「さらばリハビリ」~(17)「リハビリはやっただけ回復する」の嘘

 私が回復期病院に入院して2ヶ月くらい経ったころ、一人の老婦人が車椅子に乗ってあらわれた。彼女は大きなフレームの眼鏡をかけ、総白髪のショートボブのヘアスタイルで、まるでフランス辺りの映画プロデューサーみたいと私は思い、興味を持った。私は彼女に話しかけ、私と同じ脳梗塞を発症した、と言っていた。

 しかし、入院して間もないころ、彼女は唐突にスタスタと歩いていた。彼女に何が起こったのか担当のPTに訊くと、「寝ていたときに治ったのかもしれませんね。でも急に歩いたら転ぶかもしれませんから、歩行練習をしているんです」と答えた。

 退院する彼女に訊くと、「確か寝ていたとき、手脚がピクピク動いたんです」と答えた。Oさんの説とぴったり重なった。「私も寝ているときに治らないかなあ」と笑ってつぶやいた。

 渡辺一正『再起する脳 脳梗塞が回復した日』(2010年、幻冬舎ルネッサンス)やジル・ボルト・テイラー『奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき』(2012年、新潮文庫)を私は図書館で借りて読んだ。なんだ、単なる自慢話じゃねえか、奇跡は奇跡でもプラスの奇跡かよ、マイナスの奇跡はたくさんあるぞ、と私はムカついた。本物の自慢なら「脳卒中になった私はリハビリなしで偶然回復した!」っていう本を出さないと。

 でも実際、「リハビリなし」で完全回復した患者たちの本はまったく出されない。それも事実だというのに、「努力、根性、血と涙と汗、そして驚くべき奇跡! 感動の実話!」というありきたりなドラマがないと読者諸氏は金を出さないから出版社の編集者はやる気が出ない。読者は最初から「こんなストーリーが読みたい!」と欲望している。欲望しないドラマは存在しないし、脳疾患患者たちは「リハビリなし」で退院した者たちを現場で目撃しているのに、まったく見ようとしないし、彼らも沈黙したままである。このように「リハビリ信仰主義」は互いを自己洗脳しようとしているらしい。まったく恐ろしい世のなかである。

 現在、私を在宅訪問の担当になっているOTはこう言った。「以前担当した高齢者は、脳疾患でリハビリする努力の人でしたが、真夏の炎天下も散歩しようとして再発しました。汗で水分を急速に失い、血中濃度が高くなったと思います。無理なリハビリは死にます。でもご本人は全然無理だと思っていません。努力するのはいいんですけど、死んでしまったら、もっと深刻な後遺症になったら本末転倒じゃないですか」。

 私も強く同意する。かつての高齢者は、高度経済成長期に働き盛りだったに違いない。定年退職後に脳疾患に倒れたが、かつての成長期を信じてリハビリで復帰しようとする姿が目に見えそうだ。でも成長期は終わって、現在は世界的経済不況である。さて、リハビリ信仰主義の諸君、働き盛りの脳疾患予備軍の諸君、あなたたちはいったいどうするのだろうか。「いくら頑張っても成果が見られない」ことは現実なのか、それとも幻想にすぎないのか。