「さらばリハビリ」~(18)パラリンピックの本当の意味と原点とは?

 リハビリテーションの語源はラテン語で、re(再び)+ habilis(適した)、すなわち「再び適した状態になること」「本来あるべき状態への回復」などの意味を持つ。また、猿人と原人の中間に意味するホモ・ハビリス(homo habilis、「器用なヒト」)が、道具を使い人間にふさわしいという意味でも用いられ、適応、有能、役立つ、生きるなどの意味も含有し、リハビリテーションの語源ともいわれている。

 ほかに「権利の回復、復権」「犯罪者の社会復帰」などからの意味合いがある。なお、ヨーロッパにおいては「教会からの破門を取り消され、復権すること」も意味している。このように欧米では、リハビリテーションという言葉は非常に広い意味で用いられている。

 リハビリテーションの歴史を紐解くと、第一次、第二次世界大戦ベトナム戦争などがきっかけで、アメリカにおけるリハビリテーションが発展したという背景がある。特にベトナム戦争では、精神的にも身体的にも傷ついた兵士を、どうやってアメリカ社会に戻して適応させるかは大きな問題だった。そこで治療や職業訓練の技術も発達した。リハビリテーションのみならず、義肢装具なども世界の最先端な理由はその歴史によるものである。

 近代から現代にかけては、障害者の独立生活や障害者の権利の獲得に大きく社会が動いたのもアメリカの特徴で、特にIL運動(Independent Living:自立生活)は、重症心身障害者でも人の手助けを借りて自立した生活を営む権利があるとして、大きく社会の障害者に対する見かたを変えるきっかけになったのではないかと思う。

 2016年、連日熱戦が続くリオ・パラリンピックだったが、NHKクローズアップ現代+』の鎌倉千秋キャスターは、「みなさんは、パラリンピックの原点が戦争で傷ついた兵士たちの大会だったことをご存じでしょうか」と取り上げた。「1948年、第二次世界大戦の負傷兵のために、イギリスでアーチェリーの大会が開かれたのが原点でした」

   日本では、「先天的な障害」や「事故などでの障害」を負った人たちの大会と捉えられがちだが、外国では戦場から帰還した負傷兵も数多く参加していて、番組が取材しただけでも、今回の大会に17か国の兵士が出場していた。

   アメリカのブラッドリー・スナイダー選手は元米海軍の兵士で、2011年にアフガニスタンに派遣され、両目を負傷していっさいの光を失った。「私の任務はタリバンたちが埋めた無数の地雷を探すことでした。そのとき、私の50センチ前で地雷が爆発し、その瞬間、死を覚悟しました」

   スナイダー氏は3日間生死の淵をさまよった末、一命はとりとめたが、両目を摘出し義眼での生活を余儀なくされた。弟たちにとって自慢の兄だったが、戦場から帰った姿は見る影もなく、家の中で迷子になるなど何もできなくなっていた。

   そんなスナイダー氏にとって一筋の光となったのが、少年時代から続けてきた水泳だった。絶望を振り払うかのように、かつて慣れ親しんだプールに通い続けた。コースロープや隣のレーンの選手にぶつかりながらも練習を続け、4年前のロンドン・パラリンピックで優勝、リオ・パラでも競泳50メートル自由形などで他を圧倒して金メダル輝いた。

   番組によると、イラクやアフガンに派遣された米兵は270万人。そのうち97万人、実に3人に1人以上が心身の障害を訴えていて、そうした兵士たちへの補償額は1兆4700億円にもなる。補償額は年々膨らむと予想され、アメリカやイギリスでは負傷兵の社会復帰を促すため、パラリンピックをはじめとするスポーツに活路を見出そうとしている。

   国民に向けて作られたPRビデオには、そのリハビリ・プログラムも紹介されている。米軍のプログラム担当者は悪びれもせずにこう言う。「パラリンピック・プログラムはやる気を引き出す仕組みです。回復した兵士の姿を見せ、他の負傷兵を奮い立たせるのです」

   PRビデオを見た鎌倉キャスターは、「スポーツ、パラリンピックが、再び戦場に戻るサイクルに位置づけられているんですね」。

   早稲田大学スポーツ学科の友添秀則学術院長は「極めて残念ですね」と語る。「オリンピックやパラリンピックというのは、国際親善や世界平和を最高の理念にしています。しかし、現状はスポーツを利用して、もう一度戦場に戻らせる。皮肉な言いかたをすると、人間の業みたいなものを感じます」

   鎌倉キャスター「今後、パラリンピックというものの性質が変わるかもしれない段階で、われわれは東京大会を開くにあたって、どんなメッセージを発信していくべきでしょうか」。

   元陸上選手の為末大氏はこう話す。「昔、ヒトラーがオリンピックを利用したという例もあります。スポーツ自体に善悪があるわけではなく、運用する私たちがどんなメッセージを込めるかということが大切だと思っています」

   平和の祭典というのは、幻想なのかもしれない。近代オリンピックの由来は、19世紀末のソルボンヌ大における会議で、フランスのクーベルタン男爵が古代ギリシャオリンピアの祭典をもとにして世界的なスポーツ大会を開催する事を提唱し、決議されたというのは有名だ。

 ギリシャ神話に残るオリンピアの祭典の起源には諸説ある。ホメーロスによれば、トロイア戦争で死んだパトロクロスの死を悼むため、アキレウスが競技会を行った。これがオリュンピア祭の由来であるとする説がある。別の説によれば、約束を破ったアウゲイアース王を攻めたヘーラクレースが、勝利後、ゼウス神殿を建ててここで4年に一度、競技会を行った、といわれる。

 さらに別の説によれば、エーリス王・オイノマオスとの戦車競走で細工をして王の馬車を転倒させて王を殺し、その娘・ヒッポダメイアと結婚したペロプスが、企てに協力した御者のミュルティロスが邪魔になったので殺し、その後、願いがかなったことを感謝するためにゼウス神殿を建てて競技会を開いた。ペロプスの没後も競技会は続き、これが始まりだ、というものである。

 いずれにせよ、神話に残る競技会は何らかの事情で断絶し、有史以後の祭典とは連続性をもたない。なお、これらの伝承のうちのいくつかは、エーリス市民らがオリンピックの由来を権威づけるために後に創作したものも含むと考えられる。

 私はもともとオリンピックには、疑いの目を持っている。近代オリンピックは開催国に経済的活性をもたらし、競技は国家間の代理戦争である。パラリンピックは、主に肢体不自由の身体障害者視覚障害を含む)を対象とした競技大会のなかで、世界最高峰の障害者スポーツ大会であり、1960年にスタートした。

 要するに、元負傷兵という粗大ゴミをリサイクルのためもう一度社会に送り出し、戦わせるのがリハビリテーションである。粗大ゴミと言うと失礼かもしれないが、人間全体が地球を汚染するゴミに違いないと思う。リハビリテーションの対象者は、老若問わず、身体機能が壊れた人が対象である。複雑骨折もいれば、片腕・片脚がない人もいるし、脳疾患で身体機能が壊れた人もいる。

 戦争や事故が原因で、まだ20代30代の身体欠損した若者がパラリンピックを目指して練習し、見事アスリートになるならまだしも、体力が衰え始めた脳疾患患者が懸命に散歩する姿は醜くて浅ましいと私は思う。脳性麻痺の友人が「施設はトラウマ」と言った。幼少のころから治るはずもない厳しい訓練をし続けたのだろうと私は推測するしかなかった。