「さらばリハビリ」~(9)私と風呂と高血圧と

 回復期病院の終盤である。OTに言われたが、入浴評価がまたあるらしい。今度は着衣で浴槽に浸かる準備をして、改めて入るから時間がかかる。ほほほほ本当?

 倒れた当初は、浴槽に浸かると身体が暖まって血の巡りがよくなり、脳が再出血するから危険だと言われ、「これからもう二度と風呂に入れないのか」「風呂のない人生なんて! 風呂は死んだ! 私の快楽は終わった!」などなど、大げさな深刻だった。

 その1ヶ月後。脳も止血するんだってことを知った。バンザイ血小板!

 私は風呂が大好きだが、浴槽に長い間浸かっているとのぼせてしまうので、カラスの行水スタイルであった。20代半ばに新潟の温泉宿で低温(35度〜39度)温泉というのがあり、まずは浸かってみた。 これならいける! 長く浸かっていても全然のぼせないぞ! 私は新しい風呂の楽しみかたを覚えた。高温の温泉は私が高血圧だったため、身体が悲鳴をあげているらしかった。

 新しい風呂の楽しみかたは覚えたが、このような身体では普通の風呂や温泉には入れない。回復期病院の風呂は当然バリアフリーだが、退院後、転居した家はユニットバスだった。健常者でも浴槽に浸かれないのに、私は福祉用具を駆使し、OTからアドバイスをもらってやっと、ああこれは、健常者でも無理なのか…と諦めた。

 家の近所には2カ所の銭湯がある。玄関は階段で、靴を下駄箱に入れるところまでは見えたが、私はそもそも靴の脱ぎ履きには椅子がないと不可能だ。椅子は店番の人に用意してもらい、杖と装具で浴槽へ入るところをシミュレーションするが、銭湯の風呂椅子は非常に低いので、座ることができなかった。左膝をきつく曲げることが痛くてできないのだった。ハンズには高い風呂椅子も売っていて、家風呂のあった私は早速買った。

 身体障害者専門の旅行代理店で仕事をしている友人に、「日本の温泉でバリアフリーってどこにあるの?」と聞いたら、「北海道の第一滝本館が最高だった。あそこには従業員がいて入浴介助をやっているから」とのこと。私は実家に行くよりも優先でまず温泉に行った。内風呂が広く、露天風呂にもバリアフリーで入れた。私は温泉を満喫した。友人が「今度はUFJ(=ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)にいらっしゃいよ。とても楽しいから」と誘った。大阪に行く機会があったらUFJにも必ず遊びに行ってやろう。そして関西方面でバリアフリーの温泉にも入ってやろう。

 温泉は入ったが、冬になるとシャワーよりも浴槽が恋しくなる。なんと近所に自立生活センターがあって、障害者専用風呂があるらしい。私は早速その風呂を体験しようとしたが、入浴介助者がいないとNGであり、訪問リハビリのPTに頼んで入浴体験をした。やはり風呂最高! 病みつきになった私は、センターのスタッフを入浴介助にして、風呂に毎週入りに行った。センターの浴槽は2種類あり、機械浴と檜風呂である。私は断然檜風呂に入ったが、「ミヤマさん、機械浴も楽チンですよ」とお勧めされ、機械浴も試してみた。見た目は風情がないが、椅子に座って自動的に浴槽に沈めてくれるし、出るときも椅子から椅子へ移乗するだけだった。「わー、本当に楽チンだ。檜風呂の見た目に騙された。でも、なんで檜風呂なの?」。スタッフはにっこり笑って言った。「それは代表の好みだからです」。センターの代表は脳性麻痺で、自分では会話できないから「トーキングエイド」というコンピュータ状の機械を使って合成音声で文を読み上げている。私と同い年で酒が何より大好き。檜風呂も好んで入るらしい。典型的なおっさんだが、檜風呂というおっさんホイホイにまんまと引っかかった私も立派なおっさんである。

 現在、私が都営住宅のバリアフリーに転居したのは、劣悪な住宅事情から早く脱出したかったし、何よりここは風呂が広くてバリアフリー完備だからである。もう遠くの温泉に行かなくともいいし、好みの入浴剤も楽しんでいるが、最初はどうしたらより安全に浴槽に浸かり、身体を洗えばいいか、着替えはどこでどうすればいいかの試行錯誤だった。幸い、転倒事故はまだ起こっていないが、油断すると大事故になるので気が抜けない。単身の身体障害者の入浴タイムは、緊張と弛緩の連続である。

「さらばリハビリ」~(8)集団生活にもう耐えられない!

 回復期病院に入院して早2ヶ月、私は集団生活に耐えられないことを改めて自覚した。この病院は私が気に入って入院したわけじゃない。病院というか、もはや老人ホームである。小学校や幼稚園でもあるまいし、リハビリは個人差があるがそれを行う時間帯は同じ。食事も就寝起床も集団行動だ。私は年をとっても老人ホームには絶対に入らない。

 一人で生活できないからといって、どうして集団施設で管理されねばならないのか。起床するのも就寝するのも食事するのも入浴するのも、なぜ全員が決まった時間にやらねばならないのか。空腹を感じたときには食べるし、疲れたら寝る。そろそろ身体が汚れたら入浴する。なぜ個人の自由がないのか。それは単に「効率がいい」だけではないのか。入院患者がバラバラな時間を過ごしたら、職員は収拾がつかなくなるし、見守りの手が足りなくて危険だからではないのか。集団生活では「効率のよさ」は重視されるが、個々人の生活では「雑」で「手抜き」になる。工場で粗悪品を製造するところではない。集団は個人が抹消されるのだ。

