「さらばリハビリ」~(28)エレベータの「開閉ボタン」も読めない

 山田規畝子さんの本は、急性期病院のSTに教えてもらった。私の症状が「高次脳機能障害」に似ているというのである。

 高次脳機能障害とは、主に脳の損傷によって起こされるさまざまな神経心理学的障害である。主として病理学的な観点よりも、厚労省による行政上の疾患区分として導入された概念であり、異なった原因による複数の疾患が含まれる。それぞれの症状や治療について、詳しくは脳血管障害といった病理学的な観点から論じられる。

 その症状は多岐にわたり記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害などの認知障害等で、脳の損傷部位によって特徴が出る。損傷が軽・中度の場合には、核磁気共鳴画像法(MRI)でも確認できない場合がある。

 SPECT(放射断層撮影)、PET(陽電子放射断層撮影)など、先端の画像診断で判別されることがあるが、現在では診断の一材料である。むしろ画像診断に神経心理テストなどを組み合わせた多角的な診断により、「高次脳機能障害」と診断されるケースが多いのも事実である。

 その障害は外からでは分かりにくく自覚症状も薄いため「隠れた障害」と言われている。よく、一言で「高次脳」と略されるため、脳内にそのような部位があるのか、と勘違いされることがあるが、そうではなく、分かりやすく記述すれば「高次の脳機能の障害」ということである。

 伝統的、学術的、医学的な定義による高次脳機能障害は、脳損傷に起因する認知障害全般を示すものである。たとえば、症状に失語症または認知症がある。これに対し、厚労省が2001年度から本格的に研究に取り組んでいる「高次脳機能障害」は、行政的に定義されたものといえる。これについては少し説明が必要である。

 脳血管障害や交通事故による脳外傷後に身体障害となる場合がある。身体障害が後遺障害として残る場合と、時間の経過とともに軽快していく場合がある。しかし、身体障害が軽度な場合もしくはほとんど見られない場合でも、脳の機能に障害が生じていることがある。それが前述の認知障害、つまり行動にあらわれる障害であるため、職場に戻ってから問題が明らかになるというケースがある。

 つまり、日常生活・社会生活への適応に困難を有する人々がいるにもかかわらず、これらについては診断、リハビリテーション、生活支援等の手法が確立していないため、早急な検討が必要なことが明らかとなった。

 交通事故による高次脳機能障害については、他の公的制度に先駆けて、自動車損害賠償責任保険自賠責保険)が2001年から交通事故被害として認定するシステムを構築している。自賠責保険により、交通事故によって生じた高次脳機能障害として認定されれば、損害賠償の対象として保険金が支払われることとなる。

 私の症状の特徴は、食事トレーの左側を見ていない(左側無視)ことである。視力はあるが物体を認知せず、左に置いてあるおかず類を食べずに忘れてしまう。食べないなら食べないで少しも困らなかった。他には、エレベータの「開閉ボタン」やカレンダーの表示、アナログ時計も読めない(後の症状はこの章で後述する)。これらは退院して自宅療養という名の一人暮らしに入ったので、困りに困った。

 しかし、前もって山田さんの本『高次脳機能障害の世界』『壊れた脳 生存する知』『それでも脳は学習する』などを読んで予習していたから助かった。これが無知なまま一人暮らしに突入したら大変なことになった。高次脳機能障害の自覚はしていたし、障害は困ったものだが、自分で作成する「取り扱い説明書」を友人に提出し、症状を理解してもらった。アスペルガー症候群(自閉スペクトラムの一種)の友人にヒントをもらい、取説作成を真似た。

 取り扱い説明書を自分で作成することは、症状の自覚を促す最適の方法だ。自分の行動を注意深く冷静かつ客観的に観察し、新たな症状が発見されたら、取り扱い説明書を更新する。我ながら楽しくて興味深い発見・作成だった。「降りることも昇ることもできない、階段が読めない」という山田さんの症状は私にはなかったが、片麻痺のせいでもともと階段が昇り降りできないのだから、したかがない。

 高次脳機能障害の深刻さは、かかった私でさえわからないのだからどうしようもない。電動車椅子に乗った私はいかにも病人らしく見えるが、これが一見健常者だと「ちょっとおかしい人」に見えてしまう。障害は障害でも「見えない障害」は厄介なものである。

「さらばリハビリ」~(27)高次脳機能障害の処方箋

 山田規畝子さんは整形外科の医師であるが、生まれつきモヤモヤ病(ウィリス動脈輪閉塞症)の持病を持っていて、これまでに脳出血を3回発症し、2回目の発症で軽い右片麻痺になり、メスを持つことができず整形外科医を断念したという。

