中島みゆきはオデが育てた(1)
「悪女(1981年)」
1980代、オリコンでシングルチャート1位を獲得したアルバム「悪女」は、テレビの歌番組でもよく知られている。さらっとしたフォークソングバージョンの曲だ。
だが、この「悪女」、他にもうひとつバージョンがあることはあまり知られていない。
オデが冬の屋外スケートリンクで滑りながら聴いたラジオの「悪女」は、ヘヴィなロック調の曲(後藤次利の編曲)であった。歌も中島自身が曲調に合わせて気だるく凄みのある歌を歌っている。オデは「えっ?!」と驚き、さっそくレコード店で中島みゆきのアルバムを探しつづけた。
「悪女」はアルバム『寒水魚(1982年)』に入っていた。シングル・バージョンとアルバム・バージョンがあるのだ。そのときオデは、衝撃を受けた。レコードがすり切れるほど何度も聴いた。「中島みゆきはスゴいひとだ!」と思い、当時少なかった小遣いをはたいて彼女のアルバムを買い、ラジオ番組「オールナイト・ニッポン」のパーソナリティーを務める彼女の喋りも毎週毎週聴いていた。あっけらかんと喋り、ガハハと笑うラジオDJ中島みゆきと、ズンと暗くて心に沈むようなシンガーソングライター中島みゆきは、まるで別人だ。
(『悪女』アルバム・バージョン、ネットで探してみたけど見つからなかった…orz)
同級生は「たのきんトリオ」に「松田聖子」というアイドルに夢中で、中島みゆきを心酔するオデに「暗ぁ〜い、じめじめしてるーぅ♪」「陰気くさ〜い」とからかった。「中島みゆきのファン」であることが多少引け目に感じたが、それでもオデは気にしなかった(まるで「隠れキリシタン」のようである)。そんなお前らが、いまさら中島みゆきのファンになってとしてもオデは絶対に絶対に認めないからな! うらみ・ます!
ところが、「さていよいよ受験生だ〜」とオデが張り切っていたころ、突然、中島みゆきは「歌に走ります」と宣言してオールナイト・ニッポンのラジオDJを辞めた。オデはどんなにショックだったことか。
(今になって思えば、大して勉強してないオデが大学で一発合格したのは、このお陰だと思っている。みゆき、ありがとう!)
中島みゆきは、フォーク調の歌からロック調に変化した。ヘビーなファンは「こんなの中島みゆきじゃない!」と憤慨してファンを辞めたそうだが、オデは最初の「悪女」が好きだったので、「伝えたいことの形式が変わったんだな」と勝手に思っていた。(そのほかにも、短調で暗い雰囲気の曲が長調でアップテンポになっただけで、いきなりファンが辞めていた)
みゆきの発売するアルバムは毎回買い、コンサートは一度だけ行った。これはどのミュージシャンでも共通しているが、オデはライブの即興よりも、レコーディングスタジオで何回か録音し、吟味されたもののほうが好きだったのだ。
(つまり、東京へ来ても『夜会』は一度も行ってない。その代わりかのじょの小説と他のひとの評論「みゆき論」は全部読んだ)
そのときとは別に、島崎今日子『この国で女であるということ』(2006年、筑摩書房)を読んだ。「AERA」に掲載されたノンフィクション「現代の肖像」から女性ばかりを選び構成されている。この本に書かれている桃井かおり、北川悦吏子、一条ゆかり、扇千景、白石加代子、天海祐希、大竹しのぶ、重信メイ、坂東玉三郎、田島陽子、田辺聖子はどれもみな素晴らしい女性たちばかりなのだが、「中島みゆき 孤高の歌姫の『地上の星』」の場合、それとなく「タブー」を示唆しているし、中島自身も直接インタビューは受けていない(秘密主義というか完璧主義)。したがって、これは著者の作った「中島みゆき物語」である。
だが「真実」は、このなかにあるとオデは確信している。
つづく。