「さらばリハビリ」~(31)患者を支配・管理しすぎる医療のシステム
いまからおよそ30年前、大学の入学手続きのため田舎の病院で検査を受けて健康診断書を作成してもらったとき、医者から「あなたは糖尿病ですね」と診断された。特に治療薬の処方もなく、いまのように食事療法もなく、診断されても何も手の施しようがなかった。それに、近所にヤブ医者という噂が出る医師の言うことは話半分であった。
それから数年後、40歳の私は脳梗塞で倒れた。アメリカの病院ではインシュリン注射をしていたようで、気づいたら左腕に注射の跡がいくつもあった。インシュリンキットは荷物と一緒に運ばれたが、ここ日本では主に投薬治療と食事療法をしており、私も治療を受けていた。
「糖尿病は完治しない」と巷では言われている。理由は「死滅した膵臓ベータ細胞(インシュリンを分泌する)は再生しないから」。疲弊した膵臓ベータ細胞は、時間はかかるが、ある程度回復する。
糖尿病の病態は個人差が大きく、「膵臓に異常はなく、インシュリン分泌量は足りているがインシュリン抵抗性があり、インシュリンの効きが悪い」「インシュリン分泌能がある程度傷んでいて、現状ではインシュリン分泌量が多少不足しているので、投薬によるインシュリン分泌を促進してやる必要がある」「インシュリン分泌能がかなり傷んでいてインシュリン分泌量が足らないため、外部からインシュリンを補ってやる必要がある」という具合である。
そういうわけで、診断時点でどの程度インシュリン分泌能が痛んでいるか(膵臓ベータ細胞が生き残っているか)によって、その後の治療方針や経過がかなり異なってくる。
入院中は強制的に投薬治療と食事療法を受けていた。「退院したら思う存分食うぞ! 飲むぞ! 吸うぞ!」とウキウキし、退院して最初に入ったコンビニで煙草を買った。久しぶりに吸った煙草の味は格別に美味かった。
在宅療養の最初は訪問医が来て、血圧計、サチュレーション(酸素飽和度)、体温計と聴診器を当てて帰っていった。翌年、就職のため通院に変えてもらった。近所の病院では定期的に血液検査をし、主治医が「ヘモグロビンA1c(エーワンシー)が高いね。いまは7.4パーセントだが、10パーセントを超えたら、ミヤマさんは自分でインシュリンを打てないから入院するほかないね」と言った。主治医は患者に優しく伝えたつもりだったが、私は「入院はもういやだ!」と恐怖に戦き、自堕落な食生活が急遽、野菜中心の粗食生活となった。
ヘモグロビンA1c値とは、赤血球中のヘモグロビンのうち、どれくらいの割合が糖と結合しているかを示す検査値である。ふだんの血糖値が高い人はヘモグロビンA1c値が高くなり、ふだんの血糖値が低い人はHbA1c値も低くなる。過去1〜2ヶ月の血糖値の平均を反映して上下するため、血糖コントロール状態の目安となる検査で、多くの病院の糖尿病外来で毎月測定されているようである。
現在は私も糖尿病の知識をつけ、ネットで「白井田七」という漢方薬とヤクルトの「私青汁」を買い、毎朝これらを飲んでいる。これでヘモグロビンA1cは6パーセント台に安定した。膵臓ベータ細胞が完全にやられる前に完治してやる!
就職はしたものの、契約社員の私は給料も少なく、不足分は生活保護で賄っていた。これじゃあ働いても働かなくても収入は変わらない。最初は編集の仕事をするはずだったが、会社トップの営業ツールの名刺代わり、派手で下品な赤い(ギョーカイでは「キンアカ」という)本の制作だった。夕方には素人の投資家志望がパラパラと集まり、どこに投資するのが損か得かを吟味していた。比較的税金の安い国に起業し、自分の会社は自動的に監査役に収まっているんだから悪どい商売である。金勘定の会社も雰囲気は悪く、入り口には怪しいポエムを掲示している。トップは嘘つきで強欲だった。半年経たずに私は会社を辞めた。そもそも私には団体や組織、集団が合わなかった。
相変わらず生活保護の日々。しかし、生活保護受給者は強制的にジェネリック医薬品にさせられた。ジェネリック医薬品とは、新薬と同じ有効成分で作られ、「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」にもとづくいろいろな厳しい基準や規制をクリアした薬である。効き目や安全性が新薬と同じだと認められてから発売される。開発にかかる期間が新薬と比べて短い分費用が安くて済むため、価格を安く済ませることができる。
私が処方されたのは、糖尿病の治療薬と睡眠導入剤だった。眠剤は、どうしてもベッドで熟睡できないから私が要求したものだった。その眠剤がジェネリックに変えさせられ、私はしかたなく飲んだ。すると、てんかん発作のようなものが私にあらわれて、このまま飲み続けたら危険だと思い、さっそく眠剤を変えてもらった。
このころの私は転院して間もないときであり、近所も知らないのでネットでマップを調べた。そう遠くない場所に「東京都障害者スポーツセンター」があることを知り、主治医に「行ってもいいか?」と相談した。主治医は「ミヤマさんは血圧が高いからスポーツはNGだね。水泳はOKだが」と答えた。
さっそく私は散歩がてらにセンターへ行き、見学を行った。2階のロビーでプールを見る。それから1階の受付相談に降りて職員に相談した。
何を隠そう、小学校のころの私は競泳選手だった。母のお仕着せだが、道内の水泳大会に出場してメダルやトロフィーをもらったことが多々あった。大人になってから一人でふらっと市民プールに行き、優雅に黙々と泳いだ。休憩から休憩までずっと泳ぐこともできた。水着に着替えることも抵抗ないし、片麻痺になったとはいえ、水に浮くことはできるだろう。ネットで水着と水泳帽を注文した。着替えること自体は面倒だが、この身体で泳ぐことはできないだろうかと考えた。
最初は職員の指導でプールサイドからはしごで昇り降りし、簡単な歩行をレクチャーしてもらった。職員が去った後、まず私は片手片足のクロールをトライした。溺れるかと思ったが、25メーターのプールは泳ぐことができた。ビート板を持ちながらバタ足をした。キックターンは足指が壁にぶつかりそうで怖くてできなかった。泳ぐ型はクロールしかできないが、それでも満足だった。夏は涼しくて気持ちいいが、冬は着込むのが面倒で行かなかった。夏が来たらプールに通った。
主治医は人格的には立派だったが、通院して数ヶ月経ったころ、突然ケアマネと訪問リハビリのOTが慌てて、「ミヤマさん、ベッドを買わなくてはなりません。主治医が勝手に介護用ベッドを廃止してしまいました!」と報告した。いくら主治医と言っても患者の意見を聞かずに無断で変更するなんて、やっぱり医者は自分勝手で嫌いだ。ベッドがなくなる前に、超安値のベッドを検索した。ネットショッピングなら任せておけ! 私は楽天でシングルベッドを8000円でゲットした。
しかし、環境が変われば身体も変わる。転居したころは市販のシングルベッドで事足りたが、そのうち背中が痛くなり、一度エアマットをレンタルしたがそれでも身体がだるくなり、現在は介護用ベッドに逆戻りである。幸い、転居して主治医が変わり、医師の指示書が変更された。実はケアマネが優秀なので、利用者優先で説得に応じたのである。