 その代わり、彼女は持ち前の医学研究で、神経心理学の権威である山鳥重さんの本を精読し、曖昧なところやよくわからないことは細かく質問して、高次脳機能障害についての本を、当事者として何冊も出版している。

  入院中、私はSTから初めて彼女のことを知ったので、『高次脳機能障害の世界』を読んだ。彼女によると、麻痺した左手はいつの間にか存在を忘れてしまうのではなく、ことあるごとに何かを触ったり動かしていると回復しやすい。そう思って先日、読んでいる本を麻痺した手指を触りながら動かしながらしていたら、翌日は右手がこわばって痛い。

 同じく山田さんの本に、「34歳で老後」とあった。リハビリ病院とはいえ、その実態は老人病院ではないかと思ったが、70歳80歳の婆さんどもがぐんぐん回復していくではないか。お年寄りには負けるまい。現役のお年寄りは、おとぎ話にある竜宮城のイメージを崩壊させていながら、私はプラーク動脈硬化巣に存在する内膜の斑状肥厚性病変)を溜めに溜め込んだ分、脳梗塞という葛篭を開けて左半身麻痺という煙を吸い、一気に老人になった気分である。リアル老人になってから筋肉の回復は無理そうだし、41歳の若さで幸いだった。あと5年分溜め込んだら、知らないうちに死んでいたかもしれない。

 『潜水服は蝶の夢を見る』という映画を、数年前に観た。ELLE誌の編集長が脳溢血で倒れ、ロックトイン・シンドローム(閉じ込め症候群)になってしまい、左目の瞼を使って本を出版する実話である。ほぼ自叙伝。その編集長は酒も煙草もやらないクリーンな身体だったが、日々仕事に励んでいた末の発作だった。口文字盤などの橋本操(彼女は元ALS協会会長である)テクニックもさることながら、まあオトコの妄想たるや否や。その自己都合な妄想からロックトインした現実の自分に目覚めると、まるできらびやかな竜宮城の思い出となる。ケアに携わる女性スタッフに性的欲望を見いだし、女性は自分の虜になり…なにも欲望に忠実にならなくてもと言いつつ、いざ私が同じ目に遭ったら「やっぱりそうか!」のシンクロ率が自分で痛々しい。妄想の自分は脳溢血前のダンディーな若々しい自分であり、現実に戻ると偏屈そうに顔をひしゃげたおじさん(お爺さん?)がムッと黙っている。そのギャップが何ともおかしい。

 ベッドに寝ているときは相手の視線と顔が合わないので、その声や足音を聞いて判別していた。スティービーワンダーのように、目が見えないのになぜいつも美人をつかまえるのか疑問だという笑い話があるが、視覚でなく聴覚に従えばよろしい。一概に本人の好みもあるが、艶やかな声というのは私の耳に官能を届け、想像力をもたらす。で、声と顔が一致すると「やっぱりね」と思う。

 1ヶ月以上、車椅子で生活していると、視線が自ずと尻や脚の形に注がれてしまう。ミニスカートなんてほとんど見かけないけど、見たときはそこから決して離れない。(江戸川乱歩『盲獣』のように!)輪郭を目でたどってそっと愛撫したいぐらいだ。なんと言っても脳が興奮している…とここまで書いて「アタシったら安い女」と思ってしまった。山田規玖子さんの本に、「高次脳機能障害は官能的だ」「あるいは変態だ」とは書いていないが、探せばどこかに書いてあるはず。

 あれ? 「老人は官能的」って話だっけ? とにかく身体が追いつかないなら、目や耳などの代替物で間接的に官能を極めてほしい。

 ナースに勧められて読んだ東野圭吾『放課後』よりも、山田規玖子『壊れる脳 生存する知』のほうがよほどエキサイティングである。小説や漫画のストーリーがちんぷんかんぷんで、さっぱりわかんない。そもそも推理小説なんてどこが面白いのか私にはわからないのである。

 そのぶん、山田さんに救われる。希望が見える。こんなリハビリ病院では患者もナースも医師も、光はまったく見えない(いや、老人病院だからか?)。

 この本を出版することが決まったとき、もう一度『高次脳機能障害の世界』を読んだ。「てんかん」の症状は当時の私にはなかったし、その項目はスルーしていたが、つい先日、久しぶりに執筆が深夜になり、知らずにうとうとしていたことに気づいた。そのとき、「あの発作」が起こりそうな予兆がした。左側全身が痙攣し、左目の後ろに誰かいるような感じがして、「やっぱり来やがった!」と思いつつ、私は深呼吸をして発作を収めようとした。

