【ネタバレ上等】エヴォリューション(進化)するもの

映画を観てない者は、まず公式サイトを見てみよう。

オデはついさっき観てきた。自慢ではないが自慢するぞ。

 

「ヒトデは生まれた時、一度だけ変化をする。それから…新たな同期が始まる。新たな命」

 

最初に、ヒトデの生殖機能(生殖方法)が何通りもあることに、人類の代表としてのオデはリスペクトする。

1)雌が産卵、雄が放精することによる雌雄異体受精

2)1匹で雌雄の役割を持ち、自家受精する雌雄同体受精

3)雌のみでも未授精卵から新個体ができるという単為生殖

4)分裂・自切による無性生殖

 

ルシール・アザリロウィックなる映画監督を初めて知った。生まれた場所は異なるが、年は10も離れていない。オデは初めて表現活動(創作)をする人に嫉妬した。それは女性であるからだけでなく、これまでの表現活動に影響された映画や小説がオデとほぼかぶっているからである。

 

「女性と少年しかいない島」「少年ニコラが夜の島で目撃した、女性たちの単為生殖の様子」「少年を変化させる医療行為」などの設定やプロットを見ると、これはもうルシールはフェミニストではないかと思わざるを得ないが、この作品にはメッセージがないというのも頷ける(そもそも「メッセージがない」というのはルシールのさり気ない韜晦っぷりではないかと深読みストのオデは強く思う。それは、映画業界はほぼ男性社会だからであり、前作の成功があるというのに、今作では資金集めが困難で、何度もプロットを書き替えたというからである。困難を超えた10年である)。

それでも、少年たちの将来のロール・モデル(成人男性)がいないという不安と、少年が単為生殖するために医療行為をされる(「産む機械化」される)恐怖とは、ルシールの無意識の男性憎悪や復讐であり、男性社会の無意識の不安や恐怖、未来の悪夢ではないだろうか。

 

最後に。看護師役のロクサーヌ・デュランの顔が、レンブラントボッティチェッリが描く中世絵画(これらの絵画はみな宮廷画家に国王が「つくらせた」ものである)のような不思議な(無表情で生きてる気がしない。うつろな)顔をしており、パンフレットを見ると、「人ではないもの(魚類と人類の間の生物)」としてキャスティングされたとあった。ルシール恐るべし。うう、ジェラス!!

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2004年に公開された『エコール』も観てみようと思う。話はそれからだルシール!(なぜケンカ腰w)