「さらばリハビリ」~(3)セクシュアル・マイノリティの身体障害者

 某病院には、リハビリの療法士にトランスジェンダーがいるらしいとの噂があったが、その人がカムアウトしているとは私には思えず、退院(脳疾患患者には急性期病院と回復病院があり、前者のことである)するまで一切会わなかった。仮にばったり会ったとしてもフルチューンナップしたトランスジェンダーでも私はリードできる、と自信があったが、どうやら彼/女はパスしたらしい。というかリードを恐れて私に近寄らなかったのだろう(パスpass/リードreadとは、トランスセクシュアル業界において、身体の性別以降中のトランスジェンダーが、外見や振る舞いを含めて希望する性genderで、他人が見て疑問を感じないほど社会に通用していることを「パスする」といい、反対に、生得的な性から転換していることを周囲に気づかれてしまうことが「リード」である。また、これらはアメリカのトランス業界から輸入した言葉であり、日本のパス/リードはある種の「方言」である)。

 ゲイやレズビアンバイセクシュアルはカムアウトしなければ当然パスするが、トランスジェンダー異性愛強制社会においても、日本の医療現場においても生き残るのは困難だ。そのトランスジェンダーは療法士の資格はあるが、もし誰かがリードして職場にアウティングしたら、病院に解雇されるかもしれない恐れ、病院ではもう勤められなくなる不安、自分への職場の眼差しが耐えられなくなる恐怖があるからだ。

 私は「毎日がひとりプライドパレード」とも言える性的マイノリティで、初対面でも「どうもー、ノン・ヘテロですー」と平気で挨拶するのだが、「お仲間」たちは政治的により敏感だ。半分遊びで半分大真面目、ときには他人事のように、ゲイゲイしいレインボーフラッグ(キラッキラのラメ入り)を私のベッドの壁に、それこそ目立つように飾った。2011年の日本では、レインボーフラッグの意味がわからないか、わかっていても無視するのか、あるいは超多忙でいちいちコミットできないか、コ・メディカル(和製英語英語圏の正しい名称はパラメディカルparamedical)も含めたスタッフ全員、私に「おや? あなたは性的マイノリティですね♪」と声をかける人はいなかった。後述するが、これがアメリカと日本の違いである。年に一度、渋谷の道路を練り歩くだけでは済まされない。病院こそが、スタッフを医療教育して性的マイノリティの患者たちにもオープンでリラックスした空間をつくるべきだ。

 北緯24度のフロリダ州の病院は、寝汗かくほど自分の身体が臭いと感じたが、北緯35度の東京は真冬で、日中の室内でも震えるほど寒かった。フロリダを日本にたとえると、最西端の与那国島とほぼ同じ緯度だ。沖縄は緯度がはるかに高い。どれだけ暑いかフロリダへ行ったこともない人でも想像ができるだろう。

 さて、いよいよ入浴の時間である。私のような脳疾患患者の場合、再発作(再発)や合併症を恐れて一定期間の安静をしなければならないが、一方で衛生面のケアも必要である。そこで機械浴の登場だ。

 機械浴とは、全裸の患者を自動で温シャワーをするもので、事前にナースたちがボディ・シャンプーをつけて患者の皮膚をブラシで擦ってアワアワにするというものだ。患者を自動車にたとえると、その仕組みを理解してくれる人もいるだろう。だが当然、私は患者であって自動車ではない。ノン・ヘテロの私をナースたちが丁寧に洗ってくれる様子は、まるで性風俗でサービスを受ける客のように興奮したものだ。ナースが「次は機械浴です。準備しましょう」と呼ばれたら、私のなかでウハウハな気持ちが止まらず、ニヤニヤも止められなかった。

 まず、ベッドで衣服を脱がし、体位変換してストレッチャーに移動する。ベッドからストレッチャーに移乗するスライディングシートの濡れた冷たさもいざ知らず、気分はパラダイスへGo! とウキウキである。その日機械浴を担当したベテラン・ナースが、「ミヤマさんて、お肌スベスベですね」と言ったので鼻血ブーだぜ! もっとも、機械浴の患者はみんなヨボヨボのババアばっかりだから、私の肌を錯覚してスベスベだなんて言ったのかもしれないが。

 話は前後する。世田谷区議会議員の上川あやさんとは、数年前に彼女の職場を取材・撮影していており、私はビデオで編集して依頼人にデータを送った。依頼人は「日本のフェミニストレズビアンをビデオ・インタビューして世界にデータを送りたい」と言っていた。当時は区の公衆トイレをオストメイト人工肛門保有者・人工膀胱保有者)の導入に力を注いでいた彼女だが、彼女がそこまで公衆トイレを平等にするかが過去の私にはわからなかった。

 彼女の紹介から「バリバラのディレクターに会ってみませんか?」と訊かれ、私は即OKした。ディレクターから「一度打ち合わせしたい」とメールがきて、出かけて行った。あれは私が退院した翌年(2012年)の夏で、言語障害が残っているからしゃべりにくいとか、他人には聞き取れないとか、脳が疲労するとか言いながら、私は脳梗塞発症のことと性的マイノリティの思い出を話している最中、超混乱して何度も何度も号泣した。打ち合わせを中断して号泣する私を、ディレクターは待ち続けた。悲しい辛いからでは決してない。これも後述するが、高次脳機能障害が原因だった。

