井田真木子の死因は本当に肺水腫だったのか? トラウマのトリガーの一事例について

 井田真木子はそもそもそれほど有名なノンフィクション作家ではなかったが、知る人ぞ知る著名な作家だった。50代以降のノンヘテロ業界では、主に『同性愛者たち(1994)』を知る人たちが多かった。
 一方、オデは『プロレス少女伝説(1990)』を読んでいた。いまでは慣用句になった神取忍の「(対戦したジャッキー佐藤の)心が折れる(感じがして実際に勝った)」という表現が初出なのは有名な話だ。続いて『小連(シャオレン)の恋人(1992)』、『十四歳(1998)』も読んだ。当時のオデはノンフィクション作家ナンバーワンといえば井田真木子だろう、彼女の業績はノンフィクションの革命になるかもしれない、と予感し、夢中になっていた。
 ところが、2001年3月、井田の訃報が訪れる。当時オデが毎月購読していた『噂の真相』によると、正確なフレーズは忘れたが、冷蔵庫のなかは空っぽで、部屋は荒れ放題、井田は布団で寝ながら亡くなっていた、井田のHPには意味不明な文章が羅列しており、「緩慢なる自殺」だった。普及し始めたPCで井田のサイトを実際に覗いてみたことがあった。いくらサイト訪問者が少ないとはいえ、井田の名前で出ているのは本人も承知のはず。ただそれが「独り言」のようでもあった。文章は支離滅裂で長ったらしいし、読者のことをまったく考えてない、他人のことは置いてきぼりで、まさに「イっちゃってる」人物の文面そのものだった。そのときオデは、「あーあ、とうとう狂っちゃったか、あるいは意識が朦朧としたまま執筆したんだろうか…」と心のなかで呟いた。
 久々に思い出して、井田真木子ウィキペディアを検索。そこには自殺のじの字もなく、死因は肺水腫だった。肺水腫を調べたら、主に心臓病が原因でこの症状になるケースが多いが、井田はそのような病気を持っていなかった。享年44。若すぎる死だった。衰弱の延長が肺水腫なのだろうか。
 井田の絶筆『かくしてバンドは鳴りやまず(2002)』を再読。確かに井田は、執筆中寝食を忘れて仕事に没頭していたことは事実だ。しかし 生業をノンフィクション作家と決めたからには、新書を完成させるたびに生死の境を往還することは極めて危険だと思う。文字通り「命を削って書く」仕事だ。
 その前の『十四歳』は、親の虐待などによって家出し、売春で食べていく逞しい少女たちを、アメリカのサンフランシスコや渋谷で取材したものだった。なかには実の親に性的虐待を受けた子どもたちもいる。そんななかで井田は自身の過去を思い出したのか、「自分にも覚えがある」というようなことを書いていたが、そう明確には文章にしておらず、読者にほのめかすように表現したのが印象に残っている。彼女の死を知ったとき、「やはりそうか」と静かに納得したものだった。
 そうか、取材対象の家出少女たちの会話のやり取りで、トラウマのトリガーを自ら引いてしまったのか。井田の「緩慢なる自殺」はほぼ知られていない。自身でも自殺をしたなどとは思っていないはずだ。
 『かくしてバンドは鳴りやまず』は、ランディ・シルツ『AND THE BAND PLAYED ON:Politics,and the AIDS Epidemic(1987)』が原題だ。邦題は『そしてエイズは蔓延した』。原題は、映画『タイタニック(1997)』で船と運命をともにした楽隊が沈没とともに奏でる曲である。
『運命(さだめ)はわれらとともに:エイズ政治学』くらいに訳しても罰は当たるまい。
と彼女は苦言を呈している。連載企画書は10回の予定だったが、残念ながら3回までで彼女の死が打ち切りとなっている。その第1回が「トルーマン・カポーティとランディ・シルツ」だ。
 すでに亡くなっている人たちを取材対象にするのはノンフィクションではない、と反論する人たちもいるだろう。しかし本書の出版社リトルモアは、冒頭で「本書の成立まで」と記載した文章で、
原稿料も大して差し上げられないうえに、取材費が出ません。お金のかからない連載をやっていただけませんか。
と井田にお願いして、苦肉の策で連載企画書を提出したものだと、一度はオデも納得した。でも、すでに亡くなっている人たちの謎を追うため取材対象にするというのは、自分の独り相撲と同じではないのか。自分で自分を消耗するだけじゃないのか、という疑問がまだ残っている。それが嫌なら、<正当な>ノンフィクション作家なら依頼を断ればいいじゃないか。なぜ彼女は受けたのか? ただでさえ金にならないというのに? 彼女は義理堅かったのか? それとも無理難題でも出版社の依頼は必ず応えなければならなかったのか? それが彼女のポリシーだったのか? それが革命的であればあるほど、革命で自ら身を亡ぼす。彼女は死に至る自傷行為をしていたのだろうか? 疑問が晴れる気配はない。
『同性愛者たち』を読んだことはないが、アメリカでエイズ・パニックとクイア運動が始まる一方で、おそらく彼女は日本の同性愛者たちがどんなことを感じているのか、当事者たちに取材したのではないだろうか(実際には「府中青年の家」の訴訟について)。彼女自身、表向きは既婚者だが、実は自分も密かに性的少数者だと思っていたのではないだろうか。これは穿った見方だけれども。
 実際、大宅壮一ノンフィクション賞講談社ノンフィクション賞を受賞した後、『十四歳』では何の賞も獲れず、スランプに陥った。ここでもオデは、自分の都合に合わせて事実をピックアップしたり、逆に都合の悪い事実をスルーしたりもしているのだろう。もしかしたら彼女の死はただの偶然の連続かもしれないし、単純に考えて新進気鋭のノンフィクション作家の夭折かもしれない。自分の人生を解釈する視点を運命論か偶然論かを選択すれば、彼女の死の解釈はまったく異なるだろう。
 このエントリでオデが言いたかったことは二つある。一つは、トラウマの危険さ、厄介さだ。トラウマは幼少期に起きた心的外傷なので、当人も傷の記憶や自覚はないし、自覚してもトラウマのコントロールは非常に難しい。当人は傷ついたことに無意識で蓋をしたがり、その蓋が突然外れるトリガーにいつ何時遭遇するかもわからない。自覚していたトラウマとは全く別のものが浮かび上がり、知らぬ間にアディクションとなっているかもしれない。井田真木子の事例のように、トリガーが外れたときには、取り返しのつかない事態になっている。「自分のトラウマはもう充分に完治した、克服した」とは決して言えないのである。
 もう一つは、今日(3月14日)が彼女の命日であること。今年で十八回忌である。本当に惜しい人をなくしてしまった。彼女の新刊をいまだに待望にしているのは、オデだけではないはずだ。
 それともう一つ追加。ネットの情報はあまり鵜呑みにしないほうがいい。このオデだって本人に関する文章をリアルタイムで読んでみて、もしかしたらそうであってほしいストーリーあるいはファンタジーを生み出しているかもしれないから。
 ウィキペディアには、井田に関する新たな情報が記載されていた。ノンフィクション作家の彼女は、最初は詩人でデビューしていた。最後に、彼女の詩集を読もうと思う。また新たな発見があるかもしれない。
 