 眠剤ジェネリックになったとき、「薬を変えてください」と医者に訴えたが、発症して六年経ち、その症状が一つ判明した。ジェネリックのせいではなく、てんかん発作だった。幸い、椅子を替えていたから卒倒したり気絶したりする危険はなかった。翌日、右脚が踏ん張りすぎて筋肉痛になったが、てんかん発作の恐ろしさを久しぶりに味わった。何年経ってもこの本は貴重だ。いまでも勉強になる。

「さらばリハビリ」~(26)装具の交換などいろいろ面倒くさい生活

 退院した患者たちは電動車椅子を注文せず、そのまま歩いて回復していった。最初から電動車椅子の楽チンライフを夢見た私は、心のなかでリハビリを拒否し、怠けていた。

 電動車椅子と歩装具(短下肢装具)を併用し、歩装具は入院時に制作した黒いシューホングレイスだが、左足だけ靴のサイズが違って面倒臭い。介護用靴ならサイズはちょうどいいが、デザインがダサいのでげんなりする。ただでさえビッコ引き引き歩いているのに、介護用品は全然オサレじゃない。

 

【オサレその1】

 以前、テレビで見た内田裕也の杖が格好いいなとずっと思っていたので、ネットで「杖 おしゃれ」を鬼検索。裕也の杖は、ドイツ製のガストロック社であると判明した。しかし、裕也はマジでオサレアイテムとして使用していたので、私のようなガチで杖に頼っている者にとっては、オサレ杖は少し計算が狂った。柄のところが細く、体重をかけると手のひらが痛い。もう少し太い柄の杖を同社で注文した。杖底の替えゴムも通販で、一気に十個注文した。

 

【オサレその2】

 「若い失語症の集い」で歩装具ゲット。その名もゲート・ソリューション・デザイン(GSD)。通常の靴も履けるし、油圧式で奇麗な歩行もできる。以下、パシフィック・サプライ株式会社のサイトより引用。

(1)踵接地時に底屈の動きを、油圧により制動することにより、滑らかな体重移動を可能にする。
(2)なめらかな体重移動により自然な歩容を得ると同時に、左右の対称性、バランスのとれた歩容を実現することができる。バランスのとれた歩容を実現することにより、きれいに歩ける、つかれない、歩行速度の増加などの効果を得ることができる。
(3)遊脚相つま先のクリアランスを確保することができる。

 

 使い始めたころは、部屋でOTに捕まりながら、まるで生まれたての子鹿みたいにヨロヨロしていたが、毎週の散歩によって杖歩行がかろうじてできるようになった。桜が満開な季節で、私は歩いて川縁の桜が見たいと思い、橋の近くまで寄ったときに転んで眼鏡を壊し、顔面に傷をつけてしまった。慢心の結果が顔面の傷である。しかし、転んで擦り傷や切り傷をちょっとつけただけなのに、顔面はボコボコにグロテスクに腫れる。特に目の周りが、試合したてのボクサーのように腫れる。その後OTが「単独歩行禁止令」を出し、私は懲りて大人しく従った。

 転居して、近くの訪問リハビリのOTに「車椅子を卒業したい」「長く散歩して疲れないようにしたい」とリクエストを出したら、「ミヤマさんは左脚を信頼していないようです。体重がきちんとかかっていなくて、常に重心が右寄りですから、左脚に体重を乗せようとすると右に引っ張られますね」と言われ、最初は白魔法をかけられたようにフワッフワと歩き、後から黒魔法で股関節の違和感があった。違和感というより少し痛い。おそらく回復過渡期だろうが、次の日はゲート・ソリューション・デザインの本領発揮である。油圧式のバネに麻痺脚がちゃんと作用し、左足先の感覚はいまだにないが、太腿や体幹でバネの動きを感じるようになった。まるで片脚だけのスキーヤーのようであるが、また慢心して調子こいて転倒しないよう慎重に部屋のなかを歩いている。

 

【オサレその3】

 「靴ひもが結べない」とOTに相談して、「ベルクロがいいよ」と情報ゲット。ベルクロとは、マジックテープ(面ファスナー)が3段になったスニーカーである。楽天とアマゾンで入手可能。ただ、GSDのため足首が太くなるらしく、ワンサイズ大きめの靴を注文した。インナーソールでも調整は可能であり、右足裏が常時痺れているのでクッション代わりに丁度いい。介護靴より断然にオサレである。コンバースのスニーカーみたい。

