2014年11月09日のツイート

池田香代子先生のこと

先日、「東京大行進2014」に参加した。


同時にこんな写真があった。



池田香代子先生である。



池田先生は、オデが大学生のとき、ドイツ語の講師として授業をした。テキストは『ベルリン天使の詩』である。

その映画で、当時ノイズバンドだった「Einsturzende Neubauten(崩壊する新構築)」がライブをしており、同じクラスにいた人が熱烈な大ファン(特にボーカルのBlixa Bargeldのファン)で、そのシーンになると正座する勢いで映像を観ていた。池田先生は、『ベルリン天使の詩』の字幕を担当していた。(関係ないけどBlixa Bargeldのファンのイトーさん! お元気ですか?)



その秋、オデは(いまはなき)大学の演劇サークルで、初の脚本/演出をした。タイトルは『12月(しわす)の幻想』(今でもこのタイトルはすんごく恥ずかしい…)。公演期間は1週間で、サークル部員が自分たちで設営したテント演劇だ。池田先生はその演劇を観て、後で長い感想文を手紙に書いてオデに渡した。

ただでさえ気力体力が減っており、公演終了となると、もう死にたくなるくらいに凹む(ただの廃人である)。オデはその手紙を読んで、さらに落ち込んだ(手紙の内容は覚えてないが、何を見ても読んでも自分が否定される気がした)。


その返事は、まだ出していない。



池田先生はその後、『ソフィーの世界』や『世界がもし100人の村だったら』の翻訳をしたりして、有名になった。



でも、有名になる前から、池田先生は池田先生だよ。オデが今まで教わったなかでも、一番の先生だと思っている。

先生の白い嘘

お友だちに借りていま読んだ。

先生の白い嘘

この漫画を読んだ(女性の)感想は、「痛い」である。自分の心が「痛い」のか、漫画の登場人物を指して「痛い」と感じているのか、果たしてそれはわからない。

オデは、「痛い」のを通り越して、「虚しい」と感じた。世の中のすべてが「虚しい」。だがそこに「欲望(幻想)」はある。生きている限り、その「欲望(幻想)」はついて回る。それでもこの漫画のページをめくることが止められない。それがなお「虚しい」。これは絶対に「褒め言葉」である。


ちょっと前に、『鈴木先生』という漫画原作のテレビドラマがあった。鈴木先生は中学校の担任で、ある女子生徒に密かな「恋」をする。
鈴木先生』と『先生の白い嘘』は、まるで逆だ。だが、男女の非対称があるから、逆などでは決してありえない。



3巻が出るのが待ち遠しい。
そして「虚しい」。



で、2巻目の最後にあった、萩尾望都せんせーのあとがき。

茜色の鳥を飼う、「先生の白い嘘」   萩尾望都

鳥飼茜『先生の白い嘘』はかなりショックな作品だ。
東京都議会で「早く結婚した方が良い」と女性議員に野次が飛ぶ時、
笑ってヤジる男性議員は批判されるまでこれが女性差別だとは意識していない。
それぐらい女性差別は深くさりげなく、実にさりげなく浸透している。
日本は男社会だ。法的に平等であっても長年の慣習がそうはさせない。
女は社会の中で教育、就職、結婚、生活、育児、財産の所有において負担を強いられる。
その不平等や不公平が続いているのは女が弱者だから。弱者はどんなにいじめても良いのである。
声も出せないし訴える場所も持たないから。
しかし女は本当に弱者なのか。男は本当に強者なのか。不公平を強要するものは真の強者なのか。
生徒、緑川椿は気づいている。そして戦っている。
原美鈴先生も気づいている。まだ流されている。
早藤も知っている。利用している。
生徒、新妻はまだ己を知らない。悩んでいる。
ミカがいる。美奈子がいる。彼ら登場人物の立ち位置も関係も、
これまで存在していたのに誰も語ってこなかったものだ。語られてやっと見えるものになる。
ぎりぎりのところで語られている彼らの言葉は強い。あるときはおずおずと。
またはきっぱりと。暴力的に。攻撃的に。羨望と侮蔑。どれも言葉として深い。
そして、新しい。そして痛く恐ろしい。
これほどの言葉を生み出す鳥飼茜という作家はすごい。
男達よ。ページごとに谺する、女の叫びを聞くが良い。
女達よ。目覚めよ。たとえ痛い目覚めであっても。
たとえ理不尽な世界が変わらなくても、心を変えることはできる。笑い飛ばしても良い。
そして、生き残ろう。まだ、明日がある。
鳥飼茜はすごい。私を呆然とさせる、これほどの作品を描くのだから。
平凡な言い方だけど、がんばってください。目が離せません。
そして、暴力的なのに、品がいいです。

中島みゆきはオデが育てた(4)

「あなたでなければ(2006年)」


「東のユーミン、北のみゆき」と言われるほど、中島みゆき松任谷由美は同世代における永遠のライバルである。ユーミンのデビュー曲『ひこうき雲(1973年)』は、衝撃的だった。「シャングリラをめざせ(1984年)」では、「絶望は宇宙に選ばれたしるしよ」と歌っている。すんげえ〜ポジティブ! てかパネエ選民思想!!


