「ファルスの世界」と「少女の世界」 ~クイア文学私論~

新年あけましておめでとうございます。

長年ネットの片隅でブログをシコシコ書いてるが、新年の挨拶は初めてだ。今日は「ご近所神社参拝ラリー」と称して自宅を三角形で結ぶ三つの神社に車椅子で移動した。移動は簡単だが、神社の賽銭箱には手すりなしの階段があり、こわごわ登ってこわごわ降りた。今年初のスリラーである。転倒して頭を打ったら大変だからな。

 

1:さて、本題に入る。

ニコ生で『少女終末旅行』の一挙放送を鑑賞した。冬の軍服のようなものを着た少女が二人、荷物が入るバイクに乗って、人がほとんどいない街というか廃墟をゆく物語である。一人は、背が高くて頭のネジが外れたユーリ、もう一人は賢くてしっかり者のチト。この旅行がいつ始まったのか、どこに目標があるのか、行先はあるかないかわからない。ただストーリーでは、二人が共通のおじいさんと住んでおり、おじいさんが死んでからこの旅が始まったと推測できる。この物語の設定は、戦争が起こった後だ。したがって、どこにも生きてる人がいない(後述するが、「戦争のない世界」とは「ファルス(ペニス)がない世界」である)。

チトとユーリは、食糧と燃料を求めて移動する。見つかるのは軍事用食糧ばかり。今ある燃料や食糧がなくなったら死活問題だが、二人は楽天的に旅行する。その会話でユーリが「絶望ともっと仲良くなれるよ」との科白がある。印象的な科白の一つだ。

二人の会話はボケとツッコミのように観客をクスリとさせ、全体的に明るい。絵のタッチもまんまるなまんじゅう顔をしたコミカルなものだ。延々と外を移動するから雨や雪が降り、吹きさらしの風の下で眠る。彼女たちの寝床はいつも空の下だ。これほど悲惨な設定はないと思うが、それで絶望で悩んだり自殺したりする気配はない。少女たちは先へ進む。ある意味平和で平穏である。

二人の少女の物語であり、ストーリーのなかには温水プールや川に入って水浴びをするという、「ありきたりな百合」要素が入ったものだが、それでもオデは二人の関係性にちょっと萌えた。その理由を述べようと思う。

まず、幸か不幸か人がいない。登場するのはミヤザキかイシグロ(名前失念。確か4つの音だったと思う)という男性(地図を作製するのが生き甲斐)、イシイという女性(飛行機を一人で設計して向こうの都市へと向かう)、ヌコという変な生き物(弾薬を喰う)のみである。それらと出会って一度合流するが、間もなく別れる。二人は出会った人びとに対して「一緒に旅をしよう」と執着の台詞を言わない。淡々と出会い淡々と別れる。「君子の交わりは淡きこと水の如し」である。

では、ユーリとチトに執着はないのか? 『銀河鉄道の夜』のカンパネルラとジョバンニのように(読んだことないが)、もしかして二人は一人ではないのか、と思った。意見が対立して深刻な別れもないし、葛藤もない。二人はまだ見ぬ世界をあらかじめ受け入れて驚かない。なるほどこれならシリーズ化できる。延々と旅が続けられる。「起承転結」の「転」と「結」がない。「少女の世界」である。

 

2:「山に登る」物語は「ファルスの世界」

前回は『メイドインアビス』を紹介した。シーズン2があるらしいが、果たしてどんな結末を迎えるかについてオデは興味がまったくない。それより何より設定が「山に登る」ではなく「穴に降りていく」ことにいたく興味を持った。「山」とはペニス、ファルスのメタファーであるからだ。「穴」のメタファーはヷジャイナくらいのものだろうか。

ファルスのメタファーは「山」に限らない。現実社会の「昇進」もそうだし、昇進と連動した「肩書」もそうだ。「昇進」すれば「肩書」も高くなるし、男性社会のマウンティングもやりやすくなる。マウンティングとは、どちらが勝つか負けるかの世界、「戦争がある世界」である(先述した「ファルスがない世界」は「少女の世界」である)。「男」はどんどん強くなって廻り(女)を支配する、ファルスを象徴する物語なのだ。

ここで『ナイツ&マジック』の話を入れよう。主人公はプラモオタクで優秀なSEであり、交通事故で突然の死を迎える。が、生まれ変わった主人公は魔法が使える別世界におり、魔法を鍛錬する学校に入る。ファンタジーの世界でも「先輩/後輩」の序列があると気づいて、オデは初回で見るのを止めた。「学校」もまた「ファルスの世界」である。

 

3:あらゆる世界は「ファルスの世界」

勘のいい読者ならもう気づくはずだ。「ファルスの世界」に対して「少女の世界」がある。「ファルスの世界」の物語は「起承転結(=勝敗、戦争、競争の世界)」があるが、「少女の世界」は、ない。そこが面白い。

 

オデはクイア理論を正式には学んでいないし、フェミニズム映画論や文学も齧った程度だが、「起承転結はペニスが勃起して射精するまでの物語」とどこかで読んだか聞いたか印象に残っている。言語の発達は比較的男子より女子が早いが、高校の現国くらいになると女子はもう理解できずに成績が低下する。その理由は「ファルスの世界」を生理的に学んでいないからである。宮台真司曰く「男には作法がある」とのことで、言いかえれば「手続き」くらいかな? 会社ごっこやお役所ごっこで「書類」「署名」「印鑑」「証明書」(「肩書」に入るが「名刺」交換も同列)などの回りくどいことばかり。これって「前戯」みたいなもんよ? あーつまんね。

 

探偵ものか推理ものと比べよう。

ある事件が起こり、手掛かりの伏線などが入るが、結末は「誰が犯人なのか?」のワンパターンである。火サスや土ワイをギャグした「主人公たちが崖の上で延々と科白を言い続ける」シーンもかなり間抜けであり、それは「射精したら後はグダグダになる」ことが分かっているからだ。男の生理はつまらないつまらないからわからない気持ちよくない。オデが推理小説を読まない理由はこれである。ダサくてワンパターンでつまらない。でも不思議と現国はできたのよヲホホ。

 

4:「ファルスの世界」の限界とは?

ところが、最近(オデにとっての)新しいサスペンス小説を発見した。桜木紫乃硝子の葦』である。

ストーリーが超どんでん返しな上、語り手の男性はまるで太鼓持ちだ。ハードボイルドな小説と言えるが、男性が主人公の場合、探偵や刑事などの職業上のハードボイルドにすぎず、私生活は情けなくだらしないかもしれないが、とりあえず職業上はかっこいいらしい。だが、この小説の主人公はホテル経営者の愛人である。それなのにかっこいい!! 濡れる!!

あ。それと、ぼちぼち「この小説が濡れる!」というカテゴリも作ろうかしらね。