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2019年3月16日追記:

井田真木子選集1』の関川夏央氏によると、

・高校から実家を離れて一人暮らししていること

・結婚したがすぐ離婚したこと

・いつも長電話していたこと

・ネット仲間とチャットしていたこと

・ネット仲間が自宅に駆けつけて亡くなっている井田を見つけていたこと

・以前から救急搬送されて入院していたこと

 が判明した。

 

2019年3月22日追記:

 改めて『十四歳』再読。オデ自身記憶が朧げなことと、そのことだけをクローズアップするような下世話なエントリにはしたくないこととで曖昧な表現だったが、本人が直球を投げていた。以下引用。

 あんたはいつからその“廃墟”を感じ始めたんだね。ロジャーがいつになく柔らかい口調で尋ねる。

「十三歳から十四歳の間です。八歳のときに強姦されましてね。そのときには自分が何をされたのかわからなかった。十歳を超えるあたりから少しずつ事態がわかりはじめて、十三歳から十四歳の間に、衝動的飲酒というんでしょうか、定期的に、大量のアルコールを飲んではふらふら街に出ていって、廃ビルの地下に酩酊状態で転がっているという行動をおこしはじめました。十五歳からは、その行動が顕著でした。

 その行動を抑制できるようになったのは、二十三歳から二十四歳の間です。しかし、その間も学校にはちゃんと行っていました。成績は悪くなかったし、誰にも、そんな行動をとっていることを悟られなかった。

 でも、これは珍しいことじゃないですね。驚くほど多くの人が、十歳以下で同じ経験をして、十三、十四歳くらいで、売春や薬に走っている。その行動は約十年続き、幸運な人間は、その行動を抑制できる年齢まで生き延びる。ただし、自分だけが汚れた十年間を抱え込んでいると思っている人は多いですね。私が経験したのは悲劇でも特異な体験でもないですが、自分の中に廃墟を感じ始めたのは、たしか十三、四歳の間です。

 そして、今は四十歳ですが、まだ生き延びたいと思っています。

  「私たちの大半は廃墟の中にいる」と自覚するのは十三歳と十四歳の間だ、と井田は主張する。今は「厨二病」という自虐用語も出てきたが、「廃墟の中にいる」のが的を射ているのではなかろうか。

 何の因果か、ノンフィクション作家を生業にした彼女は、執筆中は寝ない、食べない、酒だけ飲む、という“アディクション”が始まった。酒井順子氏によると、肝臓や腎臓もやられて、リハビリのために『かくして~』の連載スタートとなるが、それも未完に終わった。