それはそれとして、ユーミンとみゆきの歌詞を比較してみたい。
共通点は、「<あなた>はもう<私>を愛していないに違いないが、<私>は今でも<あなた>を愛し続ける」という点である。


「あなたでなければ」 作詞/作曲/歌手:中島みゆき


【動画】
*いつの間にか動画が消えていたので新【動画


見間違えるなんてはずは ありえないと思うんです
聞きそびれるなんてはずは ありえないと思うんです
馴染んだあなたのことぐらい わかりきったつもりでした
見慣れたあなたの肌ぐらい 思い出せるつもりでした
その肌は誰のもの
その声は誰のもの
知らない人を見るようで心もとなくなるけれど
あなたでなければイヤなんです
あなたでなければ駄目なんです
似たような人じゃなくて 代わりの人じゃなくて
どうしてもあなたにいてほしいんです


そうです出会った日のあなたとも ほんの昨日のあなたとも
違うあなたになれるんですね 人は変わってゆくんですね
そうよね変わらないつもりでいた私だって 変わるんですよね
どうせ変わってゆくものなら あなたと一緒に変わりたい
その爪は誰のもの
その文字は誰のもの
あなたを1から覚えなきゃ 私を1から言わなきゃね
あなたでなければイヤなんです
あなたでなければ駄目なんです
似たような人じゃなくて 代わりの人じゃなくて
どうしてもあなたにいてほしいんです


海を見ていたせいかしら
はるか見ていたせいかしら
あなたの目に映る世界に私がいないようで 海を憎んだ
あなたでなければイヤなんです
あなたでなければ駄目なんです
似たような人じゃなくて 代わりの人じゃなくて
どうしてもあなたにいてほしいんです
あなたでなければイヤなんです
あなたでなければ駄目なんです


「Woman」 作詞:松本隆 作曲:呉田軽穂 歌手:薬師丸ひろ子


【動画】


もう行かないで そばにいて
窓のそばで腕を組んで
雪のような星が降るわ
素敵ね


もう愛せないと言うのなら
友だちでもかまわないわ
強がってもふるえるのよ
声が…
ああ時の河を渡る船に
オールはない 流されてく
横たわった髪に胸に
降りつもるわ星の破片


もう一瞬で燃えつきて
あとは灰になってもいい
わがままだと叱らないで
今は…
ああ時の河を渡る船に
オールはない 流されてく
やさしい眼で見つめ返す
二人きりの星降る町


行かないで そばにいて
おとなしくしてるから
せめて朝の陽が射すまで
ここにいて 眠り顔を
見ていたいの



中島みゆきは一人三役もやりこなしているが、ユーミンはまるで「ブレイン集団」という組織化でこの一曲を完成させた。どちらも天晴れという感じである。歌詞だけを読むと共通点はあるものの、中島みゆきのほうが積極性というかバイタリティを感じさせ、一度究極のド落ち込みから反動で浮上している感覚である(松本隆の歌詞はちょっと情景描写が入っててロマンティックであり、ややメランコリーを感じさせる)。


現在は、下手をすればストーカー扱いとなるから、願望(欲望)と現実のギャップは大きい。その想いを相手に実行させまいと抑制し、停止せずに思考を続け、歌詞や作曲で昇華して、多くのひとたちに届ける。その精神力は強靭だ。中島みゆきはかつてラジオで、「あたし、一度のことを(曲に)百回書くまで、しつっこいのよ」と笑って言った。


ゲイのなかでも「みゆき派」「ユーミン派」というグループ分けがあり、彼女らの歌をゲイたちは自分に寄せ感情移入させてカラオケをする(なかには「松田聖子派」もある)。ユーミンも歌ったことがあるが、オデはやっぱり筋金入りの「みゆき派」だ。

ゲイ業界(?)では「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」(世阿弥風姿花伝」)と言われているらしい。秘めるからこそ花になる。秘めねば花の価値は失せてしまう、という意味だそうだ。
中島みゆきもまた「秘すれば花」であり、オーディエンスの想像の翼を見事に活用している。



さて、中島みゆきの40枚目のアルバム『問題集』がもうすぐ発売(2014/11/12発売開始)である。表面的かつ時代的には変わりゆく中島みゆきだが、その個人の核心は変わらない。このアルバムを聴きながら、「中島みゆきはオデが育てた」、あるいは「オデは中島みゆきに育てられた」と誇らしく思うだろう。


おわり。

中島みゆきはオデが育てた(1)
中島みゆきはオデが育てた(2)
中島みゆきはオデが育てた(3)