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トム・アット・ザ・ファーム(2014年、カナダ=フランス)


この映画を観る前に、自宅で「プレイヤーズ・フォー・ボビー」というアメリカのドラマを観ていた。1980年代のアメリカで、ゲイの息子を受け入れることができなかった敬虔なクリスチャンの母親の実話を元にしている。母親はシガニー・ウィーバーが熱演している。
ボビーは優秀で心優しいゲイである。「家族」と「キリスト教」を大事にしており、そのことが彼の「罪」を意識させる。周りはみな強制異性愛の社会で、友人や家族が何気なく言った一言が彼の心の傷をつくり、日々穿たれていった。そして、ついに自殺する。

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トム・アット・ザ・ファームは、「プレイヤーズ・フォー・ボビー」をまるで逆さまにした映画だ。ギョームは何かをひどく悩んで死んだが、トムは彼の実家(ケベック州で、すごいド田舎である。オデの田舎の北国に風景がそっくりで懐かしい。でも帰らないけどw)に泊まって葬儀に出た。その家には母アガットと、一人で畜産業を営むギョームの兄がいた。その兄は「トムが何者であるか?」を知っていた。

兄はアガットを一人残していくわけにもいかず、ギョームが謎の死を遂げたことでアガットを余計落胆させたくなかった。それで、トムの「秘密」を脅迫して口封じをする。脅迫とは、言葉だけでなく暴力もだ。ひどい怪我で流血もする。

あるときは、収穫の終わったトウモロコシ畑で兄がトムを追いかけ、「今の時期のトウモロコシは、まるでカミソリだ」と顔に傷を負ったトムが言う。またあるときは、産まれたばかりの子牛に「くそビッチ」と名を付ける(その子牛は死体“誰かによって殺された”になって、トムが運んで処理した)。トムへの当てつけ、または警告だ。「お前は災いを呼ぶのだ」と兄が言ったのだから。

ギョームの架空の恋人サラをトムに演じさせ、実際にサラをトムが実家に呼び出す。トムは兄に協力するとみせかけて、実は裏切りの行為だった。本物のサラがくれば架空の話が破綻になる。トム一人きりでは兄に適うはずもなく、もう一人、サラがいてくれればなんとか安心だ。

だが、兄はギョームの代わりにトムに行かせまいとし、トムの乗ってきた自動車のタイヤを全部取り外した。今度はトムが「殺される」番だ。文字通り、命からがらで、心の調子が狂った兄からトムが逃げ続ける。

愛する息子ギョームが謎の死を遂げたアガットも悲しいが、それよりも何よりも「したしいおともだち」であるトムが、何とも悲惨すぎる。死ぬよりも生き残りつづけるほうがはるかに辛い。

どのセクシュアリティであっても、「これは映画の世界だから」と言うなかれ。オデの知人には、これよりもっと恐ろしい経験をしたひとがいる。

パンフレットには、「他の代表作と記憶される多くは、行き過ぎた愛が引き起こす悲劇の物語/「ロマンティック・パニック」(馬場敏裕)」とあった。

エンドロールに流れる曲は、タイトルは分からないが、「I m so tired of you America(アメリカにはうんざりだ)」と何回もフレーズがつづく。

グザヴィエ・ドランは非常に天才だ。天才とは、非常に「底意地が悪い」のである。これが10年前の作品なら、当事者は激怒したかもしれないが、いまなら誰もがじんわりと「感慨」を噛み締められる。

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映画とは直接関係ないが、オデはコンテンポラリーダンスケベックを知った。ダンサー全員が「M字開脚」して観客に迫り、「ケベックって変態かもしれん!」と小躍りした。およそ10年前である。

人気アクションホラーゲーム「SIREN」のキャッチ・コピーで「どうあがいても絶望」というのがあったが、どうあがいても絶望なのはこの映画だよ! ノンケ・ゲーマーたちは「屍人(しびと)コワい!」と言うが、現実の世界ではおめーらが屍人だよ!!

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身に覚えのある人たちは、誰もみな黙して話さない。
だが、身に覚えのある人だけが、この映画のすべてに、最初から気づいているはず。
オデもまた黙して話さないが、いつかまたこの映画の話をしようと思う。




*【注】映画を観てもさっぱり分からない鈍感バカノンケどもよりも、一人でも多くの当事者に観てもらうことが優先だと思い、ギリギリのネタバレでこのレビューを更新する。公式HP