映画『悪童日記』は臨場感あふれる作品だった
公開初日、観てきた。
http://akudou-movie.com/
アゴタ・クリストフの小説は、出版当時話題になり、オデは今まで三度読んだ。
続編の『ふたりの証拠』『第三の嘘』、その三部作の著者が初めて語る半生『文盲』も読んだ。
当初は、「アガサ・クリスティーじゃないの?」という噂もあり、まったく無名のハンガリー出身の「難民作家」は、50歳で『悪童日記』を出版してフランス語文壇デビューを果たす。
21歳のとき、ハンガリー動乱が起こりオーストラリアに脱出し、スイスに定住した。それから、繊維工場で働きながらフランス語を学んだ。
映画化権を獲得したヤーノシュ・サース監督は、その獲得3日目に生前のアゴタ・クリストフに会い、監督の全作品を観た彼女はゴーサインを出したのである。
彼女の作品は、戦争による亡命体験を交えているが、あえて言うなら創作である。でも監督は、「本当に起きた出来事のように撮りたかった」と言っている。
実際オデは、その場にいるような臨場感を抱いた。特にハンガリー語を話す双子の美少年を探すことに苦労したと言う。制作には10年かかったそうだ。
小説の解釈はさまざまだが、アゴタ・クリストフは戦争の悲惨なトラウマ体験を、自ら解毒したのだと思う。その筆説しがたい思い出を克服するのに「もうひとりのアゴタ」が必要だっのだ。
現在なら、ネット機能の効果で「もうひとりの自分」を見つけるのは、比較的容易だ。でも彼女は、空想のなかで「もうひとりのアゴタ」をつくった。
(それを安直に「逃避だ」と言う奴は、事の次第を全然理解していない!)
だから、「ふたりなら、どんなに空腹でも、寒くても、痛くても平気だ」「でも、ひとりになるのは辛い」のだ。