 隣のボケジジイがジロジロ見て私は腹が立つ。視線の暴力に鈍感である。「目には目を」と地道に実践し、私も無遠慮に堂々と、憎悪と怨念と迫力と凄みとを込めて一気に睨み返す。視線を内部に入り組ませたとき、わずかでも視線を逸らしたら一環の終わりだ。私のメガネが面白いからか? オトコかオンナか区別つかないからか? そうやって視線の応酬と批判を繰り返す。「見られている自分」が悪いんだ、と責める。「見ている自分」はなんのコストもリスクもない。

 ボケジジイは幼稚化していて、脊髄反射的に“異物”か、あるいは“亡霊”を見つめる。集団生活になると私は決まって異端者になる。「みんなと違う」から「みんなと同じになる」無言のルール、ルールに違反した者はまるで異物のような眼差しを平気でやるというルールが、はみ出し者の私には理解できない。

 「目には目を」をモットーにする私は、やはり脊髄反射的に攻撃モードをシフトに入れ、「見ている自分(ボケジジイ)」に批判を向ける。鏡映しのように、目を逸らせなければ自分の醜い不躾な図々しい視線を目の当たりにする。「お前が怒らせたのは、じっと見つめているからだ。なぜ見るんだ?」と責める。静かな暴力も、いずれボケジジイに距離を詰めて、殴る勢いを見せる。「お前が俺を殴らせるのは、いつまでもお前見ているからだ」そう言って、もの言わずまっすぐに距離を詰めたら、ジジイは勝手に視線を逸らす。殴られると思うと、何かしら「見てしまった自分」に後味の悪いものを感じる。見たことを後悔し、戦慄し、もう二度と目を開くことはないと反省する。「見たら死ぬ、見たら死ぬ」私は最後にそれしか念じない。それが“亡霊”である。

 やはり、どいつもこいつも車椅子→二足歩行(松葉杖)になっていく。私はすでに挫折を感じていた。そもそも私の脚は弱くて内股で、全体のアンバランスが激しく(上体は大きく脚は細いハンプティ・ダンプティのようだ)、両脚が弱いからって片脚になるならなおさら弱い。ただでさえ左脚は弱いのに、そのうえ力が入らない、動かないとはいかなることか。動かなかったら、弱い筋肉がさらに弱くなるだけじゃないか。右脚が重心を受けてばかりで負担になり、早晩右脚が故障する。そうしたら、もう動きようがないじゃないか。

 ある朝、リハビリの際に湿布を交換したとき、右脚の棘骨が悪化している。青く変色していて、触ると少し痛い。レントゲンを撮るとナースに伝えたが、昼になっても検査しない。どうなっているのか。無視されたと思い、不信感は募る。

 だんだんと着替えにベッドへの起き上がりにと慣れてきた。初めのころは時間がかかるのが面倒で、一度着たり寝転んだりすると、もう一度同じことをやるのはうんざりしていた。労多くして益なし。左腕が引っかかったりすると、腕が麻痺していないころはスムーズだったのに、何も考えてなかったのにって、つい思い出を腐らせてしまう。

「さらばリハビリ」~(7)リハビリの算定日数

 患者の疾患名にはリハビリの算定日数が決められている。脳血管疾患等は180日、運動器と心大血管疾患は150日、呼吸器は90日である。

 その期間は1単位を20分として、1日9単位(180分)まで保険で認められている。毎日1~2時間くらいリハビリしていた患者が、算定を過ぎた場合、1ヶ月に13単位(260分)しかできなくなり、週3回20分程度に急激に減ってしまう。

 急性期や回復期の病院ならあまり気にしなくてもいいが、維持期の病院で疾患別リハビリを行っているほとんどの患者は、1ヶ月260分以下のリハビリしか受けていないのが現状である。

 私の場合、リハビリ期間は6か月である。急性期病院で2ヶ月、回復期病院で6ヶ月、入院期間はトータルで8ヶ月だった。

 算定日数は6ヶ月だが、介護保険の認定度数が間違っており(要支援1)、このままでは単身療養生活ができないので、再認定まで時間がかかったのだ。算定日数が切れた私の2ヶ月は暇すぎた。時間が余りすぎているが、当時は1人ではリハビリができなかったのだ。

 「要支援」と「要介護」はどのように違うのか。介護が必要な人を、その状況に合わせて5段階に分類したものが「要介護」で、それに対して介護は必要ではないものの日常生活に不便をきたしている人が分類されるのが「要支援」である。

 要支援1は「日常生活上の基本動作については、ほぼ自分で行うことが可能で、要介護状態への進行を予防するために、IADL(手段的日常生活動作)において何らかの支援が必要な状態」で、要支援2は「要支援1に比べて、IADLを行う能力がわずかに低下し、機能の維持や改善のために何らかの支援が必要な状態」である。

 言葉で区分されても違いがわからないが、私の場合は初めての単身在宅療養であり、訪問介護(ヘルパー)が入る時間が圧倒的に少なかったのだ。現在は週2回で1時間ずつの訪問介護が入っている(要支援2)。

 当然だが毎日リハビリがあり、食堂にある大きなホワイトボードに患者名と担当の療法士(作業療法士OT、理学療法士PT、言語療法士ST)の表が貼ってあり、夕食の後、明日の時間割を変更して患者たちはチェックする。まるで自動車教習所のようだが、時間になると担当の療法士が挨拶して、病室にいる患者を案内してくれるシステムである。

