脳梗塞で入院しました。

ご無沙汰してますこんにちは。半年以上ぶりの更新です。唐突ですが、2010年12月14日、某国にて卒倒し、1週間後に目覚めました。目覚めたときには右手右足は動かず呂律も回らず、ショックを受けるより夢半分うつつ半分でぼーっとしてました。またちょっと不便な事態にぶつかると、パスポートとトランクを持っているのをいいことに、「わたしはまだまだ旅行中よ! この星のエトランゼにちがいないわ!だってほらこんなに身体が言うことを利かないなんて!ああ不慣れな星にうんざり!」と都合よく逃避思考に陥るとは。人間て自己保存にたけた卑怯な利口だわ。
25日に病院の許可が降り、ようやく日本に帰って参りました。機内の乗客はどいつもこいつも真っ赤な衣装のサンタだらけで脱力。オムツつけても排尿できず膀胱は限界ギリギリmaxで、付き添いのNsが尿バッグにシフトするという羞恥プレイで新天地が拓けました。
翌日、帰国すると病院へ直行し、そのまま入院。途中2月にリハビリ病院へ転院しますが、2011年の前半はずっと病院生活でした。病院スタッフに「英語なまりの日本語ですね」「アメリカ人ですか?」と何度も言われ、しまいには患者に「あなた中国人?」と聞かれる。ただの言語障害ですが何か。

 倒れて起きたときは突然手足が利かない身体になり、対外的なエトランゼどころか、カフカ『変身』の主人公グレゴール・ザムザになったと思いました。40年間慣れ親しんだこの身体が、自分自身に対して「異形の者」になるという理不尽さ。あくびすると手足の力が勝手に入ったり痙攣したり。それでも薄紙を剥ぐように少しずつ身体が変化するのは嬉しい。死んだ脳神経は二度と再生しないが、代理の運動神経が勝手に伸びて身体を動かせるようになる。そのときが待ち遠しい。
ところが、最初の予定は6月だったのに、退院が延長して延長して8月となるわけです。病院生活のいったい何がそんなに辛いのかといえば、代わり映えのないつまらない風景、代わり映えのないまずい食事、決まった時間に寝起きする生活。気分転換に出て行くこともできない外出制限。もうこれが限界、気が狂いそう。「患者の健康と安全を守るため」という医療スタッフのお題目に心が殺される。なぜ退院が2ヶ月も延長したのかといえば、わたしの体調面やリハビリ面はまったく関係なく、介護保険が降りない→ケアプランが使えないというお役所仕事のせい。退院したいしその準備もとっくに整っているのになかなか退院できないというのはカフカ『城』ですわい。当人は城を目指してるのにもかかわらず、城にはぜんぜん行き当たらない。誰が阻止しているのでもない、陰謀論でもない。思わず『誰のせいでもない雨が』を口ずさんでしまいますが、「自分のせい」であるという安全装置をついつい外しそうで怖いです。じゃあなんでそんなに退院したいのかというと別に大した理由はない。ただただ飽きっぽくてせっかちなだけなんです。なーんだ、代わり映えしないのは頑固なわたしだったという話ですね。ついでに言えば、潰しようのない膨大な時間というものは人の気を狂わせます。マジで。

  • 10キロ痩せる。

リハビリ時になんとなく計った体重計が65キロでした。なんと、入院時よりも10キロ減っています。ベッドで寝起きするため、自然と腹直筋が発達。まだ脂肪に隠れて見えませんが、ひそかに6つに割ってみます。夏のついでにダイエットも兼ねて、もうちょっと絞ってみます。減量中のボクサーの気分。
左腕が動かないため、ナベシャツはどうにもこうにも着られません。でもなんとなく痩せたので(というか老化のせい)、おっぱいは知らず知らずのうちにしぼんでまいりました。プラマイゼロというかなんというか。
病院食+老人食のため、食生活には官能と刺激を求められません。肉よりも魚、揚げ物炒め物より煮物。しかも「得体の知れない珍魚」に未確認の黄色いソース(後から思うと、ヒラメwithコーンで溶いたソースでした)。某国の魚料理も薄っぺらいポン酢醤油ばかりで「文化のない国め!」と怒り心頭でしたが、チーズケーキの濃厚さとグレイビーソースの深みのある美味さは格別でした。食べ物の記憶を反芻することはもはやオナニーと化しています。グルメ番組はエロです。放送禁止です。ついつい目が釘付けになり、思考停止を招きます。食材の照りつやは女体におけるシズル感です。
しかし、小鳥のエサのような朝食すら受け付けなくなりました。「人間、食べないままどこまで生きられるか」の実験です。てか食欲のない自分にマジ驚きなんですけど。

