「さらばリハビリ」~(19)障害者こそネットがなければ生きられない

 小学校低学年のころ、私は本を読むのが苦手だった。まったく頭に入ってこなかったし、長いこと読書をすると頭が痛くなった。中学生のときは詩を読んだ。寺山修司中原中也萩原朔太郎室生犀星など、詩は短くてインパクトのあるフレーズが多く、夢中で読み、私も真似して詩を書いた。日記代わりに詩を書いて、ノートの詩集は何冊も積み重なったのだが、いつの間にか書かなくなり、ノートも捨ててしまった。

 高校生くらいになると、カミュカフカランボーなど、文部省推薦図書にはまったく存在しない本、毒がある本、つまり「毒書」を求めて読んだ。夢野久作安部公房倉橋由美子なども好んで読んだ。

 子どものときには外で転げ回っていたのだが、大人になるにつれて読書するインドア派になった。

 このように私は根っからの読書好きでもないし、活字中毒を自覚するほどでもない。ところが入院してからは、患者同士の会話も煩わしいし、喋りのテンポについていけないだろうと思い、ネットPCや買ってきた本を読んでほとんどの時間を過ごしていた。

 入院当時の私の関心は「脳梗塞 後遺症」の鬼検索であった。動かなくなった手足をどうやったら動くようになるのか、当事者の工夫や自助努力、プロの療法士のアドバイスや知識など、吸収できるものは何でも吸収した。ときには暇つぶしに、投身自殺をした岡田有希子のリンクを深くたどったが、目新しいものはなかったことを覚えている。

脳梗塞から片麻痺になると、腕と脚が動かなくなるけど、脚は先に動くようになって、腕の回復は遅い」と友人から教わった。本来なら主治医が伝えるべきだが、脚は腕より動きが単純で、脳の運動神経を占領する域も広い。腕は脚より動きが複雑で、友人の言を聞いてもっともだと思った。

 9年の療養生活により、脚は何とか歩けるようになったが、腕はまったく動かない。ときどき、調理をしてて野菜や肉を切るときに、左手を添えて切ることがある。私の左腕は少しだけ役に立つ。だが私は動く右手で生活をカバーしたい。片手でリンゴや梨を剥くことができるし、片手でキーボードを打つこともできる。訪問介護ヘルパーには極力依頼しない。洗濯も掃除も、時間をかければ一人でできるのだ。

 なるべく他人に依存しない生活をしようと思ったのは、『片手で料理をつくる―片麻痺の人のための調理の手引き』(1998年、遠藤てる)を入手してからだった。餃子の皮の包みかたまで載っているが、餃子は冷凍物か出来合いのもので間に合っている。右手の爪の切りかたも載っていたが、爪が切りすぎて怖くてできなかったし、訪問看護では爪切りを任せているから安心だ。いまは「じゃがいもの皮むき」を片手で研究している。リハビリで動く努力よりも、現状ではまだ動かない麻痺手で工夫して調理するほうが、よほどリハビリだと思う。

 ところが、当時の脳梗塞後遺症患者の人たちのブログは、まるで「文部省推薦図書」を手本にしたように、「動かない手足を一生懸命動かして、自分で感謝しましょう」「ひたすら『動け! 動け!』と念じればいいのです」と平然と書いてあった。これでは読者にとってはリハビリを信仰することを前提に読むしかないじゃないか! 当然、私は拒否反応するしかなかった。私に合ったリハビリサイトはいまだ見つかっていない。

 ネットを読み物にすることを諦めた私は、今度は便利な片麻痺グッズを検索した。いまの時代、ネット検索で買いたいものはたくさん出てくる。テレビで内田裕也の杖を見て「かっこいい杖だなあ」と思い、取手が銀色でボディが黒のおしゃれな杖をネットでゲットした。福祉装具などのデザインは超ダサい。それこそ本や衣服、食べ物、パズルなども入院中に購入した。

 初めてPCを買ったとき、検索して購入したのは布ナプキンだった。もはやないものはないネット通販だが、たとえば重くて持ち運びにくい米はネットで購入する。いまこの部屋にあるもの、長テーブル、リクライニングチェア、シーリングライト、エアコンなどなど、店に行って物色して自宅へ帰ることをしなくなった。すべてこの部屋で検索して購入し、大きな家具はヘルパーさんに組み立ててもらう。ケアマネの連絡もメールである。前の部屋では家賃の振り込みがインターネットバンキングだった。この世にネットがなくなったら、私はどうやって生きていけばいいのか、本当に困るのである。