 「ゆくゆくはこの靴を履き潰して、新しい靴を注文するんだい!」とホクホクしていたが、気が緩んで部屋で転倒し、パニックになって急いで立ち上がろうとしたら、ゲート・ソリューション・デザインの金具に引っ掛けて、右靴のソールがベロンとはがれた。意図せぬベルクロの新規購入である。新しい靴のメーカーは違うがサイズは同じで、右足も硬くて履きにくかったが、左足はさらに履きにくい。いや、履けない。両面テープと面ファスナーを準備して、今度OTに靴を改良してもらう予定である。

 

 その他、就寝中、体位変換(寝返り)しやすいのでナイロン製の上下のジャージを着用している。私は「シャカシャカした服」「シャカパン」と呼んでいる。Tシャツやインナーは伸縮性のあるユニクロが断然着やすいし、型くずれしにくい。冬はツルツルの防寒具の上下だ。羽毛布団一枚で、電気毛布をつけて丁度いい暖かさであるが、もしかして私の体温調節は狂っているのかもしれない。

 便利なようでそうでもないのが電動車椅子である。バッテリーやタイヤは5年に1度交換し、傷ついた前輪も交換した。そうするとフットステップの調整が必要であり、坂道の多い私の家の近所は不便だ。田舎道は電動車椅子に優しくない設計である。この次は段差を乗り越えられるWHILL(パーソナルモビリティー、次世代型電動車椅子)を介護保険レンタルしようと思うが、既存の車椅子があり、その車椅子が故障して取り替える部品がない場合以外は、WHILLの試乗はできないらしい。介護保険レンタル前提で試乗しようと思っていたが、購入予定前提のシフトじゃないと試乗できない。後は頼れるケアマネに任せておいていいだろう。

 土砂降りのとき、「どこでもさすべえ」という便利グッズを取り付けたが、傘が邪魔なのでポンチョにした。梅雨の時期、片麻痺は強制引きこもりになるが、誰かがどこかで便利グッズを発明しているはずである。車椅子用防水カバーはすでに存在するが、青いシートのベビーカーオバケである。どう見ても罰ゲームにしか見えないので購入を拒否している。そもそも、土砂降りなのに外出しなくちゃならない用事が、いまのところ私にはないらしいので、罰ゲーム防水カバーの購入は永久に延長してある。

 ペットボトルは、滑り止め用シートを10センチ四方で切った2つのもので開けているが、そろそろ経年劣化しているので代用の滑り止め用シートを購入しよう。片手でできる降ろし器を愛用していて、炒め用とパスタ用にトングを使用している。瓶やポットの汚れは食器ブラシで片手でも奇麗になる。炊飯ジャーはご飯を堕落させるものとして、私は土鍋と圧力釜で玄米ご飯をずっと食べてきたが、発症後は電子レンジ専用の「ちびくろちゃん」を知り、愛用している。洗いやすくて、2合サイズでちょうどいいし、冷めたらレンジでチンすればいい(2019年現在、「体重は落とすべし」とのPTの指令で低糖質ダイエットしている。低糖質ダイエットは専門家の間で賛否両論があるが、そもそも運動できないので、ご飯、麺類など糖質をなるべく食べないようにしている)。

「さらばリハビリ」~(25)「困ったことは誰に訊こうか?」が一番困った

 私が生活するなかで、業務の上で支援してくれる人々はたくさんいる。私からみて一番近い順、一番頻繁に連絡する順は、ケアマネージャー、訪問介護(ヘルパー)、訪問リハビリ(各療法士)、訪問看護(爪切り)、かかりつけ医、生活保護ケースワーカー、障害支援課ソーシャルワーカーである。

 最初のうちは、困ったことがあると誰に訊いたらいいのかわからないから誰にも訊けないことが多かった。たとえば、介護事業所が低レベル意識のヘルパーたちを送ってきて、自宅というパーソナルスペースにいるのに、土足で足を踏み入れられたように非常に不快なのでキャンセルしようと思い、自治体の障害支援課は「介護事業所はリストがあるので自分で選んでください」と冷たく言い放った。リストはあるがメールはなく、いちいち電話して、もつれた口でしゃべらないといけなかったし、週2回で1時間ずつを希望するのに「スケジュールが合わない(実際は人材不足のため)」からと、2週間以上も待たされたことがあった。一人でゴミ出しできないから、これは一番辛かった。

