「さらばリハビリ」~あとがき

 この本は、鈴木大介『脳が壊れた』(2016年、新潮新書)の二番煎じである。二番煎じではあるが、それは「二匹目の泥鰌」を狙った水増し本ではない。鈴木さんは私より若く、発症年も浅いのに、「リハビリ」に関するイメージが普通過ぎて呆れ返り、「そういうことじゃないだろ?!」というアンチテーゼの意図で書いた。したがってこれは二番煎じのアンチテーゼ本だ。

 世のなかは『くも漫。』という映画が公開され、もはや脳疾患ブームである。ちなみに私は原作の漫画も読んでないし、映画も観るつもりはない。厳密に言うと、私たちの治療不可な「脳」という身体をどのように壊れ、いかにして回復するかに読者諸氏は関心を持っていると思う。

 同じく世のなかは健康ブームである。暴飲暴食・不眠不休が「男らしい」行動であったが、メタボが流行して「男らしさ」の行動が見事に崩壊した。「糖質ゼロ」「カロリーフリー」の食品が次々に発売され、いまの20〜30代の男性は、ダイエットのため野菜中心の食事を摂り、自動車ではなく自転車で通勤し、スポーツジムに通ってストイックに汗を流し、均整のとれた若々しい筋肉美を維持する。スタイルの良さは健康的な証拠である。そのスタイルキープの動機は「異性にモテたいから」という古臭い欲望である。

 身体も精神もコントロールしたい。自分の望んだ通りに生き続けたい。いや待てよ? そもそも自分は望み通りの家庭に生まれ育ったのか? 希望の大学や有名企業に就職できたのか? 誰もが羨ましくなるほどの理想の恋人はゲットしたのか? 生まれた子どもは、かつて自分が叶わなかった夢を、知らないうちに押しつけてはいないか? 

 そうなのだ。私たち人間はみな、見たくない現実と、ずっと見続けていたい理想とで分裂している。現実と理想のギャップがあればあるほど、人間は挫折し破綻する。

 あなたたちに問いたい。あなたたちの夢はなんだろうか。手垢のついたそこらへんにあるありふれた夢を、「これが自分の理想だ!」と熱く語り、勘違いしていないだろうか? 

 眠りについたとき、私たちは夢を見る。「脳」が見る夢だ。悪夢でも雑夢でもまったくかまわないが、私たちの夢や理想とは、誰かの夢や理想を投影し、自分自身のオリジナルな想像(創造)力を押し潰した、他者の無意識の希望ではないだろうか?

 こんな偉そうに語っている私だが、世俗から離れて底辺で泥水を啜っている貧困生活をしている。その代わり私は、あなたたちがいとも簡単にかかる洗脳や他人の欲望に惑わされずに済んでいる。新興宗教に洗脳された人たちを、あなたたちが嘲笑するのと同じように、私もまたあなたたちを嘲笑している。

 毎日が平和に安定していることは素晴らしいことである。だが、言い換えればそれは、無難なこと、平凡なこと、つまらなくて退屈なことだ。分析心理学の創始者カール・グスタフユングは、学生時代は絶えることのない貧乏生活だった。後に彼はこう言う。「私はこの貧乏時代を決して忘れないだろう。貧乏なときには、人はつまらないものを大切にすることを学ぶ」。

 私の言葉が多くの読者に届かないことは承知している。だがこれは、たった1人のアウトサイダーにとっては貴重なメッセージであるということも、私はすでに承知している。どこにでもある“理想的な”ストーリーに食傷した、あなたに向けて。