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中村珍『羣青(Gunjo)(上)』(小学館、2010)

漫画

この作品は2007年から『モーニング2』(講談社)で連載されていましたが、第13話(2009年)以降は連載休止状態がつづいていたそうです。そのため単行本化も長いこと宙ぶらりんになっていたわけですが、このたび『月刊IKKI』(小学館)への移行が決まり、めでたく単行本の刊行と相成りました(こちらのサイトで第1〜3話、および単行本上巻と5月号掲載分との間に位置する第11〜13話を期間限定で無料配信中配信終了しました)。


雑誌を買わない読まないミヤマは単行本派の漫画読みであります。そのため『羣青』は単行本が初見。ページを開いてまず度肝を抜いたのは、『モーニング2』連載時のカラー扉絵でした。ふたりの女性がともに涙を流し、眉間にしわを寄せ額に青筋を浮かせた般若のような表情で噛み付き合うような接吻(キスというよりこちらのほうがふさわしい気がする)を交わす図です。「甘さ」や「ソフトさ」のかけらもなく、お世辞にも「美しい」とは言えない、荒涼殺伐とした描写です。なにこの圧倒的なハードボイルド感。「ハリネズミのジレンマ」どころではありません。あらすじはざっと予習済みでしたので、これがメインの人物ふたりなのだと察しがつきました。そして、上巻を読了した後、冒頭の扉絵がふたりの関係およびこの物語のキモを集約しているのだなと感じました。ちなみにその扉絵は、こちらのページにズラズラッと登場します。作品タイトルのエピソードとか、編集部の酷い扱いっぷりとかも。

第1話は、のっけからして「“大好きだ”と言ってやったら、クソみたいな私の夫を殺してくれた。レズのバカ女」というモノローグ。蔑称としてここまで直球すぎる表現を昨今あまり見かけないせいか、「差別だ!」と腹を立てるどころか、むしろ率直で清々しい印象すらあたえます。

そう、この物語は、自分に思いを寄せるレズビアンを利用して夫を殺させたヘテロ女(通称:メガネさん)と、好きな女の依頼で殺人を犯したレズビアン(通称:レズさん)の逃避行を描いたもの。「レズビアン=犯罪者役」だなんて昭和の遺物じゃないの? と思うかもしれませんが、その黒歴史を螺旋状にぐるっと一回りした感があります。黒歴史における性的マイノリティの外部化、周縁化は、性的逸脱そのものが犯罪であるとでもいうようなセンセーショナルな扱いでしかなく、フツーの視聴者たちは「けしからん!」と憤慨/誹謗しながら堂々とその「犯罪的な関係」に欲情したのでありますが、『羣青』を読んで欲情するのはかなりの猛者に限定されるのではないかと思います。そこらへんのレズ萌えノンケにはまったく親切ではない作品、それが『羣青』。

親切でないどころか、セクシュアリティにかかわらずPCな(政治的に正しい)読者にしてみれば、この作品は非PCのオンパレードです。殺人を犯した後、レズさんが「あーし、殺されそうになったよ…」とつぶやくと、メガネさんは淡々と「刺し違えて両方死ねば丸く納(ママ)まったのにね」と返します。メガネさんはレズさんを怒らせようとして酷いことを言うのですが、当のレズさんは怒るどころか真に受けるので、むしろメガネさんがイライラを募らせます。高校時代にメガネさんを見初めたレズさんは、「たとえば男の人にレイプされるのと、あーしに触られるのと、どっちが嫌だろう…」とつぶやいていますが、正直ミヤマも似たようなこと考えた覚えがありまくりです。

また、メガネさんの部活仲間がレズさんを指して「あの子ホント レズだから、気をつけたほうがいいよ絶対!」と言うのに対し、メガネさんは「いい子じゃない? レズってとこ以外は。何かしてくるってわけでもないし。実害(原文では傍点)ないから私は普通に接してあげてもいいと思うけど」という超上から目線なご発言。かと思うと、レズさんに密かに思いを寄せる子(通称:長髪さん)が「酷い言い方するのね」とたしなめると、別の子が「理解あるほうじゃない?」。すると長髪さんが「理解と差別は似てるから」という箴言を畳みかけます。無駄なく簡潔に行われる決定的なやりとりにミヤマはシビレっぱなしでしたが、上から目線のメガネさんと作者のスタンスを重ね合わせてしまう読者には、この作品はまるでレズのネガティブキャンペーンみたいに見えるのかもしれません。

