成宮寛貴にならなかったわたしたち

昨日、新宿某所で某学問系のイベントに行き、知人と会ったオデは「成宮寛貴っていままで全然興味なかったけど、突然の引退でちょっと驚いたよ」と話したら、知人は「なぜかわたしたち(Lカップル)のあいだに俳優のファンがいると必ず彼はゲイになっちゃう」と笑い、「でも、生い立ちから考えると、自分で想像しちゃうなー。彼、確か沖縄出身でしょ? それで中学卒業して、弟を食べさせなきゃならない、東京へ行って二丁目に来るしかない、って、後は自分の想像通り」

「ああ、確かに」とオデは答えた。オデはディープでダークサイドな二丁目は詳しくないが、それでも二丁目デビューした若いゲイの子たちって、何となく悲惨な状況にあることだけは想像がつく。某活動団体は「二丁目以外の場所で会い、話し合う」と言っていたような。これでBL好きなら深くインタビューして悲惨な事例を多々挙げられるが、オデはチンコにはまったく興味ないノン・ヘテロなので、活動ゲイ男性たちのほとんどが「きれいごと」しか言わなかった印象がある。

いま「ほとんど」と書いたが、例外はあるようだ。「公園=ハッテン場」問題や「セイファーセックス」、「ゲイの売春夫」などがそうである。公園以外のハッテン場も、噂で聞いたことがある。「いいなあ。わたしたちにもハッテン場がほしい!」と羨むような“性的に活発な”レズビアンたちもいて、クラブイベントでせいぜい「お持ち帰り(ワンナイト・スタンド=割り切りの、一夜限りのセックス)」するくらいだろう。

ちなみにオデは、ワンナイト・スタンドは一度だけある。相手がホテルに誘い、相手がオデのマンコをいじり、相手のマンコはNGという、なんとまあ可愛らしくてしょぼくれたこと。それでも女子のSTD(性感染症。*性病ではない)はほとんど聞いたことがなかった。ヘルペスを移した移された、くらいなもんかなあ。

現在「LGBT」という言葉があり、この表現はまるで「レズビアンとゲイとバイセクシュアルとトランスジェンダーは一緒!」のような魔法の言葉だが、実際には全然違う。レズビアンやゲイはバイセクシュアルを「裏切者」と名付けるし、トランスジェンダー性同一性障害とは解釈が違ってケンカはするし、そもそもレズビアンとゲイの社会的経済的格差は厳然とある。せいぜい、ブッチなレズビアンやフェムなゲイがトランスジェンダーになるだけである。それでも性別移行中のトランスは、女子は目立たないが男子は目立ち、女子のオペ中は侵襲度が高く、男子のオペ中はかかるお金(=美容整形度)が高い。

以上、オデが知ってる「LGBT」界隈の話である。ビンボーなオデは25歳で二丁目デビューし、コミュニティにはまったく入らず、いつも単独行動でいた。そもそも2丁目デビューの理由は、創作のための潜入取材である。そんなこんなで、いまは二丁目にも行かなくなった。老舗のレズ・バーが、いまは存続の危機である(てか店を閉めたところしか知らないし、いまさら店を新規開拓する気もないし、二丁目は身体的にも精神的にもアンチバリアフルな街である)。

で、成宮寛貴である。ここからはオデの想像だけで、いまネットニュースに上がっているコカイン疑惑やペドフィリア疑惑も、いまのところは推測するしかない。オデは成宮寛貴disをする気もないので、あえて「中立」な立場をとるが、それでも同じ匂いがする成宮寛貴を、想像することしかできないでいる。オデは二丁目の情報通ではないのである。

想像してみようと思う。中学卒業後の成宮寛貴は、いかに二丁目から芸能界にデビューしたのだろうか。そしていま、疑惑=引退=国外にいるのか。

それは、成宮寛貴もまたペドフィリアの餌食にかかり、トラウマの再現として、立場を変えて同じ行為をする、傷がついたレコードのように、何度もトラウマを繰り返す。大人になり有名になったとはいえ(いや、大人になって有名になってもなお)、まだまだ傷は癒えないのだ。これがその理由となる想像だ。と同時に嫌な予感がする。

もしイベントで会った知人だったら、子どものころから性的マイノリティを自覚しているだけに、もっと悲惨にえげつなく、救われないくらいに想像力のむごさを語っていただろうけども、オデはこれが限界である。

ここで「芸能界の闇は深い」などと、話をまとめて思考(想像?)停止するのは、多忙なマスコミだけにしようと思う。タイトルに挙げたように「成宮寛貴にならなかったわたしたち」は、氷山の一角でしかないのだ。「わたしたち」はなぜ、個人のブログを書くのか。それはマスコミが書か(け)なかった、「わたしたち」だけの役割だからである。

想像は想像である。「それは事実じゃない!」と叫んで否定する人もいるだろう。では、いったい何が「事実だ」というのか。笑わば笑え。