小説家を生かすも殺すも編集者次第ーー桜木紫乃『砂上(2017)』

「主体性のなさって、文章に出ますよね」
「大嘘を吐くには真実と細かな描写が必要なんです。書き手が傷つきもしない物語が読まれたためしはありません」
「わたしは小説が読みたいんです。不思議な人じゃなく、人の不思議を書いてくださいませんか」
「文章で景色を動かしてみてください。景色と一緒に人の心も動きます

「現実としては誰も、柊さんの私生活には興味がありません。あなたは芸能人でも政治家でも、有名人でもない。だからこそ求められるのが、上質な嘘なんです」

「虚構なら虚構らしく、本気で吐いた嘘は、案外化けるんです」

「人に評価されたいうちは、人を超えない」


以上、小川乙三編集者語録。

これまでエッセイばかり書いて懸賞に送ってきた柊玲央に、わざわざ玲央在住の江別にやってきて「小説を書いてください」と提案する。

「全員嘘つきの物語を書く」。谷川俊太郎の、
 
うその中にうそを探すな
ほんとの中にうそを探せ
ほんとの中にほんとを探すな
うその中にほんとを探せ
 
という有名なフレーズをつい聯想してしまう。
「ひとりよがりの一人称」はやめて三人称一視点で書くこと、
心を痛めながら書いて下さい」という条件つきで。
 令央は、自分より五歳下の編集者に反発しながらも指摘を受け入れ、何度も書き直してゆく。編集者との闘いであり、自分の心の奥底にどこまで迫れるかの闘いである。小説を書くことの苦しさが痛いほど読者に伝わってくる。
 (将来の)作家が奇跡的な小説を生み出す産婆術としてかなり優秀すぎる乙三は、もしかしたらレズビアンBDSMっぽくもあるかもしれない、と読了して密かに興奮したオデは確かに変態だろう。自分の変態っぷりを最初に自覚したのは、松浦理英子『裏バージョン(2000)』を読んだときだった。言葉でお互いを傷つけあう科白のやり取りはスリリングそのもので、当事者二人は精神的に疲弊しているにもかかわらず、読者(観客?)のオデは「いいぞ、もっとやれ!」とけしかけたりした。
 しかし『砂上』は、脳裏がヒリヒリするくらいの台詞の格好良さに痺れたが、それ以上に相手が先読みをして、嘘という名の都合のいい科白を言う。お互いに相手の心は読めない。その予測以上に言動を発するところがまた痺れた。囲碁将棋は興味はないが、相手の先の先まで読み、こう来たらこう切り返すという引き出しの豊富さ、丁々発止は小気味よく、評価したい。…がしかし、勝負物は予定調和になるからなあ…と無責任でわがままなぼやきを言ってしまう。
 それにしても『ホテルローヤル(2013)』のエンディングの大どんでん返しは感心したものだった。作者は登場人物の女性たちの生きざまを格好良く描くのが大変上手である。
 著者は本作について 「書けても恥、書けなくても恥でした」 と書いている。小説内での玲央は、 次作は「男の書き手を騙す女性編集者の話なんて、どうでしょうか」と切りかえした。次の作品も読みたい、いや、必ず読んでやるぞ。