「さらばリハビリ」~(23)医療ソーシャルワーカーより障害者研究の友人が心強い

 退院を間近に控え、区内のアパートで一人暮らしできるかを確かめるため、医療ソーシャルワーカーの同行で物件を見に行った。仮に入院した病院が板橋区なら、提供する住居は板橋区限定になる。患者が慣れ親しんだ土地を離れない配慮だと思うかもしれないが、私は引っ越し貧乏なので、杉並区から始まり、練馬区江戸川区、新宿区、そして豊島区に引っ越したばかりで発症した。

 つまり、板橋区は入院した病院が板橋区だからこれからも通院するかもしれないし板橋区以外には内見しないという、融通が利かない病院中心主義なのであった。

 実際に住んだとして、もしも不具合があって後悔したら、別なアパートを比較検討して転居する能力も体力も軍資金もないから、医療ソーシャルワーカーに「もっと物件がほしい」と要求した。おかげで物件候補は10数件あった。間取り図同士を比較検討し、ネットでグーグルマップを検索する。駅までの距離や銀行・郵便局、市役所、スーパー、コンビニのの有無や位置を確認。

 院内よりも院外のほうがよっぽど地獄とは思わなかったが、やっぱり地獄だった。社会は生き地獄、渡る世間は鬼ばかり。ウマが合わないなりに伝えなければならない相手も多いが、話して和解するよりも、いっそ決裂してまで相手に頼らければならない。それを思うと脳が萎縮する。私の対人関係は、私のなかで分裂している。せめて院内ではストレスフルの渡鬼な状態じゃなくて、ノーストレスのヘブン状態でいたかった。

 今後2ヶ月、医療ソーシャルワーカーに負担と発破をかけて生きなければならない。自分のことなのに自分ではできず、かといって相手に肩代わりはできやしない。それでも根気よく発破をかけ続けなければならない。痺れを切らして「もういい、お前なんかにまかせない!」とは言えず、最後の最後まで相手の仕事を見届けなければならない、相手が立ち去った後でも。だが、対人関係に淡白な私には耐えられるか自信がない。すぐに見切りをつけてしまいそうで、何だか不安である。

 …と、これがまあポンコツな医療ソーシャルワーカーで、病院の車の移動中、運転する職員に自分の彼氏の話をはしゃいでする奴に任せることなんかできるか! こんな奴に頼ろうとするなんて私の頭がどうかしている。

 障害学やっている友人が「こないだの震災もあったことだし、グループホームも候補に入れようよ」とか「知り合いのお婆さんが三鷹にある一軒家に住んでいるらしいから、シェアしたら?」とかレアな情報が入ってくる。医療ソーシャルワーカーより障害学の友人のほうがはるかに優秀だぜ。

 その友人に相談すると、「医療ソーシャルワーカー対策」として、当時の私が制作したであろう以下のファイルが見つかった。

 

  • 生活保護の申請(4月から):自分から働きかけないといかん(と自分に言い聞かせる)

→転居(引越、荷物保管など)のために使える制度があれば使える

→家族や友人がいないため、雇用して外出の付き添いを依頼する

→「今後の一生面倒見てちょうだい失敗したらあんたのせいよ」とプレッシャーかける

→失敗やおかしな軌道へ進んだら修正する(三鷹で自立する方向へ!)

 

▼週に3回は定期的に顔を見せて話す→好きになっちゃうかも?!

▼スケジュールを把握する

▼「この人は私がいないとダメになる」と思わせる

 

【結論】

アタシ顔に出るタイプだから女優失格

本当は陰で糸引くタイプから指令されるとなんかムカつく。「お前がやれよ!」

 

 ああでも、せめてほんのひとかけらのひとかけらでも「こいつはできる!」と思える相手を見たかった。なんて、後で失望するのは目に見えてるけど、最初から絶望して働きかけることの無力感&徒労感は想像もできない。やったことないから。

 それから、生活保護バリアフリー賃貸の問題が超ハードル。豊島区から移動しての保護申請はOKだが、手順が複雑すぎて、脳が壊れた私には荷が重すぎる。

 

1)豊島区の住所から安価のトランクルームに荷物を運ぶ。

2)豊島区の住所から三鷹市へ移転届を出す。→保護申請OK

3)三鷹市バリアフリー物件と契約する。足りない点は改修工事。→移転完了

4)七月。退院、三鷹市へ移動。おっと、通院しやすいところへシフトしなきゃ。

5)同時にWord/Excel検定一級取得、就職へ。事業所から人生勉強&人材流出するために外部へ出る。

6)保護申請終了。仕事して給金。さて、どうなることやら。