3回目の報告と4回目のお知らせ

デルG読書会3回目は、12人も参加者が集まりました。初めましてのかたもちらほらと。いつものようにおやつの充実したテーブルでレジュメを読んだり、みんなで感想や思ったことを言い合ったりしました。

第5章は「『レズビアン』差別が見えない理由」。もしも男性同士が手をつないだり腕を組んだりしながら街を歩くと、周囲は奇異の眼で見るものと思われますが、女性同士が同じことをしても「仲がいい証拠」として友情認定しかされないケースが多いはず。でもそれは、この社会がレズビアンに寛容だからではありません。実は女性差別にもとづいて「見て見ぬふり」をして女性同士の親密な関係やレズビアンを軽視している、というのです。

「わたし、差別されたことなんてありません!」というレズビアンがいたら、この章を読むといいと思います。「差別されたことがない」のは、差別や偏見に直面するようなシーンを避けてきたからじゃないですか? だれに対してもオープンに「わたしレズビアンです!」と名乗ってきましたか? 家庭でも学校でも職場でも病院でもカルチャースクールでもスポーツクラブでも冠婚葬祭シーンでもわけへだてなく?

しかし、「レズビアン差別が見えない理由」というからには、それを見えにくくさせている社会の不文律的な制度があるのではないか、という方向には話は向かわず、女性同士で関係を構築している、その二者間の閉塞性に話が移行してしまいます。その閉塞性とは、社会におけるレズビアン差別/嫌悪が、ほかでもないレズビアン自身の心に及ぼすもっとも大きな影響だというのだから、社会がもたらすレズビアン差別/嫌悪とはどのようにして生じているのかを検証すべきなのではないか、という意見が出ました。

第6章は「女と女」の可能性。端折って言うと、「女性同士の関係はすばらしい!」というもの。読んでてすげーしんどかったです。あまりにしんどくてレジュメ途中で放棄しました。わたしがLコミュニティに顔を出しはじめたのは2005年あたりですが、「同じレズビアン同士だからという理由だけでは連帯できない」という意識からスタートしたので、諸手を挙げて「女性万歳!」みたいな雰囲気にはとてもなじめません。

もちろん、この本が出版されたとき、こういうことを言わなければならなかった時代の空気とか、当時のオープンリーレズビアンとしての責務みたいなものはあったでしょうから、手放しの賞賛ではなく一種の戦略だったのかもしれません。でも、本の前半で選択的レズビアンが主張する「女性同士の関係のすばらしさ」を批判しておきながら、結局言ってることは同じなのですよ。ならば、部分的にでも選択的レズビアンの主張に同意すればよかったのではないかと思います。

読書会の後のお食事会は「牛タン専門店 四郎 新宿分店」へ。とても美味しかったです。ちなみに前回のお食事会は「随園別館」でした。こちらもたいへん美味でした。つぎはどこへ行こうかな。

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第4回 デルG読書会 
2010年9月21日(火)19:00〜 @コミュニティセンターakta 飲食持ち込みOK

使うテキスト:掛札悠子『レズビアンである、ということ』(1992年、河出書房新社
読む章:教室の中の同性愛者(7章)、ひとつではない「性」を探す(8章)

いつものごとくミヤマがレジュメ切っていきます。心が折れたらできないかもごめんなさい。そのときはみなさんでフォローしてください。当日飛び入り参加も歓迎ですが、事前参加表明(ついでに本のコピーほしいとか)してくださるとレジュメやコピーやらを事前に準備できるのでありがたいです。お気軽にご連絡ください。カンパも受付中です。