 「リハビリをしたい」と要求していたケアマネは一向に「施設」を見つけることができず、痺れを切らした私は「ケアマネ クビ」でグーグル検索し、新規のケアマネが私を担当した。訪問リハビリというものがあると初期のケアマネがまったく知らなかったので、私も当然知らなかった。無知なケアマネは担当の利用者たちに害を与える。退院から2年後、私はようやく訪問リハビリというインフラにアクセスできた。が、すでに時遅し。退院後すぐにアクセスしたら、私の脚はもっと早く回復していたであろう。

 爪切りは医療行為である。医療行為は医療の資格を持った訪問看護に依頼し、訪問ヘルパーに頼んでは決していけない。下手くそなヘルパーが私の指に怪我をさせた場合、責任問題になる。最初は爪切りを持参して、会った友人についでに頼んで切ってもらったが、訪問リハビリと訪問看護が同じステーションなので、2週間おきに爪切りに来てもらった。

 訪問リハビリにアクセスしたことで、私はかなりの疑問質問をSTやOTに相談した。OTの専門分野は装具類だが、雑談混じり冗談混じりに相談ができて本当に良かった。訪問リハビリのスタッフたちは、相当経験を積んだ燻し銀レベルであり、回復期病院のリハビリの卵どもの精神的余裕の貧困さに私は唖然とするしかなかった。私の精神的健康状態がみるみる向上した。

 生活保護ケースワーカーは、自治体にもよるが2年で担当が入れ替わる。引っ越しから半年経った後、2階の住人がやってきてひどい騒音となった。私は不動産会社と生活保護ケースワーカーにクレームを入れたが、双方とも具体的な改善策を一切せず、結局私が2階住人と直接バトルを繰り広げ、とうとう2階住人を追い出してやった。

 生活保護の家賃は各自治体で決まっている。私の場合、板橋区で5万円くらいだが、住宅環境が劣悪だと初めて知った。「2階がうるさいので防音設備をしてほしい」と要求しても、「防音設備ができない状況です」の一点張りだ。どうせ引っ越すなら都営のバリアフリー住宅がいい、板橋区から脱出するチャンスだ、と友人から情報を得て、毎年2回、区役所発行の応募要項があり、抽選した上で、さらに審査がある。自治体によるが、独居していた患者が身体障害者になったとき、あらかじめバリアフリー公営住宅を提供するらしい、との話を聞いた。

 無知で世間知らずな私が身体障害者になって、たった一つスペシャルに賢くなったことがある。独身の働き手が身体障害者になると一気に貧困となるが、生き延びるためには実践で試行錯誤し、失敗をしないと前には進めない。ネットの情報もためにはなるが、その情報ゲットの行動は「失敗しないように」という頭でっかちな保険である。もしも現在、私と同じ状況で困っている人たちがいたら、私は喜んでその人たちのコンシェルジュになろうと思う。無料相談だが、叩き上げで正真正銘の立派なプロだ。初心者は経験者に学ぼう。

「さらばリハビリ」~(24)介護事業所は2種類ある~高齢者用と障害者用を試してみた

 1997年の国会で制定された介護保険法に基づき、2000年4月1日から介護保険法が施行された。幸か不幸か、40歳になった私は介護保険の被保険者になった。しかし、障害者自立支援法との兼ね合いがあり、不勉強なケアマネはどちらの制度が使えるか使えないかで混乱することがあった。私の最初のケアマネもそうだった。

 介護保険法と障害者自立支援法は、そもそもまったく違うシステムであり、考えかたも違う。そのため、サービス内容が違うのも致しかたない話になる。しかし、65歳以上になったからといって、いままで受けられたサービスが受けられなくなることはおかしな話であり、高齢者にとってはこれからも同じサービスを受け続けたいはずである。

 たとえば、通院等乗降介助においては、介護保険制度だと要介護1以上が対象となるが、障害者自立支援法だと要支援1レベル程度から適応となる。このように、いままで受けてきたサービスと見かた、考えかたが変わると理解することが重要だ。

 私のような障害者は、介護保険を申請したときの要介護度が2以下と出てしまうことが少なくない。そのため、日常的なサービスの限度額が少なく、障害者自立支援法のときよりもサービスが減ってしまうことがある。こういう事情を知っていたら、介護事業所迷子にならずに済んだのに。

 このような場合、介護保険制度の限度額で確保できないとみなされ、障害者自立支援法において不足分のサービスが適応されることがある。サービスの不足等については、各自治体で相談し、利用できるサービス量が変わらないよう話をすることが必要である。

