「かわいそうな弱者」か? 「権利を主張するプロクレーマー」か?

昨日の午前中、銀行ATMに行くと、もう人が並んでいた。オデは車椅子で並んでいた。あと二人くらい並んでいたし、月頭の月曜日じゃ一人につきけっこうな時間がかかると思っていたオデは、そのまま車椅子に座っていた。オデの前の人がATMに向かっていき、オデは立って杖の用意をして、階段を上がりかけた。

 

そのとき、図々しいおっさんが横入りしてきた。

「おい、並んでいるんだぞ!」

とオデの後ろで怒鳴る声がする。

「ああ、すみません」

と横入りのおっさんが列を譲る。図々しいが気の弱いおっさんだ。階段を上がっていたオデは余裕がなくて誰の顔も見えず、状況も見えなかった。もしかするとオデの後ろにはもはや列が続いていて、横入りのおっさんはオデの前ではなく、列のド真ん前に横入りしたのだと思った。

客観的な状況は無視して、オデの勝手な想像をしよう。横入りしたおっさんは、車椅子の存在を「モノ」としか見なかったのだと思う。もし並んでいたのが「健常者」なら、横入りなんて言語道断である。それが、障害者のオデが列に間を開けて、その隙間に図々しいおっさんが横入りしてきたのだ。おっさんは完全にオデを舐め腐っている。

 

で、バニラ・エア炎上である。

鹿児島県奄美市奄美空港で今月5日、格安航空会社(LCC)バニラ・エア(本社・成田空港)の関西空港行きの便を利用した半身不随で車いすの男性が、階段式のタラップを腕の力で自力で上らされる事態になっていたことがわかった。バニラ・エアは「不快にさせた」と謝罪。車いすでも搭乗できるように設備を整える。

 男性は大阪府豊中市バリアフリー研究所代表、木島英登(ひでとう)さん(44)。高校時代にラグビーの練習中に脊椎(せきつい)を損傷し、車いすで生活している。木島さんは6月3日に知人5人との旅行のため、車いす関空に向かった。木島さんとバニラ・エアによると、搭乗便はジェット機で、関空には搭乗ブリッジがあるが、奄美空港では降機がタラップになるとして、木島さんは関空の搭乗カウンターでタラップの写真を見せられ、「歩けない人は乗れない」と言われた。木島さんは「同行者の手助けで上り下りする」と伝え、奄美では同行者が車いすの木島さんを担いで、タラップを下りた。

 同5日、今度は関空行きの便に搭乗する際、バニラ・エアから業務委託されている空港職員に「往路で車いすを担いで(タラップを)下りたのは(同社の規則)違反だった」と言われた。その後、「同行者の手伝いのもと、自力で階段昇降をできるなら搭乗できる」と説明された。

 同行者が往路と同様に車いすごと担ごうとしたが、空港職員が制止。木島さんは車いすを降り、階段を背にして17段のタラップの一番下の段に座り、腕の力を使って一段ずつずり上がった。空港職員が「それもだめです」と言ったが、3~4分かけて上り切ったという。

 木島さんは旅行好きで158カ国を訪れ、多くの空港を利用してきたが、連絡なく車いすで行ったり、施設の整っていない空港だったりしても「歩けないことを理由に搭乗を拒否されることはなかった」と話す。

 バニラ・エアANAホールディングスの傘下で、国内線国際線各7路線で運航する。奄美空港だけ車いすを持ち上げる施設や階段昇降機がなく、車いすを担いだり、おんぶしたりして上り下りするのは危険なので同社の規則で認めていなかったという。バニラ・エア奄美空港でアシストストレッチャー(座った状態で運ぶ担架)を14日から使用、階段昇降機も29日から導入する。

 同社の松原玲人(あきひと)人事・総務部長は「やり取りする中でお客様が自力で上ることになり、職員は見守るしかなかった。こんな形での搭乗はやるべきでなく、本意ではなかった」とし、同社は木島さんに謝罪。木島さんは「車いすでも心配なく利用できるようにしてほしい」と話している。(永井啓吾)

 この記事が配信されたのは6月28日。オデはこの記事を読んで単純に「ひでえ」と思ったが、ほかの人々は、最初は「障害者かわいそう」「バニラ・エアひどい」と思い、その訴えた障害者が「荒っぽい」方法で今回の騒動を起こし、「バリアフリー研究所」代表としてコンサルタントや講演活動を行っていると知ると、今度は「プロクレーマーかよ」「障害者ビジネスやってるとはけしからん!」と木島さんをバッシングし始めたのである。

 

たとえば、こんな感じ。

 

 

 

 

 

ね? 手のひらくるっくるでしょ? 情報に泳がされてる感じ。ていうか「障害者=健気で一生懸命生きている可哀想な弱者」には感動も同情もするが、「権利を主張して不備を抗議する者」になったら、なぜ叩くの? 確かに彼は航空会社のルールを破ったが、それは「(会社都合の)不当なルール」であって、ルールそのものを破らないとバニラ・エアの改善はなかったのである。

 

1977年、「川崎バス闘争」をご存じだろうか?

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このバス闘争は、「全国青い芝の会」が起こした。路線バスは公共交通機関であり、車椅子の障害者に介助者がついて車椅子からバスの座席に移乗させないと危険だからと拒否したのである。動画を見るとわかるが、障害者が道路に寝そべってバスの乗務員たちが罵声を浴び、バスに乗り込もうとした障害者を引きずりおろすという、今になってみるととんでもない闘争である。障害者はここまでしないと外出できなかった。がしかし、バスはそれでも障害者を拒否したのである。今から40年前の出来事だ。

 

1994年「ハートビル法」が、2006年「バリアフリー新法」が制定し、2016年には「障害者差別禁止法」が制定された。

 

いくら法が制定されても、人々の意識はあまり変わらない。今回の「バニラ・エア炎上事件」がそうであり、オデの身近な「ATM横入り事件」もそうだ。健常者で異性愛者で日本人のマジョリティである「無徴」な人々は、それ以外の人々、障害者、非異性愛者、外国人などマイノリティの「有徴」な人々を「他者」とみなす。「他者とは何か?」を考えようともしない。「他者」に無知無関心で、興味を持たない。

 

前述した「青い芝の会」を撮影した原一男監督は、ドキュメンタリー映画を製作したきっかけをこう語る。

「ある日、電車のなかに車椅子の障害者を一人でいさせて、僕はそこから離れて見ていました。乗客は全員固まったまま。それで映画を作ろうと思いました」

 

『さようならCP』は、「障害者を見世物にしている」と批判されたが、彼は障害者を見る人々にしつこくインタビューをしている。曰く、「可哀想だと思って」「気の毒だ」である。

 

「無徴」な人々は「有徴」な人々を「見て見ないふり」である。これは今も変わらない。所沢の駅はコンパクトだけれども路線が複雑で、ある日オデは白状を持ってウロウロしている人を見て、「何かお手伝いをしましょうか?」と言った。その人は行きたい駅を言い、オデはその路線を伝えた。「無徴」な人々は困っている人を見ても無視である。そもそも視野に入ってこない。

 

で、オデの感想だが、木島さんの抗議は正当なものであり、バニラ・エアも謝罪してすぐにストレッチャーや階段昇降機を準備した。LCCといっても、障害者の搭乗のコストを見越した上で周到な準備をするのがもっとも理想的だと思う。