「潮吹き」の謎(3)


…さて、「前戯」はここまででいいでしょうか。そろそろ「本番」です。














「前戯」を飛ばした読者のお前らは、セックスでも「前戯なし」と決めつけてかかります。これは断言します。



では、オデが女体専門マッサージ師「パピヨン如月」だったころのことをつらつら思い出して書きますね(焦らしプレイ)。



ときは1995年ごろ、フリーライターの下関マグロさんに、「レズビアンでマッサージが得意なら、それを売りで広告にしたら? 僕が個人的にやっているフリーペーパー(1000部発行)に出してみるよ。もしかしてお客さんがくるかもしれないから。その代わり、オファーがあったら僕に取材させてね♪」とのバーターを条件に提示された。


当時のオデは経験人数が2人だった。一人は高校生のとき、もう一人は大学生のとき。高校のときは二人とも実家暮らしなので、セックスしたのが数回だった。大学のときは一人暮らしのアパートだったので、夜な夜な恋人の彼女を連れてセックス三昧だった。


よく覚えているのが、日曜6時の『ちびまるこちゃん』。番組がはじまるとともにキスをしだし、首筋と耳たぶを舐め、服を脱がしあい、それからたっぷりとフルコース。終わったときには同時に『サザエさん』が終わろうとしていた。これを毎週(いや毎晩?)続けていた。お互いよく飽きなかったもんだ(だって気持ちいいんだもん♪)。

その彼女は、指を膣に挿入させるのを拒んだ。おそらく「男性に初めての挿入をとっておきかった」のだろう。オデはその言いつけを守った。その代わり、彼女の至るところに快楽の跡をつけた。決してその跡が洗っても洗ってもとれないように。


結局彼女とは、大学卒業のときに別れた。オデはそのまま東京に残り、彼女は地元に帰った。きっと両親を安心させるためだろうといまでも信じている。レズビアンのオデは「けものみち上等!」と覚悟していた(家族も故郷もすでに捨てた)が、オデと付き合う彼女は「地獄へ道連れ」だった。愛している女性を「地獄」に引き連れていいのだろうか。オデはかなり悩んだ。悩んだ末、オデはそこまでセルフィッシュにはなれなかった。




実質、経験人数が1人しかいないオデが、なぜ「女体専門マッサージ師」をおよそ10年も続けられたのだろうか?


そのときに続けられることなどはなから思ってなかったが、「お金をもらうなら、どんなに容姿がイケてなくても、相性が合わなくても、自分からは決して断らない! 相性もなるべく合わせてみせる!」と最初から覚悟していた。

(それからマグロさんに、「お客さんと会ったら、そのことを日記に細かく書きなさい。後で役立つから」とアドバイスされた。その甲斐あって、某スポーツ新聞にパピヨン如月の実録レズビアンルポや『綺蹟御殿』の小説版が掲載された)



最初のお客さんは運送会社の社長さんで、結婚して夫と子どもがいたが、まだ30歳になっていなかった(つまりオデと同世代である)。ファミレスで話し合い、いい感じだと思ったらオデが「一戦交えます?」と誘い、相手がOKなら二人でホテルに行った(以後、同じサービスをしている)。昼に待ち合わせをして、ホテルを出たのが夕方か夜である。コストパフォーマンスは全然高くないが、その当時から「女性のお客さん重視」のサービスだったと自負している。


その社長さんは、(おナベ含む)ホストクラブなどの遊びも経験しており、ダンナと区別するため、遊びのセックスは「キスなし」だった。当時のオデは正直に「あなたがわたしの最初のお客さんだ」と言い、社長さんは「そうだったの?! これからも頑張って! 世の女性たちにホンモノの快楽を与えてよ!」とハッパをかけられ、ギャラ以上に餞別をいただいた。





つづく。