 障害者固有のサービスに関しては、介護保険のサービスにはないため、引き続きサービスを受けることができる。障害者固有ではなく、介護保険にないサービスの場合は受けられないこともあるため、継続してサービスを受けたい場合には市区町村およびケースワーカーと相談することが重要となる。

 たとえば、私は身体障害者2級1種であり、電動車椅子ユーザーである。電動車椅子と歩装具(短下肢装具)は障害者自立支援法のサービスで、介護用ベッド(手すりと電動リクライニング付き)は介護保険のサービスである。訪問リハビリは障害者自立支援法の、訪問介護介護保険法のサービスだが、自立生活センターなどの介護事業所は、障害者自立支援法のサービスである。

 つまり私は、2つのサービスのうちどちらも使えたのである。これは失敗した。

 介護保険法の施行で雨後の筍のようにあちこちに介護事業所が生まれるが、身体障害者1年生の私は、どこの介護事業所が私に合うのか、その区別ができなかった。自立生活センターの数は、介護事業所の数よりも圧倒的に少ないのである。

 最初の介護事業所はヘルパーたちの意識が低く、私がいちいち「ここはこうしてほしい」と教育してやらないといけなかった。あるヘルパーは無断で冷蔵庫のドアを開けた。私は気分が悪くなった。ネットで検索すると、元は「家政婦紹介所」であった。次の介護事業所はヘルパーが全員優秀で、私も気に入っていた。しかし、その気に入ったヘルパーが通勤用の自転車で転倒し、2ヶ月の休養となったが、代わりに来た新米ヘルパーとの落差があって鈍臭く、私はお気に入りのヘルパーの回復を待たずに介護事業所をチェンジした。

 3回目の介護事業所は、事業所名も理念も高いのだが、「あれはできません、これもできません」と理念を通すことは潔癖で立派だが、利用者にとっては不便で不快であり、融通が利かない。不快になった私は今日やってもらうことをメモに書いてヘルパーに無言で渡した後、イヤホンでずっと音楽を聴いていた。その態度がヘルパーにとっては威圧的に感じたのかもしれないが、ちょっとしたミスを指摘すると、後から主任がやってきて、「ミヤマさんは高圧的すぎるとヘルパーから苦情が入りました」とさ。お前がミスしたんだろうに、それを指摘しただけで萎縮して勘違いで印象づいたとはな! こっちからキャンセルだ!

 結局私は介護事業所を3回キャンセルし、最初のケアマネも首を切り、障害当事者が運営する自立生活センター(CIL:Center of Independent Life)が近くて便利で、融通が利き、私の肌にぴったり合った。そのセンターは新設した障害者用入浴施設もあって、これで念願の風呂に入れる! と私は喜んだ。ケアマネが書くはずの介護計画書を「セルフプラン」として区役所サイトでダウンロードし、エクセルで作成して区役所に提出することもセンターの代表から教えてもらった。センターのメーリングリストに入った私は自立生活センターのNPO法人の理事となり、毎年12月になると板橋区で開催される「障害者祭」に通ってバイトしている。

 後になって思い出すと、「介護保険サービス証」と「自立支援サービス証」とが2つあり、そのサービス証を渡して利用者リストにするのが2つの介護事業所の違いなんだろう。たぶん、これで合ってる。

「さらばリハビリ」~(23)医療ソーシャルワーカーより障害者研究の友人が心強い

 退院を間近に控え、区内のアパートで一人暮らしできるかを確かめるため、医療ソーシャルワーカーの同行で物件を見に行った。仮に入院した病院が板橋区なら、提供する住居は板橋区限定になる。患者が慣れ親しんだ土地を離れない配慮だと思うかもしれないが、私は引っ越し貧乏なので、杉並区から始まり、練馬区江戸川区、新宿区、そして豊島区に引っ越したばかりで発症した。

 つまり、板橋区は入院した病院が板橋区だからこれからも通院するかもしれないし板橋区以外には内見しないという、融通が利かない病院中心主義なのであった。

 実際に住んだとして、もしも不具合があって後悔したら、別なアパートを比較検討して転居する能力も体力も軍資金もないから、医療ソーシャルワーカーに「もっと物件がほしい」と要求した。おかげで物件候補は10数件あった。間取り図同士を比較検討し、ネットでグーグルマップを検索する。駅までの距離や銀行・郵便局、市役所、スーパー、コンビニのの有無や位置を確認。