 PTとOTの違いを説明すると、理学療法士(Physical Therapist)は、座る、立つなどの基本動作ができるよう身体の基本的な機能回復をサポートする。寝返る、起き上がる、立ち上がる、歩くなどの日常生活を行ううえで基本となる動作の改善を専門に行うことから<動作の専門家>とも呼ばれている。骨折が修復された後、その部分の基本的な機能(動作)を回復させるために運動療法や物理療法などを行う。身近なところでは、「スポーツリハビリ」の分野において、怪我した腕や脚などの基本動作を回復させる役割を理学療法士が担っている。

 理学療法士が座る、立つなどの基本的な動作に対し、作業療法士(Occupational Therapist)は、指を動かす、着替えする、食事をする、入浴をする、など日常生活を送るうえで必要な機能回復をサポートする。「日常生活活動(ADL:activities of daily living)」ができるようになるための治療や援助を行うことで、仕事、趣味、遊びなど「元気な日常生活を送ってもらうため」のリハビリを支援する。たとえば、患者の趣味・嗜好を考慮しながら、手芸や陶芸を通して応用動作ができるよう支援し、社会的に適応していくためのリハビリまでサポートすることで、機能回復に加えて、患者さんが生き生きと生活していけるよう精神面のサポートまで行う役割を担っているのである。

 そして言語聴覚士(Speech Therapist)が対象とする主な障害は、ことばの障害(失語症や言語発達遅滞など)、きこえの障害(聴覚障害など)、声や発音の障害(音声障害や構音障害)、食べる機能の障害(摂食・嚥下障害)などがある。これらの障害は、生まれながらの先天性から、病気や外傷による後天性のものがあり、小児から高齢者まで幅広くあらわれる。

 言語聴覚士は、このような障害のある者に対し、問題の本質や発現メカニズムを明らかにし、対処法を見出すためにさまざまなテストや検査を実施し、評価を行ったうえで、必要に応じて訓練、指導、助言その他の援助を行う専門職である。

 いまは療法士の区別や特徴を充分理解しているが、当時の私はまったくわからなかった。特に、回復期病院では療法士の資格を取得したばかりの、要するに<療法士の卵たち>を相手にリハビリをするのだが、これがクソ小生意気なPTで、私はムカついて「療法士を変えてくれ!」と師長に訴えた。これは後述する。

 私の要求は通った。後任のPTはちびっ子で、患者のなかでは冗談混じりに<鬼軍曹>とあだ名されていた。私は院内の廊下で「よう、ちび」と挨拶していたが、あるときのリハビリで、マットを出して私に立ち膝をさせた。発症後、初めての体位だったので私は少々パニクっていたが、何かの弾みで両膝を折った座り姿勢になり、左膝がとびきり痛くて泣き叫んだ。ちびのせいでは決してないが、私は入院中こんなに辛いことがたくさんあった、これほど溜まっていたんだと気づき、思い出しては泣き続けた。ちびは黙って病室に同行してくれたが、彼女もビックリしたことだろう。

 私を担当したOTは、お婆ちゃん相手に無理で過剰な笑みを作っていたが、傍目でも笑顔が不自然だとわかっていた。そのお婆ちゃんがOTの親切さと優しさ、丁寧さに惚れ込み、「うちの息子の嫁になってほしい」とマジで懇願し、私は「いくら母親認定でもOTと息子は関係ないじゃん! これは女性に対する人権侵害だ! 暴力だ! 職場と家庭は待遇が全然違うし! 逃げ場ないし!」と、その平穏な会話を一人で突っ込んでいた。

 アメリカの病院にいたときは、麻痺した左側の皮膚があらかた浮腫んで水分過多となり、皮膚をつかむと組織液がにじんで痛くなった。いつの間にか痛みはなくなり、皮膚の麻痺は残っているが、つま先だけまだちょっと痛いような痛くないような微妙な感じだ。靴下を取り替えるとき、見た目は多少浮腫んでいる。痛いのを堪えてマッサージすると浮腫は軽減するらしい。その代わり、寝ているときに痙攣して自動マッサージになっているだろう(靴下を脱いで皮膚に触ったりこすったりするとまったく痛みは出ず、組織液はずいぶん引いていた)。中枢の力はついてきた。後は足首と腕(肩から指先全般)の末端部分である。

 現在(5年前)のOTは、私と同年代で話も合うし、経験を積んだ本物のプロだ。在宅訪問リハビリは利用者のリクエストに合わせて訓練を行うことができるので、いまの私は「近所の山へ散歩に行きたい、ゆくゆくは電動車椅子を卒業したい」とリクエストしている。卒業するまで長年かかると思うが、焦ってパワー系で歩行するより、奇麗なフォームを目指したい。マイペースで着々とリハビリしていきたい。そのため、いまは地味なリハビリ(インナーマッスルを鍛える訓練。派手なリハビリは外を散歩)と思って忍耐している。

 図書館やスーパーへ外出すると、どこかの老夫婦がリハビリ散歩をしている。車椅子に乗っていてリハビリ散歩するのはヨボヨボの爺さんで、それを見守るのが婆さんだ。私はそれを見て、「この爺さんは“純粋”にリハビリしているんだなあ」と思う。

 単身の私は生活しながらリハビリをする。たとえば調理や買い物だ。買い物はカートを持って歩きながら食材を物色し、野菜や果物は立って切り刻む。歩き回るより立ちっぱなしのほうが脚に負担がかかる。おそらくあの爺さんは身の回りの生活の世話を全部婆さんにやってもらっているんだろう。リハビリはただ歩くだけではない。近所のコンビニや病院に行くのも杖歩行で、私は転ばないように疲れないように注意しながら徐々に距離を伸ばしていくのだ。

「さらばリハビリ」~(6)脳梗塞と便秘の関係?