 まず、私の生活する様子や、上川さんとパートナーと3人で居酒屋談義する様子を取材した。ニコチン摂取は毎日するが、アルコール摂取は久しぶりなので、いつものようにビールと日本酒を飲んだ私は具合が悪くなってトイレでリバースした。上川さんは私をトイレまで連れて行って介抱した。なんて心優しい人なんだろうか。

 スタジオ収録は大阪だった。私は同行取材する友人と一緒に新幹線に乗り、出演する性的マイノリティの障害者たちと出会い、バリアフリーのホテルに一泊した。ホテルからテレビ局のスタジオ移動は、すべて車椅子用の小型バスである。さすが天下のNHK。旅はいいもんだぞ。

 バリバラの収録からしばらく経った後、私は気になって彼女の本(『変えていく勇気—「性同一性障害」の私』(2007年、岩波新書))を改めて読んだ。学生のころから障害者に気持ちを寄せていたことがようやくわかった。

 その後、上川さんとパートナーに誘われ、晴天のなか隅田川水上バスに乗ってビールを飲み、「最新車椅子のシンポジウム」に参加して、車椅子で階段を上る方法や車椅子に座ったまま立ち上がるマシンの試乗をした。健常者こそ障害者の生きかたの知恵や情報に関心を持たねばならないと私は思った。

 「バリバラ」出演がきっかけで、私は「性的マイノリティの障害者って全国にどれくらいいるのかなあ?」と疑問に思った。発症時「このまま一生セックスできねーな」と心のなかでつぶやいたことを覚えている。

 退院して、病院の外の世界で生活すると、障害者のアイデンティティが私にはあるのかどうか、ひじょうに迷った。性的マイノリティのアイデンティティは20代前半ですでに持っていたのだが、この2つのアイデンティティについて、折り合いをつけることがしばらくできなかった。車椅子に乗っている私は「中年の女、もしくは外見のみおっさん」として見られがちで、見た目はそんなに変わってないのに、初対面の人は私を「異性愛者の独身女」と理解してしまう。そんななか私はスキンヘッドにし、ゆくゆくはピアスを2個し、車いすにステッカーを貼って、微かな抵抗をした。

 コミュニティは、性的マイノリティも障害者もすでにあるが、片方にいると片方は忘れられる始末である。もともと私はコミュニティに所属しない野良でずっとやってきているから平気だが、もしかすると、なかにはどちらの場合もカムアウトできず悩んでいる仲間がいるのかもしれない。

 特に女性障害者たちは、性の人権を剥奪されている。知的障害女性は思春期になると月経が始まって、異常に興奮したり、暴れたり叫んだりしている。介護する親も大変だと思うが、なかには子宮をまるごと切除されたケースもある。

「アシュリー事件」という有名な事件をご存知だろうか。原因不明の脳症による発達障害を持つ、1997年生まれ、シアトル在住の児童「アシュリーX」に対して実行された医療処置がアシュリー療法だ。当事者の精神、身体が生涯的に乳幼児レベルであると診断されたことを基に、当事者の健康状態、人生の質(QOL)を維持するため、および介護を行う両親の負担軽減のために、エストロゲン療法による成長減衰、子宮摘出、乳房芽切除、虫垂切除術、盲腸切除が行われた。

 アシュリーは2004年7月(当時6歳)、両親が思春期を迎えることを考慮し、その療法を受ける。2006年12月、成長板の活動停止を進めるために行われていた、皮膚パッチを使用したエストロゲン療法を終了。翌年1月、両親が匿名でブログを開始した。障害児をもつ児玉真美さんがこのブログを見つけて「アシュリー事件」と名付け、同年5月より、ブログ「Ashley事件から生命倫理を考える」を開設し、多大な反響を受けた。

 また、私は脳性麻痺のゲイ男性と知り合いである。彼の場合はクローゼットだが、花田実さんという脳性麻痺のゲイ・アクティビストを教えてもらった。花田さんの活動時期は1990年代と2000年代であり、2002年5月31日に亡くなっている。死因は不明だが、パソコン通信時代の花田さんの知人曰く、自殺ではないか、と語っている。

 花田さんのアクティビスト活動はほんの数年だ。おそらく花田さんは「脳性麻痺のゲイ」をアピールして、たった一人でも仲間に出会えたかもしれないが、その希望はかなわなかった。花田さんが活動した日本の障害者たちはほとんど彼に共感しなかったのだろう。そうか、もし花田さんが生きていたら、私は彼に出会い、多くのことを教わったかもしれない。花田さんの主な活動は執筆で、「生存学研究センター」で検索すると彼の考えかた、生きかたが見えてくる。

 私は当初、花田さんについてインタビューする映画を撮りたかったが、いま生きて悩んでいる性的マイノリティ障害者たちを取材し、ドキュメンタリー映画を製作中だ。「東京編」「大阪編」まで構想しているが、これからまだ誰に出会うかわからない。とりあえず「東京編」は2018年、「大阪編」は2019年に公開予定である。ただし、一般の劇場ではなく、上映会形式で開催予定だ(予定は未定)。