 院内よりも院外のほうがよっぽど地獄とは思わなかったが、やっぱり地獄だった。社会は生き地獄、渡る世間は鬼ばかり。ウマが合わないなりに伝えなければならない相手も多いが、話して和解するよりも、いっそ決裂してまで相手に頼らければならない。それを思うと脳が萎縮する。私の対人関係は、私のなかで分裂している。せめて院内ではストレスフルの渡鬼な状態じゃなくて、ノーストレスのヘブン状態でいたかった。

 今後2ヶ月、医療ソーシャルワーカーに負担と発破をかけて生きなければならない。自分のことなのに自分ではできず、かといって相手に肩代わりはできやしない。それでも根気よく発破をかけ続けなければならない。痺れを切らして「もういい、お前なんかにまかせない!」とは言えず、最後の最後まで相手の仕事を見届けなければならない、相手が立ち去った後でも。だが、対人関係に淡白な私には耐えられるか自信がない。すぐに見切りをつけてしまいそうで、何だか不安である。

 …と、これがまあポンコツな医療ソーシャルワーカーで、病院の車の移動中、運転する職員に自分の彼氏の話をはしゃいでする奴に任せることなんかできるか! こんな奴に頼ろうとするなんて私の頭がどうかしている。

 障害学やっている友人が「こないだの震災もあったことだし、グループホームも候補に入れようよ」とか「知り合いのお婆さんが三鷹にある一軒家に住んでいるらしいから、シェアしたら?」とかレアな情報が入ってくる。医療ソーシャルワーカーより障害学の友人のほうがはるかに優秀だぜ。

 その友人に相談すると、「医療ソーシャルワーカー対策」として、当時の私が制作したであろう以下のファイルが見つかった。

 

  • 生活保護の申請(4月から):自分から働きかけないといかん(と自分に言い聞かせる)

→転居(引越、荷物保管など)のために使える制度があれば使える

→家族や友人がいないため、雇用して外出の付き添いを依頼する

→「今後の一生面倒見てちょうだい失敗したらあんたのせいよ」とプレッシャーかける

→失敗やおかしな軌道へ進んだら修正する(三鷹で自立する方向へ!)

 

▼週に3回は定期的に顔を見せて話す→好きになっちゃうかも?!

▼スケジュールを把握する

▼「この人は私がいないとダメになる」と思わせる

 

【結論】

アタシ顔に出るタイプだから女優失格

本当は陰で糸引くタイプから指令されるとなんかムカつく。「お前がやれよ!」

 

 ああでも、せめてほんのひとかけらのひとかけらでも「こいつはできる!」と思える相手を見たかった。なんて、後で失望するのは目に見えてるけど、最初から絶望して働きかけることの無力感&徒労感は想像もできない。やったことないから。

 それから、生活保護バリアフリー賃貸の問題が超ハードル。豊島区から移動しての保護申請はOKだが、手順が複雑すぎて、脳が壊れた私には荷が重すぎる。

 

1)豊島区の住所から安価のトランクルームに荷物を運ぶ。

2)豊島区の住所から三鷹市へ移転届を出す。→保護申請OK

3)三鷹市バリアフリー物件と契約する。足りない点は改修工事。→移転完了

4)七月。退院、三鷹市へ移動。おっと、通院しやすいところへシフトしなきゃ。

5)同時にWord/Excel検定一級取得、就職へ。事業所から人生勉強&人材流出するために外部へ出る。

6)保護申請終了。仕事して給金。さて、どうなることやら。

重度身体障害者はセクシュアリティやジェンダーに関係ない「代替不可能なもの」がある

最強のふたり(2011)』鑑賞。いやー、良かった。実話に基づくフランス映画で、頸椎損傷の大富豪フィリップと失業保険のサインが必要だったドリスが、なぜかフィリップの介護をすることに。ふたりは男性だが、初老の白人で金持ちで雇い主のフィリップと、若い黒人で貧困で雇われ人のドリスのカルチャー・ギャップは、一周回って互いの価値観を吸収し合い仲良くなる。