 尾籠な話で恐縮だが、発症以来、私はどうやら便秘のようだ。健常者のときは快食快便で、どちらかというと軟便気味だった。月経前に一瞬便秘になることもあり、月経が終わるとまた元通りになる。

 排便コントロールのグラフを作成すると、なんとなくパターンが見えてきた。数日まったく出ないことがある。お腹が張ってどんなにうんうん気張っても踏ん張っても、うんともすんとも言わない。おそらくこれは直腸のなかに超硬い便が詰まっているらしい。

 直腸に便がたまると、直腸の壁が押されて伸び、その刺激が脊髄の排便中枢を介して大脳に伝わり、「便意」を感じる。便意が起こると腹筋を収縮させ(いきんで)、便を押し下げ、肛門の内肛門括約筋と外肛門括約筋をゆるませて体外に便を排出する。

 脳梗塞の後遺症で、大脳に刺激が伝わらず、「便意」を感じないことがある。そのため便秘を起こしやすくなる。また、麻痺があると腹圧をかける(いきむ)ことが難しくなるため、便秘になることもある。

 あるとき、直前の便はどうなってるんだろうと便座を浮かせて手で触ってみるとびっくり。ごそっと乳児の頭、あるいは大のキヌカヅキ(失礼)ぐらいあるではないか!(私の手を開いてギリギリつかめる)。

 これは排便でなく出産である。というか、こんな糞詰まりがあったら出るはずがない。どうするこれ? ため息をつきつつ戦慄しつつ、ウォシュレットのボタンを押す。水圧の刺激で便意があるかもしれないとなけなしの希望がよぎる。そのまま一気に踏ん張り、腹筋で躊躇と便を一緒に押し出した。思ったより痛みは大したことなかったと安堵したが、便座を見てギョッとする。…こ、これは…私の肛門が…? と思いも寄らない直径の大きさにひとり感心する。

 それが数日つづき、突然、恐怖の臨月に。便意はあれど一向に出ず、一度にまとめてどっと出る。まるでウミガメの産卵。腹が張っても不快だし、トイレに行っても苦痛である。排便するたび出血していてはいずれ肛門ガンや直腸ガンになるかもしれん。

 深刻さは検索においてディープリンクにする。以前、「脳梗塞 便秘」で調べたら、「重金属」というキーワードが専門的すぎて訳わからんかったけれども、あらためて読むと、もうこれは美容整形という名にもとづいたオカルトの部類である(気になるかたは「重金属 便秘」でどうぞ検索してください)。私、重金属を吸収するバナナとかパクチーとか食物繊維たっぷりの青汁とか注文しなくてよかった! マイナスイオンとかナノメーターとかマイクロシーベルトと同じく怪しい部類だ。曰く、食物に微量ながら付着した重金属が体内に堆積して腸の動きの停滞化し、それによって便秘が起こる。てかこれ、脳梗塞と関係ないやん!(あります! 脳梗塞による自律神経の不十分な機能です! 重金属がそれを助長するんです!)

 後述するが、この病院で一番親しかった患者のOさんに便秘の相談をしたら、「そりゃ酸化マグネシウムだね。食事の前後に2錠ずつ飲むと便秘が解消するよ。多すぎると下痢になっちゃうから注意しないと。ナースに言えばいいよ」よっしゃ! これで便秘も解決だ!

 …とは思ったものの、1年に数回のパターンで酸化マグネシウムを服用するだけでは便秘することが判明した(酸化マグネシウムは1日6錠がマックス)。前述したが、おそらくこれは月経の前兆である。私は月経の前後に便秘や下痢が起こる体質なのだ。薬局でイチジク浣腸を買っておくが、半年後にはもう在庫がなくなる。先日、食物繊維たっぷりの寒天はお通じにもってこいだとラジオで聞いた。費用対効果はイチジク浣腸よりも寒天のほうがはるかに安い。寝る前に牛乳寒天をつくり、翌日デザート代わりに食べる。私はより快適なトイレット生活を送っている。

 寒天の種類は2つ。棒寒天と粉寒天。某寒天は水にふやかして千切って煮詰めてとの手間がかかるが、粉寒天は超お手軽である。鍋に沸騰した水や牛乳に混ぜ、タッパーに注いで冷蔵庫に入れるだけ(詳細は粉寒天の袋に書いてある)。三温糖やてんさいオリゴを混ぜると牛乳プリンのような食感になり、私のお気に入りである。ご飯を炊くときも粉寒天を入れておく。

「さらばリハビリ」~(5)高次脳機能障害の疑い、ここは刑務所か?!

「急性期病院と回復期病院は違います。なぜなら約1時間のリハビリがあるから、約束せずに見舞いに来ても、ミヤマさんは病室にいないことがあるでしょう。でも大丈夫、ミヤマさん専用のメーリングリストを作成しました。お見舞いにくる人もミヤマさんも利用しましょう」

 メーリングリストの作成者が言った言葉通り、「お仲間」の見舞いに来る頻度が減った。私はいつもカーテンを閉めっぱなしにし、ネットPCで検索してそれを読み、活用していた。個室ではなく6人部屋で、しかも私以外の患者は70〜80代のババアばっかり。あるとき部屋のババアがこう言った。「一緒に食事でも行かない?」「は? 結構です」と私は不快に思い、無表情に応答した。いい年こいてバッカじゃねーの? お前は連れションしたがる女子小学生か! それ以来、偏屈な私は相部屋患者と口も利かず、誰とも行動をともにせず、友だちはネットPCだけという、病院内引きこもりをやっていた。

