地味に電子書籍で出版します(しかもエロ小説)

唐突ですが、ミヤマアキラ初短編小説集を電子書籍で出版しました。そういうことです。金額は9.99USD。2月10日現在、日本円で1200円くらい。でも無料キャンペーンやる予定です。

 

壁の紙魚/奇妙な夫婦/ペドフィリア

 

まあ一応読めることは読めるのですが、オデ的にはDTPに完全に失敗してるので、ご笑覧くだされ。

またしても唐突ですが、<あとがき>を抜粋します。短編小説の解説には手っ取り早いし。

 

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2010年、脳梗塞で左片麻痺言語障害高次脳機能障害という後遺症になり、私は当然、身体も言葉もままならないので、生活保護を受けて働かないで暮らしていた。少しは生活保護から脱出するため就職活動もしたが、もともと会社に勤めるのが性分に合わなくて、半年で辞めた。


発症後、脳梗塞高次脳機能障害、リハビリについての本や、それ以外の本を読み漁った。仕事をする体力はないが時間はたっぷりあるので、若いころ好きだった作家の本、新進作家の本、芥川賞の本も読み、これだったら私に書けるかもしれないと思ったが、劣悪な住宅事情が執筆活動に向かないので、去年の二月にバリアフリーの住宅に転居し、生活環境を一新して小説に取り組んだ。金にならないのは当然だが、いまではこれは私の仕事だと思っている。しかし読み返してみると、まだまだ精進が足りないと思った。


以下は各作品についての感想やエピソードである。


<壁の紙魚>は、好きなラジオ番組の相談があり、パーソナリティーが語っていた言葉をヒントにして書いた。往々にして男性が一方的に女性に一目惚れし、告白しようと悩んでいるのだが、そのパーソナリティーの回答は「相手の女性は状況や事情をまったく知らないから怖いと思うでしょう、だからおよしなさい」という優しいたしなめの言葉を伝えた。男性はどうして女性を見た目で判断するのか、どうして一人で勝手に盛り上がり、いきなり相手を巻き込もうとするのか。相手の女性は単なる迷惑を通り越し、告白する男性に対する不快や恐怖で生活もままならないだろう。私が怒りと疑問によってこの作品を書いたら、主人公は人間の見た目を通り越し、何か空気のような雰囲気のようなものを見ているのが昔からの習慣だった、という落ちになった。


<奇妙な夫婦>は、実際の私が経験した話である。フリーライターをやると必ず、こういうオカルトめいたエピソードが出てくるは私だけではないはずである(特にビジネス関連の実用書はポエム染みていて空恐ろしい)。この作品は、私の人の引きの強さ的に強烈で、信仰もなしに身体(存在)には効果があるものだと思ったものだった。その(相談の)効果は、私の過去世(前世よりもずっと前の経験の記憶)がより明確になってきて、時間的に暗示が強くなってきているが、私はいまだに信じていない。たとえ彼女は本物のヒーラーだとわかっていても。これは現代の哲学事情もそうなっている。「新実在論」を提唱したマルクス・ガブリエルというドイツの哲学者は、「物理的な対象だけでなく、それに関する『思想』『心』『感情』『信念』、さらには一角獣のような『空想』さえも、存在すると考える」のである。おそらく私は、自己都合な解釈をしているだろう。


ペドフィリア>は、リチャード・ガードナー『少年の性的虐待(2005)』を読んで思ったことが作品のモチーフになった。この本は「被虐待者は少女」「養父か見知らぬ人が加害者」という、かつての性的虐待の神話を崩そうとして、ジェンダーの面から分析している。「実父が加害者であり、その妻は共犯者」というのが、性的虐待のクライアントにカウンセリングして判明・分析したデータの集積であり、私の印象に深く残った。当然アメリカのケースばかりだが、私はこれを日本に置き換えて、旧家の「家制度」を加えた。制度で後継するのは伝統文化や財産だけではない。暗い影の因習や閉塞感、負の遺産も継承されるだろう、と憶測で空想した。この空想が事実でなければいいと願っている。


最後になったが、この作品の表紙写真を提供してくれた壱花花さんに感謝したい。壱花花さんのフェイスブックには、ときどきこのうさぎのぬいぐるみの写真がアップされているが、それを見た私はいつも不気味可愛い感じがして、思わず笑ってしまうのだった。

                                                  二〇一七年二月十日                                   ミヤマアキラ