たとえば、フィリップの親戚はこぞって高尚なるクラシックの演奏会に出席し、クラシックを知らないドリスは「これよく聞く曲だ! 電話で『フランス就業センターです』ってアナウンスのバックにかかる曲!」「CMで聞いたことがある!」、現代絵画を高額で投資するフィリップに、ドリスが「こんな絵が4万ユーロになるなんておかしいだろ?! 白地に鼻血がついた絵なんて俺でも描けるぜ! いったいこんな絵のどこに価値があるって言うんだ? 金のためか?」と聞くと、フィリップは「この世に自分が生きた証拠が永遠に残る。絵だけでなく、詩や小説、音楽もな」と答える。フィリップが半年間文通で愛をしたためてきた女性を「その女はブスか? デブか? 障害者か? ちゃんと確かめないと半年間ブスと文通するなんて意味がない!」と手紙を奪い、彼女の電話番号を見てフィリップに無理やりかけさせる。おかげでフィリップは彼女としょっちゅう電話し、ついに彼女と面と向かって会うことになるが、待ち合わせの時間ぎりぎりになったフィリップは急に「帰る」と言う。

首から下が動かないフィリップは、夜になると原因不明の発作が起こり、ドリスは介護専用車じゃなくスポーツカーで高速をぶっちぎる。マリファナや煙草を吸い、障害者のブラックジョークで大爆笑し(これにはフィリップも大笑い)、車椅子の速度を時速3キロから12キロに改造する(気持ちいいだろうなあ!)。クラシックの代わりにお気に入りのソウルというかファンクというかブラック・ミュージックEarth, Wind & Fire “Boogie Wonderland”(オデも大好き!)でノリノリに踊る。とにかくドリスは介護職に関して非常識だ。しかし、在宅介護の規則は在宅の当事者が決める。雇い主のフィリップがドリスと気が合えばそれでOKだ。楽しくて、刺激があって、ときには子どもの教育の価値観もピタッとくる。文句なし。

一方、『潜水服は蝶の夢を見る(2008)』も実話に基づくフランス映画だ。あらすじ詳細は省略して、脳溢血に襲われた主人公ジャンドゥーは一命と記憶と意識を取り戻すが、重度の四肢麻痺と閉じ込め症候群(Locked-In syndrome)となる。かろうじて左目だけが彼の自由になり、他者とのコミュニケ―ションがとれるようになる(原作小説は彼の作品)。原題は『潜水服と蝶』であり、前者は動かない身体の閉塞感を表し、後者は「個人的な領域」の自由で限界のない想像力である。彼の性的ファンタジーは旺盛で欲望にきりがない。華やかなパーティーで目に入った女性は次から次へとモノにする。それに反して、現実は田舎の病院の庭で車椅子に見すぼらしく一人座っている。その対比は滑稽で醜悪だ。

最強のふたり』というタイトルは前から知っていたが、配信動画のサムネイルから類推して「これは感動ポルノだな」と勘違いし、担当PTが先日「コメディ調ですよ」と勧めてくれた。観はじめたとき「男同士のアレ(ホモソーシャル的なやつ)かー。フランスはアムールの国だしなあ(完全に偏見)」と思ったら意外や意外、男同士では絆がつながらず溝が埋まらない深刻な(経済的・人種的)格差の問題があった。が、価値観の一致は異文化を超えた。

現代絵画をオリジナルで描いたドリスはフィリップから多額な報酬を得る。同時に、息子のように見える弟がフィリップの屋敷に来るが、ドリスの家庭は複雑で、子どもができない伯父夫婦にドリスは養子に出され、その後伯父夫婦に二人の子どもができ、伯父は病気で死んでしまう(結局、義母が子だくさん家庭の稼ぎ頭となり、「自立しろ」と言われたドリスは家を出てホームレスになる)。

家庭の複雑さを聞いたフィリップは「車椅子を押して一生を送ることはできない」と言い、ドリスを解雇する。フィリップは新しい介護人を雇うが(「いままでの介護人は2週間で逃げ出した」という)、いくら金があっても代替不可能なものがある。それはフィリップにとってセクシュアリティジェンダーに関係なく、気の合った介護人である。

脊椎損傷を起こしたパラグライダーで再度フィリップは挑み、拒んだドリスも巻き込まれ、個人用セスナ機に二人でシャンパンを飲みながら搭乗する。最後に、気取らないレストランでドリスが「じゃあ俺はこれで。邪魔はしないよ、楽しんで」と言って立ち去り、代わりに文通相手がやってくる。フランスはやっぱりアムールの国だ。

ドリスは最初からフィリップの秘書(口述筆記や文通の代筆をしている)にモーションをかけていて、ドリスが部屋を立ち去るときも口説き、秘書が恋人の女性を連れてきたが、「3Pでもどう?」とドリスの耳元で囁く。何度も騙されたドリスは冗談だと思い、彼女と握手する。さすがフランスはアムールの国だ。