 食事の時間になるといつも、ババアたちは団子になって食堂へ向かった。団子になったババアはゾンビだ。彼女たちが行った後、私はカーテンを開け、車椅子に乗って移動した。私の部屋から食堂は比較的近く、10メートルも離れてなかったが、食堂では毎日が女子会ならぬ団子ババアゾンビ会を開催していた。なかには新患のお婆さまがお一人で食事をされていたが、団子ババアたちは即座に新患のお婆さまをオルグしてゾンビ化し、即座に団子ババアのゾンビ軍団にとけ込んでしまった。

 彼女たちが何を話しているのか知らないが、だいたいは想像できる。毎日の天気の話と、入退院した患者の話、入院患者の噂話、テレビでやってる番組の話。後はつまらなくてくだらない話ばかりである。私はフェミニストを自称しているが、このときだけは孤独なおっさん連中に混ざってミソジニー女性嫌悪、女性蔑視)に溢れかえっていた。バッド・フェミニストである。

 食事は不味くて量が少なかった。当然だが、私のような糖尿病患者の食事療法と、高齢患者の食事内容とは違っていた。たとえば、私の食器にご飯が半分も盛られてなく、隣にいたヨボヨボの婆さんは食器のご飯が盛りだくさんである。栄養バランスはとれているが、材料が何かわからなくて食べるのに躊躇したおかずも多々あった。毎日ではないが、昼に出ているミートスパゲティは同量なので、安心して食べたことをいまでも忘れない(それでも食べるとすぐに腹が減る)。とにかく食べ物の恨みは強い、と私は思った。

 いま改めて思い出し、山田規畝子さんの「高次脳機能障害」関連本を再度読むと、「傷ついた脳はエネルギー・コントロールができないので、食べてもすぐ空腹になる。脳はそれだけ高カロリーを消費している」と書いてあった。なんだ、私が食い意地汚いのではなかったんだと安心した。

 回復期病院の食事の量が少ないときは、担当の栄養士に直談判していいと聞いていたし、食事の量が不足な患者は文句を言って改善してもらったと聞く。しかし私は言語障害があり、病院スタッフとの接触を極力避けていた。交渉するのがただただ面倒だったのもあって、闘尿病食の私は文句を言っても改善してくれないなあ、だったら黙って個人的に解消するしかない、と思っていた。

 老人用に介護食(とろみ食、やわらか食)もあった。嚥下や咀嚼が難しい患者は多い。回復期病院とは名打っているが、患者の実情を見ると老人ホームだった。それとは無関係だが、朝食後、病室のベッドで堂々とせんべいを食う爺さんがいて、看護師に怒鳴りつけられていた。傍目で見ると爺さんと孫だ。「何で食べたらいかんのだ!」との反論(逆ギレ)をして、それでも平気で食べていた。さすが爺さん、年の功である。

 入院して知恵をつけた私は一階に売店があることを知り、おにぎりや菓子パン、ジャンクフードは車椅子用トイレでこっそりと食べ、ヨーグルトやカロリーフリーなゼリーは堂々と病室へ持ち帰った。私はときどき買ったジャンクフードをトイレに持ち込んで速攻で食べている自分を鏡で見る。卑しい、情けない顔だ。ここは刑務所か何かで、いつ誰が食べ物を持ち込むのかじっと監視している。あるとき、新患のおっさんが売店でおにぎりを買うところを目撃し、ああ、空腹なのは自分だけではないんだ、と共犯者を見る思いがした。

 売店だけでは飽き足らず、私は隣のスーパーマーケットを見ていた。細い車道一本渡ったそのスーパーに行きたいながらも、病院は患者の無断単独外出を禁じていた。これも危険管理の一環である。同行者がいたら遠出ができるし、泊まりもできる。もしいまの私なら気軽に堂々とスーパーで買い物をするが、当時は刑務所の囚人の心境だった。私は一人で外に行ってはいけない、と禁止を内面化させていた。具体的にペナルティを恐れたわけではない。ただ、1人で外に出るのが怖かったのだ。

息苦しい。集団生活アレルギーマックスで窒息しそう。おんなたちは群れてしゃべりっぱなし、おとこたちはだまっているが、たまに出会うとおとこ2人でしゃべっている。おんなたちは、どうやら1人では不安らしい。あるいは、黙っていることが不安らしい。友だちというかしゃべる相手がいれば安心で、だからおんなたちはいつまでもだらだらとしゃべっている。鳥か魚の糞を意味もなく垂れ流している。私はそのノイズが耳に障って気持ちが悪い。逃げても逃げてもうるさくて気が立っている。気が狂いそうだ。超ストレス。

「さらばリハビリ」~(4)急性期病院から回復期病院へ

「急性期病院から回復期(リハビリ)病院に転院するけど、どこの病院がいい?」と川口さんに言われ、病院事情にまったく詳しくない私は困ってしまった。

 急性期病院とは発症した直後に入院し、治療対応する病院。

 回復期病院は、死亡時の遺体引き取り人、つまり「身元保証人」がいないと入院できない医療システムができている。

 私のような単身者はもとより、既婚者で子どもを持っていても現状は独居の人がトラブルになった場合、「身元保証人」システムから排除されてしまうからだ。死んでしまえば、遺族がいてもいなくても自治体(厚労省)管轄の福祉政策の一環として、「行旅病人」および「行旅死亡人」として市区町村の長が葬儀など埋葬・火葬執行を行うと定めているからまだましだが、仮に病気や事故で生き残った場合、その後の療養生活には誰にも頼れない。まさに生き地獄である。

「こんなクソみたいなシステムを壊すために、NPO法人が運営している“身元保証人”システムがあるよ」と友人が助言し、私もそのNPO法人にアクセスしようとしたが、タイミングよく新設した回復期病院が「身元保証人」なしでも入院OKなので、一度見学に行った。いいのか悪いのか私にはまったく判断がつかないが、他に選びようがない、ええい、ままよ、と私は承諾した。

