第2回「『異性愛規範』をめぐる小難しい話」(3)
今回は、セジウィックが提唱した「ホモソーシャルな欲望」理論についての詳細です。西洋近代以降のホモソーシャル体制に見られる二大特徴、「ミソジニー(女性嫌悪)」と「ホモフォビア(同性愛嫌悪/恐怖)」とはどういうものかについて解説します。
●女よりも男同士の関係が大事……ミソジニー
ホモソーシャルな体制においては、もっとも強い感情的な結びつき(愛情)は男性同士の間に存在するべきである。女性は男同士をつなぐ糊あるいは交換資源として必要だけれども、あくまでも二次的な存在であり、女性との関係が男性同士の関係を邪魔することは許されない。だから、男性ふたりが同じひとりの女性を好きになって、どちらかがどちらかに女性を譲るのはOKだが、恋敵を出し抜いて一方が女性とくっついてしまうと、男性同士の関係より女性との結びつきを重視したということになり、これはホモソーシャル体制ではとても嫌がられる。
逆にいえば、男性同士の絆をやぶるような形で男性を誘惑する女性は許されない。たとえば、ファム・ファタル(運命の女)というのは、逆転した欲望の対象となってはいるものの、基本的には、男同士の関係の維持を脅かすような、恐ろしい存在である。
「男性を誘惑して男性同士の絆を脅かす力を持つもの」として女性のセクシュアリティ全般への恐怖や嫌悪、すなわちミソジニーを、ホモソーシャルな体制の一つの特徴としてあげることができる。
●ホモフォビックではないホモソーシャル
西洋近代のホモソーシャルな社会の持つもうひとつの特徴として、セジウィックはホモフォビア(同性愛嫌悪)を挙げる。ただし、これは西洋近代以降に特徴的なありかたであって、ホモソーシャルではあるが必ずしもホモフォビックではない社会も、実際の歴史をみると存在する。
ひじょうに有名な一例としては古代ギリシア。古代ギリシアで賞讃された少年愛が現代の意味におけるホモセクシュアル、あるいはホモエロティックなものといえるかどうか(*注)はまた別問題だが、男性同士の性的な結びつきを認めていた。また、明治(開国)以前の日本にもそういう部分はおそらくあったと考えられている。
いずれにせよ、男性同性愛行為に問題はないとされていた社会でも、いまの私たちが認識しているような意味でホモセクシュアリティを容認していたかというと、そうではない。「ホモセクシュアリティ」という概念もなかったし、「自分はゲイとして生きるのだ」というような意識があったわけでももちろんない。たとえば日本の場合、家の長男(跡取り息子)がどこかの男と色恋の遊びをするのは黙認されたとしても、「あの男と一生添い遂げるから、妻もこどももいらない」と言えば大騒ぎになったはずである。
●ホモソーシャルな関係にはつねに欲望が入り込む
ミソジニーとホモフォビアが西洋近代以降のホモソーシャルな社会における特徴だということを指摘したうえで、セジウィックはさらに論を展開し、それにもかかわらず、ホモソーシャルな関係にはつねに欲望が入り込む、ということを主張した。
人間が対象にひじょうに強い愛着を抱く場合(愛着とは、「男として男に憧れる」という言い方で表現されることもあるし、強い友情や尊敬を意味することもある)、それが明確に性的なものとして意識されるかどうかは別として、そこには強い感情の流れがある。そのような強い愛情と欲望は、もちろんまったく同一のものではない。たとえば、自分の家族にとても強い愛情を抱いているからといって、性的欲望の対象にしたいと思うかどうかは別物。ただ、その両者は完全に切り離せるようなものでもなく、一方が他方に転じていく可能性は常にあるのだ、ということをセジウィックは主張し、「ホモソーシャルな欲望」という概念を提示する。
西洋近代以降のホモソーシャルな体制は、男性同士のひじょうに強い結びつきが持つホモエロティックな欲望の可能性を、完全に排除しようとする。逆に言うと、西洋近代のホモソーシャルな体制がなぜホモフォビックかというと、そこにはそもそも否定すべき欲望が介在しているからだといえる。フォビアとはものすごく強い恐怖や嫌悪のことで、そもそもまったく欲望の可能性すらないのであれば、そのような恐怖や嫌悪が生じる理由はない。けれども、西洋近代以降を支えている男性同士のつながりが、もしかしたらホモエロティックなものになるかもしれないという可能性をつねにどこかで感じているからこそ、明確にホモエロティックな関係に対しては、強烈な恐怖や嫌悪をともなう拒絶反応が生み出される。
セジウィックが主張したのは、ホモソーシャルな絆とホモエロティックな欲望を完全に切り離せるというのは、ホモソーシャルにしてホモフォビックな社会の幻想である、ということ。ちょっと前の日本語の文献では、セジウィックのこの部分の主張に関して間違った記述が多かったのだけれども、セジウィックはホモソーシャルな絆とホモエロティックな絆がまったく別物だと言ったのではない。むしろ逆で、両者は同じではないけれども結びついているのであり、それを必死で切り離そうとしているのがホモソーシャルな社会であり、ホモフォビアであると主張した。
西洋近代以降の家父長制社会においては、強靭なホモソーシャルな絆をホモエロティックな欲望と完全に切り離すべきである、切り離せるはずだ、という理念が規範となって、男性性が構築されていく。つまり、「こういうことをしたらお前はホモエロティックな欲望を持つ人間、ホモセクシュアルだ」という恐怖を片隅におき、その方向には絶対に行かないような形で男性性をつくっていくのが、西洋近代以降のジェンダー構築でおこなわれてきたことである、といえる。
(*注)ホモセクシュアルとホモエロティックのちがい
用語として、ホモセクシュアリティという概念自体が19世紀以降に出てきた。行為としてのセックスに対し、セクシュアリティは人間の根本的な性質であると考えられている。19世紀以前にも同性同士の性愛や性交はあったが、その行為者自身は、みずからを異性愛者とは違う「同性愛者(ホモセクシュアル)」であるとは認識していなかった。「ホモエロティック」は同性に向けたエロティックな感情や欲望を指す。ただし、時代や文化背景の違いによっては、現在なら「ホモエロティック」と見なされる感情や欲望が、「同性」に向けられたものとして意識されていなかった場合もある。日常会話レベルでは、両者を厳密に分けなくてもあまり問題はない。
<つづく>