石原有記さんの来た道ゆく道(6)最終回

●「年齢はただの記号。背番号のようなもの」

音楽は、自分にとって生活の一部。たとえば、歯を磨いたり顔を洗ったりすることは、通常は忘れずに日々おこなう習慣。やらないでいると気持ちが悪い。それと同じ感覚で、音楽はつねに身近にないと居心地がよくない。いまもつねにiPodを携帯している。自分から切ろうとしても切り離せない。銀座にいたときも、音楽とはまったく関係ない業界にいながら、なにかしら自分で見つけて音楽に触れることをやっていたから、自分からは切り離せないものだと思う。

事業に失敗したことをきっかけに、再びライブ活動に戻れた。「戻れた」という言い方が自分にはしっくりくる。去年の11月に再始動したライブは、本格的なものとしては15年ぶり。なぜ、15年ぶりにライブをやろうと決意したかというと、同じレコード会社に所属していた先輩歌手の葛城ユキさんの影響が大きい。

彼女のライブにはたまに顔を出していた。そのたびに彼女は年齢をサバ読みして、MCでは、「私の24歳のバースデーライブに来てくれてありがとう!」(笑)。ところが、ある年のバースデーライブに行くと、「いつもは24歳と言っていましたが、私は今年からカミングアウトいたします。59歳です!」。私も彼女の実年齢は知らなかったし、彼女の声量は半端じゃないのでビックリした。と同時に、尊敬する大先輩が自ら実年齢を公表したことにものすごく触発された。「私ももう50歳を過ぎているけれど、年なんて関係ないんだ」と思った。

また、11月と3月のライブにゲスト出演してくれたマイラ・ケイも58歳。彼女もいつも「年齢なんてただの記号みたいなもの。背番号と一緒」と言っている。それは私も同意見。マイラが昨年ヤクルトホールでやったコンサートを久しぶりに観に行ったとき、彼女は自分も楽しむし周りも楽しませるひと。マイラがものすごく頑張っていろんなことをやっているのを見て、「自分にもまだまだできそうだ」と触発された。

ライブ活動を再開しようと決意したのは、この2人の影響がとても大きい。私はそれまで15年のあいだに本格的に歌ったことはなかったけれど、ボイストレーニングのコーチはやっていたから、「ひとに教えることはできるなら自分が歌うこともできるだろう」と思い、自分で自分のボイストレーニングをやりはじめた。それで「まだいけるな。まだ大丈夫だ」と確信した。

去年の11月に再開第1弾ライブをやったとき、バンドのメンバーから、「石原さん、本当に15年ぶりなんですか?」とビックリされた。確かに声はよく出ていた。2回目より1回目のほうがよく出ていたくらい。自分の年もライブでちゃんと公表するようにした。特別に格好をつけたり背伸びしたり、サバを読むこともせず、自分のナチュラルな生きかたの延長線上でライブをやりたいから。2人の先輩に触発されたのはすごく嬉しかった。本当にいろんなひとのおかげでライブができている。これも大切な縁。


●歌は若さと体力よりも経験値

歌は身体を使うことなので、スポーツと同じように身体の変化に合わせて歌声にも変化が起こる。特に年齢を重ねると高音部が出にくくなるが、そのぶん低音部が広がるので、全体キーを下げれば問題はない。それに、これまで生きてきた経験値によっていい歌が歌えるという自負はある。それはだれでも同じ。ブルース系は特に経験値がものを言う。先日、ちょっとファンキーな感じのブルースを一曲つくった。天気のいい日の新宿で、ちょうど1時間空き時間があったので、オープンカフェに入ってつくりはじめた。つくりかけていた詞があったのでそれを仕上げ、メロディーを忘れないうちに携帯に録音していたら、調子が良くて本当にその1時間で完成した。それがちょっとエロい曲で、「こんな天気のいい日にこんなエロい曲をつくってしまったアタシってどうなの?」と思った(笑)。

当面の目標はCDを制作すること。自分がこれまでに歌ったいい曲がたくさん眠っているので、その子たちに日の目を見せたい。新しい曲もこれからどんどんつくっていく。自分が本当に言いたいことを歌に乗せていけるという幸せな状況にあるので、石原ワールドを展開していきたい。そこに共感してくれるひとたちは確実にいると思うから。

3月のライブで、ステージの斜め前に座っていたお客さんが私の歌を聴きながら泣いていた。「泣いちゃった。ヤバいなー」と思ったけれど、思い入れのある歌を聴いて素直に泣いてくれるのは、ある意味嬉しかった。本人も同じような経験をなさったから心の琴線に触れるものがあったのかもしれない。共感を持ってもらえるのがとても嬉しい。だから、自分の作品を外に出していきたい。

ヒットするかしないかは結果でしかないけれど、歌っている本人がメジャーになるよりも、自分のつくった曲をより多くのひとたちに親しんでもらいたい。これまでにも、ミュージカルの舞台作品にオリジナル曲を13曲提供したことがあるので、今後も歌い手さんに曲を提供することを視野に入れていくつもり。曲作りは自分の経験値と想像力が源泉だけど、提供する歌い手さんの雰囲気やイメージに合ったものをつくってみたいという野望もある。


●いまの環境を乗り切ることが課題

私はわりと環境の変化への順応性が高い。占星術からいっても一白水星という水の星座。水はどんな器に入れても、その器に沿った形におさまる。そのせいか、いままでとまったく違うシチュエーションにおかれても、そこにすぐなじむことができる。一応の形になるくらいまでやることはできる。そこからまったく違う土俵に瞬間移動してもやっぱりできちゃう。そして、ふたつの異なる状況を同時並行して進めることもできる。

でも、そのなかにはジレンマもある。たとえば、すごく経済的に恵まれた環境にあれば、その環境でだけ生きていけるし、時間の余裕もあるからもっといろんなことができるんじゃないかなと思う。一方で、時間もお金もないし休む暇もないという現実が目の前に突きつけられる環境があるとする。好きな子とデートする時間もない。それがいまの私の現実だけど、いまのパートナーは、私が仕事となると没頭してずっぽり入り込むことを知っているので、あまり声もかけない。でも、かつてはそれなりに裕福な時代があったし、その環境にずっといつづけたとしたら、きっと遊んでいただけじゃないかと思う。だから、忙しいくらいがいいのかなと。もちろん、ちょっとは休む時間がほしいけれど、いまのこの環境を乗り切ることが自分に与えられた課題なんだと思っている。

こうして忙しくしているあいだにも、自分が本来果たすべき使命をじつは忘れているんじゃないかと思うことはあるが、音楽活動でいえば、もしも余命半年のひとが私のライブを見にきてくれて、そのあいだだけでも楽しい夢の時間をすごして、現実の苦しみが少しでも和らいだとしたら、それはそれで私の使命を果たすことになるだろうと思っている。それはある種のたとえ話だけれども、もし現実に追われているひとが私のステージを見て、一瞬だけでもこの世界に入り込んで夢を見られたらいいなと。大それたことはなにもできないし、自分なりのやりかたしかできないのはわかっているから。

<おわり>