  • 経血が超薄くなった。

わたくし、重度の糖尿病のため、血液がドロドロでした。血圧は下が90、上が130で、徹夜明けの勤務の際200を超えてました。ところが、アマリール(糖尿病/血糖値降下剤)、バイアスピリン(抗血小板剤)、クレストール(高脂血症治療薬)、オルメテック(降圧剤)という内服薬群を飲んでいると、当たり前ですが血圧は110/70と平常値に。ついでに血液が薄〜くなって、月経のときには「刷毛でサッと引いたような薄紅色」となり、いきなりですがヲトメ感覚に。量も日数も極端に減り、いつまでもドス暗い経血をだらだら出したりして下半身は殺人事件な日々にはさよならよ。ほほほ。

  • ここは老人ホームか?

リハビリ病院の患者は平均70〜80歳。なかには90歳を超えるひともいます。運ばれてきた日にはサイドウォーカー(歩行補助具)につかまりながらよちよちしていましたが、みるみるうちに人を追い越し、スタスタ歩いてとっとと退院していきます。わたしは相変わらず車イスだっつのに。
二足歩行するときに補助具が徐々に変更し、四点杖から通常の杖にバージョンアップ。杖は自分持ちにしていいと言われ、パンフレットを見ながらじっくり選ぶ。そのときテレビで、内田裕也がつねに携帯していた黒に銀の取手の杖が「かっこいい…」と思わずつぶやく。杖に関心を持つってどんだけ。
病院はいまもなじめません。Nsと患者の型でとったようなロールプレイング、男性患者と女性患者の性別役割的振る舞い。しかもジェンダーが古くてバージョンアップしていない。病院というシチュエーション設定をしたうえで、あらかじめあったシナリオを読み込んでいるとしか思えません。はなはだ違和感、不気味の極地です。いまだにトランクとパスポートを持っているので異国文化と思えば思えなくもないですが、相変わらずアウェーでエイリアン扱いです。わたしから見ればジーサンバーサンこそ立派なエイリアンですが、そのエイリアンが違和を感知すれば遠慮なくずけずけと見ます。おかげですっかり視線恐怖になりました。
入院時、エレベーターに乗ろうとした入れ替わりに、女性患者とスタッフが、
「○○さん、怪我が治ったら旦那さんにお茶入れられますね」
「退院して早く旦那さんに手料理をつくってあげてね」
とにこやかに談笑しながら通り過ぎました。わたしはゾッとして、とっとと帰りたいと思いました。スタッフの無自覚な善意になおさら寒気がします。
 

  • 41歳の春なのだ。

大学生のとき、「42歳死亡説」の噂を聞きました。インスタント食品による食生活ははじめての世代で、「あらま。あたしもそうか」と思ったものです。如月小春ナンシー関テレサ・テンなど、みな40代前半で急逝したので「ほ〜らやっぱり!!」と確信を強めました(世代はバラバラですが)。ついでにわたしも倒れたときは40ジャストで、入院中の1月にちょっとした誕生会を迎え、41歳になりました。お見舞いにきた友人が、「双子の妹が脳出血で死んだ。あなたも、もし呼吸を扱う神経部位に血が行かなかったら、こうして二度と会うことはなかった」と涙ぐみます。わたしも、もしかしたら「42歳死亡説」にまんまとはめ込まれることろでした。わたしって、しみじみ中年なのね(ため息)。
しかし、杖に関心がある41歳は、中年をスキップして早くも老年。腰が曲がってヨレヨレ歩く姿はどう見ても老年。片手が使えず、食べ物をポロポロこぼす様子は要介護の後期高齢者。歩くのも遅く、着替えも遅く、しゃべるのも遅い(食べるのだけは相変わらず早い)。もうね、身体は性別の違和感どころじゃないですよ。「女体スーツ」でもなく「着ぐるみ」でもなくグレゴールザムザ左半身に重い石の枷を引きずっている罪人のよう。
この身体に折り合いを付けたくて、高次脳機能障害の先輩である山田規玖子さん(モヤモヤ病で都合3度の脳出血をする。34歳で最初の脳出血をした医師)の本を読めば、自分が老人だということは納得がいきました。
さて、ようやく退院となりました。半年間、病院の周りには慣れましたが、いよいよここを出て新たな生活を始めます。身体はヨボヨボの老人ですけど、脳はフレッシュな赤ん坊です。新環境と新体験を思う存分学習します。転んでもタダでは起きません。元をガッツリとってやるぞ。