェミニズムが分析のターゲットとしてきたような男性同士の家父長的社会が、一方ではジェンダーによっていかに女性を抑圧し、同時に他方ではセクシュアリティによっていかに同性愛者を抑圧してきたかという、その構造が示される。

バトラーも最初は基本的に同じことをやっていて、セクシュアリティの話を押し出しつつも、あくまでもジェンダーについて述べる。最初に有名になった著書『ジェンダー・トラブル』では、明らかにセクシュアリティを問題にしながら書いているのだけれども、テーマとしてはジェンダーを扱っており、ジェンダーを考えるときに、いかにセクシュアリティの問題が大事か、という話を延々としつこく語っていく。

3人が3人とも「セクシュアリティジェンダーは分けられない」ことを証明しようとした89年から91年あたりのころが、クィア・スタディーズという学問分野の始点といわれている。その前に、ゲイ・スタディーズの研究者は山ほど存在している。レズビアン・スタディーズの研究者も山ほどではないがそれなりにいる。そして、クィア・スタディーズ最初期のビッグネームとしてほぼ間違いなく名前が挙げられるこの3人は全員が女性。クィア・スタディーズは、フェミニズムではないがフェミニズムであり、ゲイ/レズビアン・スタディーズではないがゲイ/レズビアン・スタディーズである。どちらでもあるけれどどちらでもないという綱渡りの状態から、クィア・スタディーズははじまる。


クィア・スタディーズ(最初期)の3大特徴

このときすでにクィア・スタディーズの特徴としてあらわれてくるもののひとつが、ジェンダーセクシュアリティの非還元性。ふたつめは、政治運動における「包括性」(男だけ、女だけ、ゲイだけ、レズビアンだけ、と分けられない)とかかわるのだが、固定化した/安定したアイデンティティを前提としない(レズビアンとしてレズビアンのことを、ゲイとしてゲイのことを話す、というよりは、「レズビアン」とか「ゲイ」とかいうアイデンティティが何を意味するのか、それがあらかじめきっちりと決まっている、という考え方それ自体に対して、疑問を投げかける)。

みっつめの特徴は、先述した3人にも共通しているが、性的マイノリティではなく、いわゆる一般の、ストレートな社会(マジョリティ)を分析対象としていることである。前述したクィア・ポリティクスにおいて、「悪いのはそっちだ」というふうに話を社会に投げるということをやったが、それと同じことを学問の分野でやりはじめたのがクィア・スタディーズ。レズビアンやゲイ男性を分析して「こういうのがレズビアンですよ」と明らかにするのではなく、異性愛社会、ヘテロセクシュアリティそのもの、あるいは現在のジェンダーの制度そのものを、分析の対象にしようとする。


●アカデミズムとアクティヴィズムの連動

80年代終盤から90年代初頭にかけて主要な論文が発表されたことによって具体的に始動したクィア・スタディーズは、政治社会運動におけるエイズ・アクティヴィズムを受けてはじまったクィア・アクティヴィズムと、とても密接に結びついている。片方がもう一方に影響を与えたのではなく、おそらくお互いがお互いに影響を与えあっている。バトラーの『ジェンダー・トラブル』にしても、もっと以前のフーコーの本にしても、アクティヴィズムの現場でけっこう読まれていたという話が残っている。同時に、バトラーとローレティスは、アクティヴィズムの現場でなにが起こっていたかを明らかに念頭において、しかもそれが読めるようなやりかたで書いている(セジウィックは文学者なので初期の作品ではそのかかわりはあまり明確には書かれていない)。


第1回 <おわり>