 二〇一六年三月七日の毎日新聞の見出しに「身元保証人ない高齢者 入院・入所拒否は不当 厚労省」とあり、以下引用する。

[…]しかし、東海地方で特別養護老人ホームを運営する社会福祉法人の担当者は『病院での医療同意や利用者が死亡した後の財産処分などを考えると、身元保証人がいないと困る』と心境を吐露。高齢者の身元保証問題に詳しいNPO法人『シニアライフ情報センター』(渋谷区)の池田敏史子代表理事は『厚労省の対応は当然で、施設側は入所時に何が必要で、(身元保証人がいない場合は)何ができないか、整理すべき時期に来ている』と指摘した。

 厚労省は「指導や監督の権限がある自治体に対し、不適切な取り扱いを行うことのないよう対応を求めた」というのが同日の毎日新聞のwebニュースで出ている。私のような中年単身者の生き残りが救われるのは、まだまだ先である。

 いまは退院して9年が経ち、介護事業所の変更や更新に伴い契約書に書名・捺印するが、書類にもやはり「(死亡時)受取人」の欄がある。私の両親(ともに後期高齢者)は北海道に健在らしいが、もしも私が死んだとしても両親は体力的に東京には来ないだろうし、実際に何の役にも立たない。そもそも父親が「東京やススキノのような都会には情報量が多すぎてキャパシティオーバーでパニックになる」という老人だからだ。実質の「受取人」は担当のケアマネになっている。死んだ後のことなど当人には何の関係もないが、当人の関係者が「責任」を取るらしい。それも仕事の一環だろう。

 転院先から到着した私は、荷物の整理、主治医や療法士の面談と、回復期病院の構造やリハビリのシステム説明を受け、くたくたになり、夕食前に一眠りするかとベッドに横になった。当時は自覚がなかったが、小一時間相手と話すともう脳が疲労状態になり、疲れて何も考えたくなくなってしまう。たった一人で車椅子で長時間外出するならまだしも、自宅の電話で友人と雑談しただけで、その日はぐったりして開店休業状態なのだ。脳疾患は疲れやすい。

 仮眠のつもりが、いつの間にか私は熟睡しており、担当のナースが夕食になっても来ないと心配して病室に入り、私を起こそうとした。しかし、私の意識ははっきりしており、このように記憶もしっかりある。でも身体がなかなか起きようとしない。周囲ではナースたちが慌て、主治医が瞳孔反応を見ようとライトを当てて私の瞼を開いた。「瞳孔が反応しない」主治医は言った。「ええ? でも私の意識はあるし、なんで身体が動かないの?」とパニクった。一人のナースは足指2本をぎゅっとつかみ、主治医はさらに瞼を開こうとする。これを同時にやられるととびきり痛い。私は動かない身体を一生懸命に動かそうとした。でもなかなか動かない。苦しくはないけど、とにかく痛い。その瞬間私は起き、「痛い!!」と叫んだ。イライラと怒りの叫びだ。傍目にはわからないが、長いあいだ水のなかを潜って水面上に「プハッ!」と息を吸うイメージである。

 回復期病院ではMRICTスキャンもないので、詳しいことはわからない。そこでナースたちは私を救急車に乗せて設備のある以前の急性期病院に向かった。その道中では、ゲイ男性のナースが私のカルテを読み、「ちょっと、これ見て。トランスジェンダーって書いてある…」と確かに言った。私は目をつぶって担架に横たわっていたが、意識は明確にあった。

 フロリダの病院では、ナベシャツを着てスキンヘッドの私を「トランスジェンダー」だと勝手に判断し、カルテに記入した。入院中、ボランティアが数人やってきて、「私たちはレズビアンなの。何か困ったことはある?」と私に訊き、私はあまりに嬉しくて思わず大爆笑してしまった。これも高次脳機能障害のせいであるはずだ。ボランティアたちは私にバカにされたと思い、二度と来なかった。心残りがあるとすれば、もう一度レズビアンのボランティアに会って、あのときのことは誤解です、と謝りたい。私はいまも猛省している。

 一方、日本の病院では、カルテに書かれた診断名(?)を無視するナースがいる。それもゲイ男性のナースだ。これはどう考えるべきか難しい。というのも、私は女性のトランスジェンダーの患者で、彼はゲイのナースだ。私がカムアウトしているのかどうか彼は知らない。もしかすると性的マイノリティに関して敵対する関係かもしれないし、恊働すべき関係かもしれない。

 ただ私が言いたいのは、彼はプロの「ゲイのナース」ではない、ということである。この場合のプロは、ゲイだけにかかる。つまり彼はオネエ言葉でゲイアピールしているだけの、政治性皆無のゲイゲイ詐欺だ。老人患者相手で女性ナースばかりの職場環境にナースとして円滑な関係を築きたくてアピールするなら、それは彼の選択である。私個人との関係は無視するにしても、ここは病院で私は患者だ。しかも性的マイノリティの患者である。その患者を少しでも快適に暮らせるように、私がここで何を望むのか、困ったことは何か、彼に解決できるのか、彼がどう振る舞えばいいのかなどなど、彼は私に一度も打ち合わせをしなかった。金返せ! このド素人ナース!