実際、『モーニング2』連載時には、レズにまつわる「罵倒」表現について読者からクレームが寄せられたといいます。経緯の詳細は追えていませんが、作者の中村珍が自らレズビアンであると公言したことで事態は収拾したようです(未確認のため伝聞の域を出ません。申し訳ないです。 *注:本文の最後に追記しました)。これが事実だったとして、このような収拾のしかたにはかなり問題があるのではないかと思います (問題がある、というのは、作者の対応ではなく、その対応を受けて、「作者が当事者ならそのような表現は許容されてしかるべきだ」と納得する読者がいるとしたら、その納得のしかたに問題がある、という意味です/2010年3月2日追記)。作者がレズビアン当事者であるかどうかによって、「罵倒」表現が免罪されたりされなかったりするのは、あまりにベタすぎる判断です。レズビアンに関する洞察がひじょうに深い作家がいたとして、その作家自身がレズビアンでない限り、「罵倒」表現を方法的に用いることは認められない、ということになりかねません。

話を本筋に戻しましょう。先述したとおり、セクシュアリティに関してマジョリティ側のメガネさんは無自覚に上から目線ですが、貧乏な父子家庭で虐待されて育ったため、経済格差には人一倍敏感ですし、コンプレックスも人一倍です。一方のレズさんはセクシュアリティについてはマイノリティですが、超お金持ちのおうちのお嬢様なので、経済格差に関しては無自覚の上から目線になってしまいます(「あんな程度のお金」という発言は、貧乏人にとっては嫌味に聞こえます)。もともと資産のないメガネさんは男とつがうことでしか経済的アクセス権を手にする機会がありません。そんなメガネさんはレズさんに対し、男とつがう必要がないほど資産を持っているから悠長にレズなんかやっていられるんだ、くらいのルサンチマンを抱いているようです。レズさんは第1話から「あーしの人生なんかさ、あーたがニコッとすりゃボロボロになるんだよ」と白旗を揚げていますが、なんの衒いもなく負けを認めるレズさんの「余裕」が、負けず嫌いのメガネさんにとっては我慢ならないようです。

メガネさんのレズさんに対する罵倒っぷりはもはや立派な芸の域に達しています。メガネさんの挑発に乗らないレズさんの大物っぷりも見事です。ある意味、お互いに息がぴったりの相棒同士なんですが、それは読者という傍目から見た話であり、「好きだけど、そばにいるより離れているほうがまし」というレズさんの心情もまたよくわかる話だったりするので、不意に胸をえぐられます。二者間で「グー、チョキ、パー」の三すくみ状況をつくりだしているような、絶妙なパワーバランスに感服です。これで互いに罵倒芸のラリーを延々つづければ松浦理英子裏ヴァージョン』になりますね。

ふたりのメインストーリーに絡むサブストーリーを展開する脇役たちもいちいちグッジョブなんですが、ひとつ例を挙げるとすると、レズさんの元カノさん。役所勤めの公務員で、担当部署は「婚姻届を受理する」ところという皮肉な設定。そして、元カノさんはレズさんにこう言います。「涼しいカオして立ち会いつづけてやろうと思う。好きな人と結婚していい特別な連中が、夫婦になる現場をな…」こういうドストライクな嫌味はミヤマの大好物です。中村珍って絶対性格悪いと思う。同じ匂いがするから。

もう一点、ひじょうに興味深く、作品の形式としても画期的だと思われるのは、主要人物ふたりに固有名がない、ということです(そういうわけで、「レズさん」「メガネさん」という通称を便宜的に用いました)。映画でも小説でも漫画でも、まず登場人物の名前をなんらかの形で視聴者/読者に知らせるというのが常套的なドラマセオリーのひとつであり、むしろ名前がないのは脇役のほうなのですが、脇役たちには固有名がある『羣青』はそのセオリーを見事に壊しています。メインの人物に固有名を持たせないことにどういう効果があるかは明確に分析できないのですが、レズビアンヘテロ女のあいだには決して超えられない「バカの壁」がある一方で、お互いを固有名で呼び合わせないことによって自他の区別をつけにくくさせるという一種矛盾した効果があるのではないか、と感じます(ここは直感の域を超えていません)。

すでに下巻が待ち遠しくてしかたがないのですが、仮に下巻で終わるとしたら、『モーニング2』では第13話まで連載されているので、あと7話くらいで完結することになるのでしょうかね。できれば間に中巻を挟んで、それから下巻へとつづいてほしいものです。読者としてはなるべく長く楽しみたいですし。

【関連URL】
中村珍公式サイト「珍村」

*注:追記(2010/03/02)
3月1日付で、作者の中村珍さんから直々に情報ソースをいただきました。「罵倒」表現に関する読者諸姉からのご意見については、中村さんのブログ「仕事とか漫画とかの話.」の“レズさん”の件(私の見解と)で詳細に記されています。前連載誌であった『モーニング2』編集部の判断によって読者のみなさんに公式の対応を行ったのではなく、中村さんご本人が個人ブログでクレーム対応を行っており、『羣青』に関して過去にクレームが発生したのはこの一件のみとのことです。

上記本文では「伝聞の域を出ない」情報であると断り書きをしましたが、まるで事実であるかのように読まれてしまう可能性の高い表現であったことを、中村珍さんならびにデルタG読者のみなさまにお詫び申し上げます。