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<喪>とクイア

 昨日参加した「<喪>とクイア」では、オデと研究者たちが完全に違う方向を見ていたことがやっとわかった。ここは大学だし、「アメリカでエイズ危機(医療従事者たちがゲイを含むハイリスク・グループを勝手に決めて治療拒否し、エイズに罹患したゲイたちの多くが死んだこと)が起こったこと」の英語の参考文献もあるし、日本のLGBTにおけるメディアが「海の向こうで起こったエイズ危機」を完全に忘れて「同性婚」ばかり関心があって報道していることにも腹立たしい思いがある。そんなおめでたいことやってる場合じゃないだろう! もしも日本で新たにエイズに似たような性感染症が蔓延したら、「同性婚」を返上するだけではなく、さらに深刻なゲイ・バッシングが起こるかもしれないし、30年前のアメリカの起こした過ちから日本は何も学んでいない。そのバッシングはメディアを通して増幅する。現在の日本の「同性婚」が当事者に“お祭り感”を増幅するように。

 性的マイノリティ、LGBTとメディアが表記して報道するようには、現実のLGBTは連帯してなどいない。民間企業は「LGBTサービス商品(主に生命保険など)」を展開させて、当事者の財布のヒモを緩めようとするが、レズビアンとゲイは経済的格差があり、性的マイノリティの重圧は(比較的社会的地位が高い)ゲイのほうが強い。トランスジェンダーは去勢/避妊手術をしないと本人の望む戸籍上の性別に変更されないという「人権侵害」が起こっているし、そもそも「性同一性障害」グループと「トランスジェンダー」グループとの決定的な分断がある。そのようななか、異性のパートナーがいるバイセクシュアルは「卑怯」と言われ、性的マイノリティのコミュニティのなかでさえカムアウトできないでいる。カムアウトしたところで、「あの人、本当にバイセクシュアルなの?」と陰口を言われる。

 で、日本のクイアたちが「くたばれ家父長制!」「戸籍は廃止しろ!」とパレードでプラカード揚げてるが、当の性的マイノリティのパレード参加者たちはプラカード見てポカンとしているし、これは完全スルーだなきっと。

 なんだよ、LGBTって言葉だけが存在する「非実在集団」じゃねーのかよ? 実際にはバラバラで、解決すべき喫緊な課題がそれぞれ別々にあり、すぐ隣の深刻で喫緊な課題は互いに無視してるんじゃねーか。「LGBT」は幻想だったんだね、きっと。

 廃止すべき制度や法律が日本にはたくさんあることは充分にわかっている。でも、個人ではその訴えは効かないし、声も届かない。そこで互いの共通な課題を出し合って連帯しよう、そうしよう、となるが、実は昔も現在もバラバラだ。

 さて、どうしようか? オデは日本政府を動かす伝もコツも情報もないし、金も人材もない。そもそも一人で掃除することもできないし、ゴミをまとめることもできない。だったら一人で黙っていようか? いや、それはダメだ。必ず解決する方法はある。

 昨日のテキストDouglas Crimp“Mourning and Militancy (1989)”は、オデはまったく読んでない。彼がエイズ・グループ「ACT UP」のメンバーの時に書いたもので、「喪失(死)としての贈与」がなんであるかさっぱりわからなかった。でもそれがわからなくても、「贈与」されることもあるかもしれない。死者の「贈与」はサプライズと相場が決まっている。たとえそれが「負の贈与」であるかもしれないし、「正の贈与」かもしれない。

とにかくオデは、「贈与」の時がくるまで生きていなくてはならないのだ。臥薪嘗胆の日々である。