 結局、以前の病院に戻ってCTスキャンを撮ったが異常なし。私はその病院で一晩過ごして帰った。おそらくその発作のようなものは高次脳機能障害の一症状が原因である。自己判断するしかないが、これらの症状を「一時性ロックトイン(ロックトイン・シンドローム:閉じ込め症候群。意識ははっきりしているが、自分の意思を表現する手段がなく、厚い壁の部屋に閉じ込められた状態。身体も動かず声も出ず、最終的に目は開いてるが眼差しが動かない)」と呼ぶならば、私は回復期病院で数回この症状を起こしている。身体は眠っているが、意識は覚醒しており、食事のときにナースが無言で私を移動させ、私は食事のテーブルにつきながら身体は動かないという不思議な症状だった。脳に異常がないならば医療従事者は対応しようとしない。「一時性ロックトイン」が起こった私は人形のように運ばれ、食事終了時には病室に戻され、後は放置されるだけだった。脳の機能は複雑であり、傷ついた脳はさらに複雑な症状をみせる。ただ、数値やデータには一切異常は見られないから治療方法はない。患者である私は悲しいが、看護し治療する者たちは悲しくないのだろうか?

「さらばリハビリ」~(3)セクシュアル・マイノリティの身体障害者

 某病院には、リハビリの療法士にトランスジェンダーがいるらしいとの噂があったが、その人がカムアウトしているとは私には思えず、退院(脳疾患患者には急性期病院と回復病院があり、前者のことである)するまで一切会わなかった。仮にばったり会ったとしてもフルチューンナップしたトランスジェンダーでも私はリードできる、と自信があったが、どうやら彼/女はパスしたらしい。というかリードを恐れて私に近寄らなかったのだろう(パスpass/リードreadとは、トランスセクシュアル業界において、身体の性別以降中のトランスジェンダーが、外見や振る舞いを含めて希望する性genderで、他人が見て疑問を感じないほど社会に通用していることを「パスする」といい、反対に、生得的な性から転換していることを周囲に気づかれてしまうことが「リード」である。また、これらはアメリカのトランス業界から輸入した言葉であり、日本のパス/リードはある種の「方言」である)。

 ゲイやレズビアンバイセクシュアルはカムアウトしなければ当然パスするが、トランスジェンダー異性愛強制社会においても、日本の医療現場においても生き残るのは困難だ。そのトランスジェンダーは療法士の資格はあるが、もし誰かがリードして職場にアウティングしたら、病院に解雇されるかもしれない恐れ、病院ではもう勤められなくなる不安、自分への職場の眼差しが耐えられなくなる恐怖があるからだ。

 私は「毎日がひとりプライドパレード」とも言える性的マイノリティで、初対面でも「どうもー、ノン・ヘテロですー」と平気で挨拶するのだが、「お仲間」たちは政治的により敏感だ。半分遊びで半分大真面目、ときには他人事のように、ゲイゲイしいレインボーフラッグ(キラッキラのラメ入り)を私のベッドの壁に、それこそ目立つように飾った。2011年の日本では、レインボーフラッグの意味がわからないか、わかっていても無視するのか、あるいは超多忙でいちいちコミットできないか、コ・メディカル(和製英語英語圏の正しい名称はパラメディカルparamedical)も含めたスタッフ全員、私に「おや? あなたは性的マイノリティですね♪」と声をかける人はいなかった。後述するが、これがアメリカと日本の違いである。年に一度、渋谷の道路を練り歩くだけでは済まされない。病院こそが、スタッフを医療教育して性的マイノリティの患者たちにもオープンでリラックスした空間をつくるべきだ。

 北緯24度のフロリダ州の病院は、寝汗かくほど自分の身体が臭いと感じたが、北緯35度の東京は真冬で、日中の室内でも震えるほど寒かった。フロリダを日本にたとえると、最西端の与那国島とほぼ同じ緯度だ。沖縄は緯度がはるかに高い。どれだけ暑いかフロリダへ行ったこともない人でも想像ができるだろう。

 さて、いよいよ入浴の時間である。私のような脳疾患患者の場合、再発作(再発)や合併症を恐れて一定期間の安静をしなければならないが、一方で衛生面のケアも必要である。そこで機械浴の登場だ。

 機械浴とは、全裸の患者を自動で温シャワーをするもので、事前にナースたちがボディ・シャンプーをつけて患者の皮膚をブラシで擦ってアワアワにするというものだ。患者を自動車にたとえると、その仕組みを理解してくれる人もいるだろう。だが当然、私は患者であって自動車ではない。ノン・ヘテロの私をナースたちが丁寧に洗ってくれる様子は、まるで性風俗でサービスを受ける客のように興奮したものだ。ナースが「次は機械浴です。準備しましょう」と呼ばれたら、私のなかでウハウハな気持ちが止まらず、ニヤニヤも止められなかった。

 まず、ベッドで衣服を脱がし、体位変換してストレッチャーに移動する。ベッドからストレッチャーに移乗するスライディングシートの濡れた冷たさもいざ知らず、気分はパラダイスへGo! とウキウキである。その日機械浴を担当したベテラン・ナースが、「ミヤマさんて、お肌スベスベですね」と言ったので鼻血ブーだぜ! もっとも、機械浴の患者はみんなヨボヨボのババアばっかりだから、私の肌を錯覚してスベスベだなんて言ったのかもしれないが。

 話は前後する。世田谷区議会議員の上川あやさんとは、数年前に彼女の職場を取材・撮影していており、私はビデオで編集して依頼人にデータを送った。依頼人は「日本のフェミニストレズビアンをビデオ・インタビューして世界にデータを送りたい」と言っていた。当時は区の公衆トイレをオストメイト人工肛門保有者・人工膀胱保有者)の導入に力を注いでいた彼女だが、彼女がそこまで公衆トイレを平等にするかが過去の私にはわからなかった。

