レズとナベシャツと私

アジア女性資料センターの機関誌「女たちの21世紀」No.63の「【特集】今日、なに着てく? 装いのポリティクス」に掲載された原稿をこちらに再掲します。ほかにも読み応えたっぷりの盛りだくさんな感じなので、ぜひぜひご購入ください。

なお、10/26(火)には、「今日、なに着てく?装いのポリティクス」刊行記念トークイベントが行われます。わたしも行きますオーディエンスとして。きっと面白いイベントになると思うので、みなさんぜひご参加ください。

タイトルは、ご想像通り、アレのもじりです。


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レズとナベシャツと私


『ミロ』という麦芽飲料がある。粉末タイプに加えて現在はポーションタイプもあり、いずれも牛乳に溶いて飲むらしい。「らしい」と書いたのは、わたしは飲んだことがないため、実態をよく知らないからだ。

 1934年オーストラリアで誕生したミロが日本で発売されたのは1973年。当初、「強い子のミロ」をキャッチコピーにCMをガンガン打っていた。2つ上の姉にいじめられ泣いてばかりの「弱虫」だった3歳のわたしはCMを見て、「ミロは『強い子』しか飲めないのだ! 自分にミロを飲む資格はない!」と即座に思った。その後、テレビや店頭でミロを見かけるたびに、わたしの心には少しずつ穴が穿たれていった。

 言葉を額面通りに受け取りすぎる癖はその後も変わらぬまま、歳月はすぎていく。ナベシャツの存在を知ったのは90年代前半。ネーミングどおり、オナベという職業のひとが着るインナーだろうと思っていた。90年代後半にはネット通販で入手できると知ったが、どうやら性別を変えたいひとや胸をとりたいひと、要するにトランスのひとびとが暫定的に着るものだと理解し、わたしのような半端者が半端な動機で着るのはおこがましいのではないかと軽く躊躇していた。

 オナベでもなく、身体違和感もなく、性別を変えたいとも思わない(男になるなんてとんでもない!)わたしは、要するに「女らしくない女」であるだけだ。胸をとりたいとは思わないが、メンズの衣服をパリッと着こなすには胸のラインが不格好だし、「ノーブラは女性の解放」という主張も信用していない。乳房の質感と揺れは実に無防備で頼りなく、アクティブさを著しく損なうからだ。

 とはいえ、ナベシャツがなくても特別に困ることはない。でも、あればあったで試してみたい。ぶっちゃけ、関心のもちかたは消極的だった。ナベシャツユーザーが身近にいないのでアクセスが開かれておらず、みずからアクセスを切り開くほどナベシャツへの切望感は強くなかったせいだと思う。切実さよりも戸惑いや気後れが先立ち、迷わずナベシャツに手を伸ばせるトランスたちの「どストライク感」が、うらやましいとすら思ったこともあった。

 ところが、ナベシャツへの関心に火がついたのは、2007年秋のはじめのこと。とある会でお会いしたレズビアンのかたがナベシャツユーザーで、着心地について事細かに話してくれた。話の詳細は失念したが、そのとき、「オナベやトランスじゃなくてもナベシャツを着ていいんだ!」と目から鱗が落ちる思いをしたことだけはしっかりと覚えている。

 その後間もなく、そのかたの勧めにしたがって、某老舗メーカーでオーダーメイドのナベシャツをあつらえた。生まれて初めて着たときの、照れとも喜びともつかない、つい口元がニヤけてしまうあの複雑な感覚はいまでも忘れられない。それ以降、さまざまなメーカーの製品を取り寄せ、着心地の違いを実地で試すようになった。ナベシャツを着ていることをあちこちで吹聴すると、思わぬところで「私も着てます」とカムアウト返しされて密に意見交換したり、着たことはないが興味はあるというひとに選びかたや着かたのコツを伝授したりと、いまやすっかり(自称)ナベシャツ研究者である。

 みずから着用してみて感じたのは、「ナベシャツは、胸を寄せも上げもしないブラジャーである」ということ。着脱は通常のブラ以上に煩わしいし、着用しているあいだも窮屈で息苦しい。乳房を押しつぶして平にする以上、身体に負荷をかけないわけにはいかない。一方のブラジャーは、背中や脇腹からありったけの贅肉を寄せて集めてカップのなかに収めたりする。肩は凝るし拘束感も強い。「寄せて上げて大きく見せる」のと「広げて潰して平に見せる」のとではもちろん効果は違うが、「装う」とは肉体を加工・形成する営為であるという点において、ブラジャーとナベシャツは同類なのだ。

 そもそもなぜブラジャーには「乳房を大きく見せる」機能しかないのかと思っていたが、今年4月、大手下着メーカーのワコールが「(大きな胸を)小さく見せるブラ」という、乳房の膨らみを抑えるブラジャーをネット限定で発売したところ4日で売り切れ、7月30日に追加販売する人気となっている(8月20日現在ふたたび品切れ中、再入荷予定は10月)。マスコミはこのヒットを「逆転の発想」と評価するが、胸が大きくて困っている(太って見える、大きい胸をさらに大きく見せるのは嫌だ、など)という声はつねにすでにあったのだ。その声に、ようやくメーカーが耳を傾けたまでのこと。

 とにかく、ブラジャーに「胸を小さく見せる」機能が追加されれば、ナベシャツとブラジャーの距離はいっそう近くなる。いや別に近づけたいわけでも遠ざけたいわけでもないのだが。

 最近ナベシャツを着るようになった若いレズビアンの友人が先日、「このごろは胸をつぶすのではなく、ちょい残しで着るのがマイブーム」と言っていた。かのじょは本来Gカップ級だが、乳房の収めかたによっては微乳に見せることができるという。かのじょが「小さく見せるブラ」の存在を知れば、それはそれできっと試してみたいと思うに違いない。かのじょのことだから、ナベシャツでちょい残しした胸に「小さく見せるブラ」を重ね着したりするかもしれない。

 さらに、ナベシャツユーザー層として見落とせないのは、男装系コスプレイヤーたちである。漫画やアニメに登場する男の子役に扮装する際、やはり胸をつぶしたほうがより「らしく」見える。コスプレ用のナベシャツとしては、たとえばチューブトップ状の製品をコスプレメーカーが安価で提供しているが、想像するに使用感はあまりよくないと思う。胸をおさえて平に見せる技術に関しては本来のナベシャツメーカーの右に出るものはないだろうから、より本格的なホールド感を求めるコスプレイヤーたちが「こちら」のナベシャツにたどり着く日はそう遠くないと思う。もしかするとすでにたどり着いているかもしれない。

 かつてのように、ナベシャツをオナベやトランスの専有物と思い込む必要はもはやない。性別もセクシュアリティも関係なく、ブラジャーとナベシャツをそれぞれ、その日の気分や服装に合わせて使い分ければいいのだ。そして、ミロもそろそろ飲んでみていいころだと思う。強くなくても、強くなれなくても、飲んでみればいいのだと思う。


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