「障害の正義」 ミア・ミンガス
Disability Justice - Mia Mingus (interview clip)
わたしが思うには、障害の正義にとっていま重要なことには3つの部分があるような気がするんですよね。ひとつは、マルチイシューの政治ということですよね、単一の問題だけじゃないってのをかっこよく言っただけなんですけど。障害のことだけを言ってるんじゃない、階級を含むし、人種も含むし、ジェンダーとかシティズンシップも。植民地化も、戦争も軍事化も、こういうことを全部想定します。マルチイシューの政治なんですよ、そう、健常主義や障害のことだけじゃなくてほかの抑圧の体系のこと、制度のこと、暴力のかたちのことでもあるんです。だって障害者は障害者ってだけじゃなくて、わたしたちは母親や父親でもあり、女性やトランスでもあり、クィアや若者や老人でもある。健常主義だけじゃなくて、わたしたちはこんなにたくさんのものであって、こんなにたくさんのことがたとえばわたしの生活に影響する、それについてわたしは話してじゅうぶん考えられるようでないといけないんです。
もうひとつは、権利ベースの、平等型みたいなモデルから離れていってるということですね。だから、特権を持ってる層を広げてほんの数人余分に入れるにはどうすればいいかみたいなのじゃなくて、そういうのは求めてないと。いつもは、もともと特権があってそのグループのトップにどのみちいた人たちがほんの2-3人仲間に入れられるというふうだった。でも障害の正義っていうのは、その体系全部を疑問視して、なんでいつもずっと底辺にいる人たちがいるのか、特権的な場所の仲間に入れられないのか、と問うているんです。再分配のことも言うし、ただ特権持ってる人の場所を広げて2-3人入れたって、より公正な世界につながったことってないでしょうとも言う。
で、最後のひとつは、正義と解放がどんなものになるかを、平等は正義とは全然違いますからそうではなくて、 正義と解放が障害者たちとわれわれのコミュニティーにとってどんなものになるかを話していくものです。だから、また障害だけじゃなくて、わたしにとっての解放とはわたしのいる障害者コミュニティーだけのことではなくて、わたしのいるクィアやトランスの有色人種の人たちのコミュニティー、わたしのいる韓国人コミュニティー、ラディカルな有色人種女性たちのコミュニティーのことだと。それで、障害の正義というのは障害者たちをわたしたちのコミュニティーにつなげていくことでもあると。これはすごく重要だと思うんですよ、特にこんな社会や歴史的状況で、こんなに個人化されてて、わたしたちの持つ正義の概念といえばすごく個人化されたもので、だれかを訴えて決着をつけてそれが正義だとか。それか、自分に危害を加えた人を刑務所に送ってそれが正義だと。そうじゃなくて、わたしたちはもっと集団的なかたちでの正義がどんなものか話してるので、それはうまくいけばもっと深いかたちになるんじゃないかと。
翻訳:ど鬱操