「さらばリハビリ」~はじめに

 facebookで日々のよしなしごとを書いていると、友人であり恩人のKさんが「その発想面白いね!」と言い、私は本にまとめるために原稿と簡単な企画書を作成していた。だが、出版不況だけでなく経済不況が続き、Kさんが「さらばリハビリ」の企画書を出版社に持っていくが(本のタイトルはKさんがつけた)どこにも採用されないまま、2年が経った。

 そもそもタイトルがよろしくない(私はすごく気に入ってるが)。「さらばリハビリ」って何だよ? 怪我や病気になったらリハビリでワンクッション置いてから復帰するのが当然だろうに。要するにリハビリは必須なのだ。この社会では「健全」でなければ顔も出せないし生活ができないのだ。

 それから「リハビリ」で検索すると「私はこれで成功した!」的なタイトルがあって、「まるでダイエットみたいだな」と思った。人がダイエットを目指すなら必ず成功する本を買うのは心理的かつ市場的に当然である。ダイエット本なのに著者は太ったままでは売れやしないし説得力もない。

 9年前、私は脳梗塞で左片麻痺言語障害になったが、いまだ杖なしで歩けないし、喋ると脳が疲弊する。そのうえ私はてんかん持ちである。それでも私は電動車椅子を使って(体力の続く限り)どこにでも行くし、「健常者社会」でも堂々としている。

 実際に、片麻痺になって必ず成功(回復)することはありえない。片麻痺になって努力してリハビリしても、身体が動くようになる場合もあるが、なかなか回復しない人たちもいるのだ。その人たちのために、私は書くのだ。

「半人前」とは、ネット辞書によると「一人前の半分。またその程度の能力しかない者」とある。自分のことを言うなら謙遜の気持ちもあるが、他人に言われるなら「もっと努力せよ」と恥を感じる言葉だ。仕事を始めたばかりの若者ならまだ平気だが、私はすでに50の声を聞いており、しかも生活保護を受けている。身体障害者だから「働けない」のだろうなと人は思うかもしれないが、あえて私は「働かない」。毎日自宅にいて、眠たいときに寝て起きたいときに起きる。自堕落な生活である。

 でも、「ああ、私の人生終わったな」「詰んだ」とか「先行きの見えない不安」「悲惨な人生」などと悲観的になったりしない。むしろ私は高等遊民のように、このささやかな生活を丁寧に生きている。

 大学4年のとき、私は就職活動をしなかった。卒業して会社に就職はしたが、その会社はアルバイト雑誌で見つけたもので、気軽であった。言い換えれば、将来のことについて私は何も考えてなかった。そして1年も勤めないうちにさっさと辞めた。それからずっとフリーのアルバイターをやってきた。書くこと、考えることはなぜか昔からやっていたし、そのため10年以上フリーのゴーストライターを生業にしてきた。

 編集プロダクションは私をいきなり切ってきた。契約してないからしかたがないと思い、新たな職探しを始めた。飲みながら友人に、「仕事辞めさせられちゃった。どっかいいとこない?」と訊ねたところ、友人は「ALS専門の介護事業所『ケアサポートモモ』があるよ」と答えた。その事業所は有限会社で、川口由美子さんが社長だった。

 ALSの患者さんは家族ぐるみで介護されていると聞き、セクシュアル・マイノリティの私は、「ああダメだ、私には家族はできない。もしも私がALSになったらどうしよう? きっとひとりぽっちだ」と川口さんにそっと弱音を吐いた。川口さんは、「大丈夫だって。ひとりでも平気だよ」とさわやかに笑って答えるのだった。

 そして2年が過ぎ、私はまだまだ「半人前」のALSケアラーだった。ゆくゆくは実務経験を積んで介護福祉士の資格を取り、障害者や高齢者をサポートするケアマネージャーになるはずだった。いまから9年前、米国でALSの世界会議に出席するため、飛行機に乗った患者さんに同行して、フロリダのディズニーランドで遊んだり、NASAの宇宙センターを見学したりしていた。

 当時の私は40歳で、スーパーケアラーとしては肉体的なピークを過ぎており、平均睡眠が4時間で、いつも「眠い眠い」と呟いていた。そこでアクシデントが起こった。何時間か気絶した私は、突然「片麻痺」「言語障害」「高次脳機能障害」になっていたのだ。

 「昨日の私は別人である」というくらいに、まったく何もできなかった。過去の私は、もう存在していなかった。

 でも、いいのだ。片麻痺の私は、文字通り「半人前」であった。私の言う「半人前」とは、右側の健常者である「ケアラーの卵」の私がいて、左側の麻痺側である「患者の卵」の私がいて、半分は見守り、半分は療養中だ。そういう意味である。

 その療養生活も9年が過ぎた。「半人前」の私は、今日も麻痺側の声なき声を聴いている。今の私の身体状態はなんとか杖歩行できるが、長距離の散歩はできない。腕は常時だらんと脱力し、動かそうと思ったら微かに動く。でも「だらん」とした状態が、まるでアンテナのように私に何かを訴えるのだ。

 多くのリハビリ者たちは健側が麻痺側を無視するが、私は無視したりしない。動く側が動かない側を無理矢理動かさない。

 結果、私は「無理してリハビリをしない」ことにしている。理由はすべてこのブログに書こうと思っている。