 彼女の紹介から「バリバラのディレクターに会ってみませんか?」と訊かれ、私は即OKした。ディレクターから「一度打ち合わせしたい」とメールがきて、出かけて行った。あれは私が退院した翌年(2012年)の夏で、言語障害が残っているからしゃべりにくいとか、他人には聞き取れないとか、脳が疲労するとか言いながら、私は脳梗塞発症のことと性的マイノリティの思い出を話している最中、超混乱して何度も何度も号泣した。打ち合わせを中断して号泣する私を、ディレクターは待ち続けた。悲しい辛いからでは決してない。これも後述するが、高次脳機能障害が原因だった。

 まず、私の生活する様子や、上川さんとパートナーと3人で居酒屋談義する様子を取材した。ニコチン摂取は毎日するが、アルコール摂取は久しぶりなので、いつものようにビールと日本酒を飲んだ私は具合が悪くなってトイレでリバースした。上川さんは私をトイレまで連れて行って介抱した。なんて心優しい人なんだろうか。

 スタジオ収録は大阪だった。私は同行取材する友人と一緒に新幹線に乗り、出演する性的マイノリティの障害者たちと出会い、バリアフリーのホテルに一泊した。ホテルからテレビ局のスタジオ移動は、すべて車椅子用の小型バスである。さすが天下のNHK。旅はいいもんだぞ。

 バリバラの収録からしばらく経った後、私は気になって彼女の本(『変えていく勇気—「性同一性障害」の私』(2007年、岩波新書))を改めて読んだ。学生のころから障害者に気持ちを寄せていたことがようやくわかった。

 その後、上川さんとパートナーに誘われ、晴天のなか隅田川水上バスに乗ってビールを飲み、「最新車椅子のシンポジウム」に参加して、車椅子で階段を上る方法や車椅子に座ったまま立ち上がるマシンの試乗をした。健常者こそ障害者の生きかたの知恵や情報に関心を持たねばならないと私は思った。

 「バリバラ」出演がきっかけで、私は「性的マイノリティの障害者って全国にどれくらいいるのかなあ?」と疑問に思った。発症時「このまま一生セックスできねーな」と心のなかでつぶやいたことを覚えている。

 退院して、病院の外の世界で生活すると、障害者のアイデンティティが私にはあるのかどうか、ひじょうに迷った。性的マイノリティのアイデンティティは20代前半ですでに持っていたのだが、この2つのアイデンティティについて、折り合いをつけることがしばらくできなかった。車椅子に乗っている私は「中年の女、もしくは外見のみおっさん」として見られがちで、見た目はそんなに変わってないのに、初対面の人は私を「異性愛者の独身女」と理解してしまう。そんななか私はスキンヘッドにし、ゆくゆくはピアスを2個し、車いすにステッカーを貼って、微かな抵抗をした。

 コミュニティは、性的マイノリティも障害者もすでにあるが、片方にいると片方は忘れられる始末である。もともと私はコミュニティに所属しない野良でずっとやってきているから平気だが、もしかすると、なかにはどちらの場合もカムアウトできず悩んでいる仲間がいるのかもしれない。

 特に女性障害者たちは、性の人権を剥奪されている。知的障害女性は思春期になると月経が始まって、異常に興奮したり、暴れたり叫んだりしている。介護する親も大変だと思うが、なかには子宮をまるごと切除されたケースもある。

「アシュリー事件」という有名な事件をご存知だろうか。原因不明の脳症による発達障害を持つ、1997年生まれ、シアトル在住の児童「アシュリーX」に対して実行された医療処置がアシュリー療法だ。当事者の精神、身体が生涯的に乳幼児レベルであると診断されたことを基に、当事者の健康状態、人生の質(QOL)を維持するため、および介護を行う両親の負担軽減のために、エストロゲン療法による成長減衰、子宮摘出、乳房芽切除、虫垂切除術、盲腸切除が行われた。

 アシュリーは2004年7月(当時6歳)、両親が思春期を迎えることを考慮し、その療法を受ける。2006年12月、成長板の活動停止を進めるために行われていた、皮膚パッチを使用したエストロゲン療法を終了。翌年1月、両親が匿名でブログを開始した。障害児をもつ児玉真美さんがこのブログを見つけて「アシュリー事件」と名付け、同年5月より、ブログ「Ashley事件から生命倫理を考える」を開設し、多大な反響を受けた。

 また、私は脳性麻痺のゲイ男性と知り合いである。彼の場合はクローゼットだが、花田実さんという脳性麻痺のゲイ・アクティビストを教えてもらった。花田さんの活動時期は1990年代と2000年代であり、2002年5月31日に亡くなっている。死因は不明だが、パソコン通信時代の花田さんの知人曰く、自殺ではないか、と語っている。

 花田さんのアクティビスト活動はほんの数年だ。おそらく花田さんは「脳性麻痺のゲイ」をアピールして、たった一人でも仲間に出会えたかもしれないが、その希望はかなわなかった。花田さんが活動した日本の障害者たちはほとんど彼に共感しなかったのだろう。そうか、もし花田さんが生きていたら、私は彼に出会い、多くのことを教わったかもしれない。花田さんの主な活動は執筆で、「生存学研究センター」で検索すると彼の考えかた、生きかたが見えてくる。

 私は当初、花田さんについてインタビューする映画を撮りたかったが、いま生きて悩んでいる性的マイノリティ障害者たちを取材し、ドキュメンタリー映画を製作中だ。「東京編」「大阪編」まで構想しているが、これからまだ誰に出会うかわからない。とりあえず「東京編」は2018年、「大阪編」は2019年に公開予定である。ただし、一般の劇場ではなく、上映会形式で開催予定だ(予定は未定)。