「さらばリハビリ」~(11)3.11の大地震

2011年3月11日(金)晴れのち曇り、突然地震

 昨日の昼、中堅ナースに相談した。私の言いたいことをよく分かってくれたが、「主治医に確認しなかったことは主治医に聞いたの?」と尋ねた。「いいや」と私は言った。「不明な点は確認しなよ。すぐ言いなよ」と言った。「でも」と私はくぐもった。正直、私はコストをかけたくなかったが、そのぶん私は独りでに心理的コストをかぶっているのではないのか。あるいは、コストをかけて言い合うのは互いを信頼しているからではないか。

 黙っても言っても面倒くさい。手間をかける意味がない。「分かんなかったら発散しなよ。そのほうがあなたの言い分もわかるしさ」

 出た! 「説明してくれないとわかんない」という開き直り。鈍感な健常者相手になんでも言語障害者が説明してくれるよ! なんで困っている障害者が困っていない健常者に説明しなきゃならんのだ。だったらお前も障害者になってみろ。

 黙っていたら「なに考えているのかわからない」と不審がられ、そんなら、と腹のなかを明け透けにしてみると「そんなふうに言われると思わなかった」と苦しみ、落ち込む。黙っていればひとりで孤独。黙っていなければふたりで孤独。相手は「言ってくれないとわかんない」とまだ期待している。私は、「言ったが最後、決裂だろう」と思っている。この絶望とズレを、それでもまだ「説明しなければ」ならないのだろうか。

 そういうのをずっと堪えてきた。私は、まずじっくり時間をかけないと言葉が出ない。たどたどしい言葉に自分でいらつきながら、それでも相手は容赦なく言葉で追い越してゆく。私の言いかけた言葉を遮り、やっとのことで言い終わった言葉を平然と無視し、消し、なかったことにする。憔悴するのは私であり、コストを支払うのも私である。

「なんとかしてほしい」と相談し、結局「あなたがやれ」と放り出した。とても丁寧な言葉で、それとは気づかないように。私は結局それをやらなければならない。途方に暮れた私は思わず涙が出た。ナースは「分かりやすい形」として「同情し」、「励まし」、つまり、ようやく「内面を吐露した」私が流した「涙」「弱さ」「鬱憤」であり、それをありふれた応答で「大丈夫だよ」「こう言っちゃなんだけど、あなた頑張ってるもん、努力してるよ」。

 私は腹が立った、というか呆れ果ててしまった。なんて典型的な弱者と強者コンビだろう。その典型に「あなたがやれ」と言ったのだ。相談は無事解決した。ナースの鈍感な言葉に涙を流し、泣けば「可愛いじゃん。女の子だもんね」とさらに逆鱗なことを言う(41歳だっつの!)。こんな茶番に巻き込むな!

 

【教訓】:弱者の涙は御法度であり危険である。特に弱者にとっては健常者に「同情」を誘う。曰く、「かわいそうに」。

 

 私(=患者)が思ってもみないような先回りをして快適さを感じさせるのが「攻めの介護」で、私が希望することを言い訳し、できない理由を並べ立てるのが「守りの介護」。なにを守っているかというと介助者自身である。介助者ができないと、患者はいつまでもできないままだ。

 

 当時の日記を読む。私はPTとトラブルになり、師長に「あなたの問題では?」と言われて「全部私のせいかよ!」と悲しみと怒りが混乱し、懇意にしていた別のOTに相談していた。ここで大地震が起こる。車椅子に乗った私は平気だが、立っていた療法士は、車椅子をかばうポーズをして実際には車椅子に支えてもらっていた。地震の規模を示すマグニチュードは9.0、気象庁マグニチュード 8.4を記録した。

 大正関東地震(1923年)のマグニチュード8.2を上回る日本観測史上最大であるとともに、世界でもスマトラ島沖地震(2004年)以来の規模で、1900年以降でも4番目に大きな超巨大地震であった。

 この病院は耐震設備もあり、揺れに揺れたが被害は皆無だった。その代わりエレベータが休止して、スタッフ総出で一階から四階まで患者の食事を階段で運ばなければならなかった。

 余震は何度もあり、その度に患者は食堂に集まってテレビのニュースを観た。報道では、間もなくスーパーやコンビニの食糧・飲料が不足し、病院では、牛乳の代わりにヤクルトで代用をしていたと思う。お見舞いにきた知人が福島に訪問した話をし、「風景はぐちゃぐちゃにひっくり返っていて、とにかく臭いがひどかった」という感想を言った。テレビのニュースなんて信じていなかった私は、少しでも外部の情報を求めていた。「私のアパートはどうなったのか? 食器や家具は壊れなかったのか?」までは誰にも聞けず、不安よりも不満が多かった。

 後日、新患のお婆さんがテーブルの隣に座り、「震災のとき、階段で転んで骨折した」と話していた。お婆さんならともかく、神戸地震のとき知人が階段を上って両脚骨折したという話も聞いた。地震のとき、外にいるか家にいるかで死人や怪我人の出る確率は、はっきり言ってわからない。季節や時間帯、国や地域にもよるかもしれない。

 ただ一つ、この震災が起こって私は直感した。地震で倒壊した地域は、私の身体にたとえると麻痺した左側である。実際には右脳が壊れたのだが、その崩壊が目に見えて不便なのは左片麻痺と言語だ。私が東北地震をこんなに意識するのは、脳梗塞の後遺症と重ね合わせたメタファーになっているからだ。

 倒壊した土地の道路や建物は、驚くほど再建が進んでいる。私は地震の前後を比較したわけではないが、地震の爪痕は一見してまったく見られない。地震二次被害は、言わずと知れた福島の原発であり、東電が必死に深刻な被害を隠蔽しようとしている。被害に遭って生き残った人々のトラウマは癒しようがない。

 1989年に起こったチェルノブイリ原発事故は人災であり、30年以上が過ぎたいまでも健康被害や自然界の影響が残り続けている。東北大震災は自然災害だが、そもそも日本の土地は地震が起こりやすい還太平洋火山帯にあるので、環太平洋火山帯にはメタンハイドレート(低温かつ高圧の条件下でメタン分子が水分子に囲まれた、網状の結晶構造をもつ包接水和物の固体)が多く分布する。特にプレートが集中して地震も多い日本には大量のメタンハイドレートが分布している。その事実を知りながら原発を20基以上抱えている日本は、正気の沙汰とは思えない。

 日本で暮らす私にとっては、日本の土地は生活を支える重要な身体の延長であり、危険だと知りながら簡単に他の国へ移住することはできない。だが、私の身体は私が決め、生きかたの方針を決める。外野が「自己責任だ」と野次の声がするのは当然だ。だから私が反対する危険な原発を絶対に許すことはできない。確かに原発によるさまざまなメリットはあるが、一度ならず事故が起こると、そのコストは高すぎる。

 日本は広島・長崎に原爆を投下した「唯一の被爆国」だ。この表現は、第二次世界大戦の、核による被害者であることを主張したいわけではない。いまや日本政府は、敗戦した歴史を忘れ、原発という核による加害をしている。金子勝原発不良債権である』のタイトル通り、原発の価値はまったくなく、かつて原発を夢見た政府でさえも「原発がないと日本経済は悪化する」予言がデマであるとようやく知り、予算を削っている。予算を削るとまず自主非難した人たちが犠牲になる。結局、被害者は私たち国民である。