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バイクと事故と体重のこと

現在、ローカーボンダイエットのお陰で62kgです。オデの体重はアベレージが75kg。高校受験のときは80kg台になりそうでしたが、合唱部(身体それすなわち声が響く楽器である!)のためか少し痩せました。ちなみに「合唱部は文化系なのか? 体育系なのか?」との論議を巻き起こしましたが、両方あっても別にいいじゃん、というのがオデの答えです。

こんな寒い日は、かつてバイクに乗って、冬の日でも雨でも雪でも、朝から晩までかけずり回っていたことを思い出します。

いままでオデは、バイクで交通事故を3回やりました。

1回目は環七を通っていたとき、隣の軽トラが幅寄せしてきて、オデはガードレールに挟まって軽トラとぶつかりました。

2回目は右直(うちょく)の事故で、すり抜けしたオデが直進、自動車が右折でぶつかりました。オデは、にゃんぱらりん(キャット空中3回転)をして自動車を越えたのですが、一瞬のことでどういう格好だったのか自分でもわかりません。おそらく想像では四肢がバラバラになったのでしょう。実際には左脚に打撃があっただけで済みましたが。

病院で検査と手当をし、会社のひとが様子を見にきて、「君のバイク、ハンドルとサドルがくっつきそうになって曲がっていたよ。あのまま飛ばずにいたら、君の下半身はぐちゃぐちゃになっていたはずだよ。ほんと、ラッキーだったよねえ」と驚きと安堵が混ざった口調で言いましたが、オデは、「え? そうすか(照)?」とケロッとしていました。

そうは言いつつ、2回も事故を起こすと今度は危険かも、と思い、脚も引きずっていたので会社に内勤にしてもらいました。内勤というのは、バイク事故の保険の関係(事故相手との交渉代理)、バイカーの登録のファイル管理(新規入会、退会)、個人事業主の税金サポートなどでした。
そのとき、新しく面接に来たバイカーが右直の事故で死亡したという情報を聞きました。青山通り外苑東通りの交差点です。いまも交番がありますが、それは(死亡)事故が多いからという一要因もあると思います。
当時、主任をしていた中年男性は、パーティションの片隅で号泣していました。自分が主任のときは絶対にバイカーを死亡させてはならない、でも死なせてしまった、実に無念である、と思っていたのでしょう。

それから10数年後、脳梗塞で左片麻痺となりましたが、バイク事故で脳挫傷高次脳機能障害、オデと同じように片麻痺(あるいは全麻痺)や言語障害になっているひとにも会いました(その集まりは「若い失語症の会」といいます)。
もしかすると、オデがもう少しバイクに乗っていたら、事故でとっくに死亡しているか、同様な身体状況になっていたかもしれません。

3回目は、転職して新しい大型スクーター(ヤマハの赤いマジェスティ250cc)に乗っていたときです。途中で雨が降り、新横浜から高速に乗って、最初は直進→緩いカーブ→その先がトンネルになっているという、バイカーにとっては「死のドライブ」の条件がめっちゃ高いポイントでもありました。そこはオデは初めて通る道でした。

直進でうっかりスピードを出しており、路面が濡れてカーブが曲がりきれずこのまま道端で自爆するかも、と思っていたところ(まさにハイドロプレーニング現象中!)、後方から自動車がものっそい高速でオデを追い越していきました。そのとき衝突というか、ちょっと擦っていきました。
オデは自爆を逃れましたが、なんと自動車を道連れにしていました(*注:オデだけの責任ではありません!)。

オデのバイクはコントロールを失い、トンネルの端に衝突しました。メガネの左のツルが折れて、ギリギリ眼のところに刺さっていました。遠くのほうに自動車が自爆しているのが見え、オデはビッコを引いてそこに行きました(おそらく、冬の雨で防寒防水の装いのおかげでクッションになったと思います)。自動車の運転手は怪我もなく、そこに警察のひとが来るまで待ちました。ヘルメットを取ったオデは、メガネのツルが額に刺さっているのに気づき、それを自分で引っこ抜きました。血がダラダラ出て、運転手は慌てて車内のティッシュを取ってくれました。

「驚いたねえ。昨日、これとまったく同じ事故で、そのバイクのひとは後続の車に跳ねられて死亡したんだよ」と警察のひとが言いました。オデはゾクっとしました。それと同時に、「ひょっとして、神さまに守られてるのかもしれない」とちょっと思いました。

その事故でバイクは大破し廃車となりました。5年乗って4万キロ走っていたので(どこでもバイクに乗ってた)、元は取れたと思い、修理するお金もないので(新車が買える代金と同じ!)さっさと諦めました。



話は、もう少し前(オデのバイカー時代)に戻ります。
バイクといえば、真夏は暑いし(トラックの排気ガスは特に熱い&臭い!)、真冬は寒いです。特に手足が凍えそう。オデはハンドルの先にカバーをし、その他もろもろの防寒防水用具をそろえました。真冬の雨は最悪です。たとえばゴアテックス。空気を通すけれども水分は通さないという、春夏秋冬を一貫してのバイカーたちにとってはまさに画期的な商品でした。当時は開発されたばかりで超高い! と思いました(上下併せて数万円)。オデは上半身だけゴアテックスのジャンパー、中に革ジャンを着、その他は上州屋のゴム長靴とゴムのつなぎを調達しました。それでも寒さに耐えられず、温かい食べ物や飲み物、要するに暖を求めました。あの頃は若かったな〜(感慨)。


しかし、冒頭にも書きましたが、当時のオデ(75kg)と現在のオデ(62kg)は、筋肉と脂肪の量が違います。年のせいもありますが、いまのほうが寒さに断然弱いと思います。でも、オデは負けません。2015年の春になったら60kgを切りまっせ!

おわり。